第222話 ありがとう

 冬希が、郷田の母の死を知ったのは、夏休みの学校で課題を終え、OA教室を出た時だった。喪服を着た理事長の神崎と、情報システム科の3年の担任が職員室に向かう廊下を歩いている時に、冬希を見かけて声をかけてきた。

 冬希は、スマートフォンの電源を切って課題をおこなっていたため、自転車競技部内での連絡に気がついていなかった。

 二人から葬祭場の場所を聞くと、冬希は直ぐに部室の前に停めていた自転車に跨り、そのまま葬祭場を目指した。

 

 冬希が葬祭場に着いた時には、あたりは暗くなり始めており、西側の空は茜色に染まってはいたが、それももう数分で消えてしまうように見えた。

 冬希が、葬祭場の入り口で入るのを躊躇った。

 郷田のことが心配で、慌ててきたはいいが、自分などが入っていい場所なのだろうか。何分初めてのことなので、何もわからない。

 冬希が入り口の辺りでウロウロしていると、中から一人の偉丈夫が現れた。体格は郷田と同等かそれ以上。筋骨逞しく、礼服のボタンが厚い胸板ではち切れそうになっている。その風格から、郷田の親族だろうということは、すぐにわかった。

 会葬者を見送った後、男は冬希の姿に気がついた。少し驚いた様子だったが、すぐに優しい表情になって、冬希の方へ歩み寄ってきた。

「青山君だね」

「はい」

「郷田隆将の父です。隆将が随分お世話になったね」

「いえ、そんな・・・」

「よかったら、中に入って少し話をしていかないか」

「はい」

 冬希は、郷田の父に従って、葬祭場の中に入って行った。


 線香を上げるのか、と思っていたが、冬希が通された場所は、意外にも座敷部屋で、テーブルには唐揚げなどの料理やビール、ジュースが並んでおり、飲み食いされたあともあった。郷田の姿はない。

「料理もある。好きなだけ食べなさい」

「いただきます」

 断るのも失礼かと思い、冬希は渡された皿に唐揚げやポテトなどを乗せて、食べ始めた。

 こんな状況で食欲などあるはずがない、と思っていたが、不思議と食欲がなかった数日間の中で、1番料理が美味しく感じた。

 モリモリと食べる冬希を、郷田の父は嬉しそうに見ていた。紙コップにお茶なども注いでくれ、空になった皿に料理を取り分けてくれた。

「ごちそうさまでした」

 一頻り食べたところで、冬希は郷田の父にお礼を言った。

「青山君、我々は、君には言葉では伝えきれないほど、感謝をしているんだ」

 冬希は、はっとなった。

「妻は体が弱く、子供の頃から隆将は、何一つ思い通りのことをさせてあげることができなかった。福岡から千葉へやってきたのも、病気の治療のためだった。あれは文句ひとつ言わず、我々についてきてくれた」

 この辺りの事情は、冬希も神崎から聞いていた。

「妻は、隆将の人生にとって、自分が重荷になっているのではないかと、自分を責め続けていた。無論、私も隆将もそんなことは思っていなかったのだが」

 人は、自分で自分を追い詰めるものなのだ。そのことは、冬希にもわかった。

「しかし、転校した高校で自転車競技部に入り、TV中継で君が活躍すると、隆将も頻繁にTVに映るようになったし、名前が呼ばれ、賞賛されるようになっていった」

 面会に行くたびに、ごめんね、と言っていた郷田の母は、TVで冬希のアシストとして活躍する息子の姿を見て、暗かった表情は明るくなっていった。

「君は、自分が優勝した時でも、必ず隆将を立ててくれた。私もそうだが、妻も、隆将が君と出会ってくれたことは、本当に幸せなことだと言っていた」

 郷田の母は、ずっと冬希のことを褒めていたそうだ。勝っても、決して派手はアクションはせずに郷田が来るまで待ち、郷田が来て初めて喜びを見せる。今時見ない謙虚な子だと言っていた。

「君のお陰で、隆将は自分のやるべきことを見つけ、妻は明るくなり、そんな二人を見ていることが、私の最大の幸せだった」

 郷田の父は、テーブルに手をついて、深々と頭を下げた。

「ありがとう。最期の数ヶ月、我々は本当に幸せだった」


 話が終わったあと、郷田の父は

「隣の部屋が式場になっていて、妻と隆将はそこにいる。会って行ってやってくれ」

 と言って、冬希を送り出した。

 冬希は、ゆっくりと式場の扉を開けると、静かに中に入った。

 式場は広かった。正面には花祭壇があり、中央に優しく微笑んでいる、美しい女性の遺影があった。

 花は、白一色で、それが女性の儚なげな雰囲気によく合っていた。

 並べられた会葬者用の椅子の、1番前に、学ランを着た郷田が一人座っていた。

 冬希は、郷田の側まで歩いて行くと、

「来てくれたか」

 と言った。冬希が来ることを知っていたかのようだった。

 郷田は椅子から立ち上がると、祭壇の前に置かれた棺の前に歩を進めた。冬希も付き従って一緒に棺の横に立った。

 棺の中では、白いワンピースを着た美しい女性が横たわっていた。

「綺麗な人だったんですね」

「ああ」

 郷田が母を見る視線は、優しいものだった。

「母は、お前に会いたがっていたよ。インターハイが終わって見舞いに行った時、お前に会わせると約束したんだ」

 郷田は、棺の中の母の髪を、優しく撫でた。

「こんな形にはなったが、一応約束は果たせたかな」

 二人はいま会話をしているのだと、冬希は思った。


 それから、郷田は冬希に色々な話をした。

 全日本選手権が終わって、母の容体が一時回復したこと。一週間ほど前に、肺炎が再発したこと。間質性肺炎というのは、原因がわからないため、さまざまな薬を試して、どれが効果があるか経過を見て行くしかないこと、そして治療の効果が出るまで、母の体力がもたなかったこと。

 医師から、医学のために病理解剖させてくれないかという話があったそうだ。亡くなったとも、誰かの役に立てるなら、と母ならきっとそう言っただろう。しかし、郷田の父は、どうしても、承諾することができなかったそうだ。

 冬希が、式場を出る時、二人とも見送りに来てくれた。

 冬希は、二人に一礼すると、自転車にまたがり、帰路に着いた。

 帰宅中、駅の階段を降りてくる姉の姿を見つけた。

「姉ちゃん、今帰り?」

「冬希、遅いじゃない」

 冬希は、部活の先輩のご家族が亡くなり、通夜に行ってきたことを伝えた。

「ちょっと待ってな」

 姉は、駅前のコンビニで何かを買ってきた。

 その後、自転車を押した冬希と姉は並んで家へ歩いて行く。

「あんた、お香典出してきてないでしょ」

「あっ・・・」

「明日、告別式なでしょ。そっちにも行って、お出ししてきな」

 姉はカバンから、コンビニで買った香典袋を出して冬希に渡した。

「わかった。ありがとう」

「あとこれ」

 家の前に着くと、姉はカバンから「食卓塩」と書かれた赤いキャップの小瓶を取り出し、蓋を開けて冬希にふりかけた。

「家に入る前に、塩をかけないと」

「それ、ゆで卵とかにかけるやつじゃないの」

 冬希は、軽く服にかかった塩を手で払うと、二人で家の中に入っていった。

「ただいま」

 おかえり、とリビングの方から声がする。

「先輩のお母さんが亡くなったこと、伝えて置かないといけな人がいるんだったら、連絡しなよ」

「わかった」

 平良兄弟には、神崎から連絡が入っているだろう。

 冬希は、春奈の事が思い浮かんだ。コルナゴの自転車を組むときなど、彼女も郷田には色々と世話になった。

 春奈がドイツへ旅立ってから、お互いに一切の連絡はなかった。あれは、そういう別れだったのだと、冬希にもわかっていた。しかし、祝儀不祝儀の付き合いを断つほどのものなのかは、判断がつかなかった。

 散々迷った挙句、冬希は真理に、春奈への連絡をお願いすることにした。

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