第221話 通夜

 少しの時間が経つと、郷田は落ち着きを取り戻した。

 病院に向かおうとすると、父からまたメッセージが届いた。

「今、看護師さんが体を拭いてくれています。8時には病院を出るので、指定する場所に、次のものをもって来てください」

 父から指定された場所は葬祭場で、持ってきてほしいと言われたものは、母が元気だった頃によく着ていた服と、郷田の父の礼服だった。

 葬祭場は、家からそこまで離れておらず、時間ができたので、郷田はシャワーを浴び、身なりを整えて、制服に身を包んだ。それから引っ越しの「母の服」と書かれた段ボールを開け、生前好んでよく着ていた白いワンピースを取り出し、紙袋に入れた。少し迷ったが、玄関にあった向日葵があしらわれたサンダルも、ビニールに入れて持っていくことにした。


 郷田は、荷物を持って葬祭場に向かう。空は雲ひとつなく、青く美しかった。

 葬祭場に着くと、郷田家と書かれた案内板が出ていた。

 建物に入ってすぐのところに立っていた葬儀社の女性が、2階ですと、エレベーターに案内してくれた。エレベーターは、普通のものと比べると奥行きがあり、これで亡くなった方も運ばれるのだと郷田は悟った。

 2階に上がると奥に通された。そこは、広い座敷になっており、手前の端に置かれたテーブルに父がおり、ずっと奥に布団が敷かれ、そこに母が寝かされていた。母には布団が被せられているが、顔は見えていた。窓から差し込む穏やかの光が、横たわる母に優しく降り注いでいた。

「きたか」

 郷田の父は、穏やかの表情をしていた。その表情の意味が、郷田には痛いほどよくわかった。

 母の死が避けられないとわかってから、そこからが長かった。毎日病院に通うのも辛かった。そういった日々が終わったことに、どこかほっとしている自分がいた。

 郷田は、荷物を父に渡すと、母の元に歩いて行き、横たわっている母の枕元に座った。

 穏やかな表情をしているように見える。化粧をしてもらったのか、肌の色も特段生きている時と違和感がない。

 ただ、全くまばたきしない、薄く開けられた目が、すでに母がこの世にいないのだということを教えていた。

「お母さん、ようやく酸素マスクが取れたね」

 郷田は、髪が乱れない程度に優しく、母の頭を撫でた。

「葬儀屋さんが、寝台車で病院に迎えにきてくれて、ここまで移送してくれたんだ」

 郷田の父の話によると、仕事に復帰すると同時に、母の生きているうちに葬儀の手配を始めていたらしい。

「神崎先生に紹介してもらったんだよ」

 信頼のおける葬儀屋を紹介してほしいとお願いすると、神崎の祖父の葬儀を行った葬儀社を紹介してくれた。神崎の祖父の葬儀は大規模なもので、葬儀社としても創立以来最大の売上を上げることが出来ており、そのため神崎に少なからず恩を感じていた。そのため、この葬儀社は神崎の紹介という郷田の父に対し、家族葬に近い規模であるにもかかわらず、かなり親身になって相談に乗ってくれた。

 そこから郷田と父は、手分けして父の親族、そして母の親族に、母の死を伝える連絡を行った。

 母はすでに両親を亡くしており、妹だけがいた。

 母の妹、つまり叔母は、入院時に一度、福岡から見舞いに来てくれていた。

 連絡すると、すぐに向かうということだった。


 父は、葬儀場に備えられたシャワー室でシャワーを浴び、身なりを整えると、礼服に着替え黒いネクタイをつけた。若い頃に作ったものらしいが、ボタンを留めると分厚い胸板で弾け飛びそうになっている。

 そこからは、二人で母の亡骸の横で、何もせずに時間を過ごした。

 連絡して4時間ほどで、叔母が葬儀場に到着した。

 叔母は、母の横に座ると、静かに手を合わせた。

「よく頑張ったわね」

 郷田の知る限り、叔母は気の強い人だったが、その声はとても優しく聞こえた。

「義兄さん、隆将もお疲れ様。大変だったわね」

「叔母さんも、遠いところご足労いただき、ありがとうございます」

「ほーんと、疲れたわ」

 叔母は、出された座布団に座り、足を伸ばすとため息交じりに言った。

「姉さんに、ありがとうって言おうと思ったけど、ダメだったわ」

 郷田と父は、顔を見合わせる。

「子供の頃から、姉さんは体が弱かったわ。小学校の頃、肺炎で生死の境を彷徨ったって知ってる?」

「聞いたことがあります」

「いろいろ大変だったわ。お礼なんてない。謝ってもらわないといけないことばかり」

 叔母は、母の亡骸に視線を向けるといった。

「でも、それも永遠に言ってもらえなくなっちゃった」

 とても、寂しい目だった。

 郷田は、叔母が母に対して抱えていた複雑な思いの一端を垣間見た気がした。


 その後、湯灌が始まった。

 3人の女性が来て、湯灌が何かを説明する。そしてシーツが掛けられたまま、母の体は清められ、郷田が持ってきた服が着せられ、棺に入れられた。その過程を、郷田、父、叔母は3人で見守った。

 顔は綺麗に化粧が施され、目も閉じられた。

 花が敷き詰められた寝棺の中で、白いワンピースを着て横たわる母は、本当にただ寝ているだけのようにしか見えなかった。

 そこから、棺は花祭壇が用意された式場へ移され、通夜という形になったが、元々千葉へは母の治療のために来ているため、あまり知り合いもいない。地元である福岡から何人か来てくれるそうだが、それも明日の葬儀からになりそうだ。

 それでも、父の仕事の関係者や、郷田の通う神崎高校の理事長、先生たちが来てくれた。

 そして、あたりも暗くなってきた頃、息を切らせた制服姿の冬希が、葬祭場に現れた。

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