第212話 高校総体自転車ロード 第6ステージ(筑波サーキット)④

 神崎高校の学生食堂で、インターハイ自転車ロードの中継をTVで見ていた荒木真理、浅輪春奈の二人は、自分達の周囲に人が増えてきたのを感じた。

 自習していた生徒、部活をやっていた生徒達も、自転車競技部のレースが気になるようで、野球部、サッカー部、バスケ部、バレー部、卓球部、柔道部、剣道部、そして文化部ではまだ練習開始時刻になっていない吹奏楽部の先輩たちの姿もあった。

 先生たちの姿もあることから、顧問に無断で抜け出してきたわけではなさそうだった。

 神崎高校には、公共交通機関での通学が難しい地域の生徒のために、通学用のスクールバスがあり、夏休み中は希望者を乗せてインターハイ自転車ロードの応援に使用されることもあったが、第6ステージはスタート時間が早朝だったため、使用されなかった。いつもはそちらへ行く生徒たちも、学食に集まって応援している。

 学食以外に、視聴覚室でもTV中継を見ることができるが、そちらは飲食禁止のため、学食の方に集まる生徒の方が多かった。

 インターネットでも中継は行われているが、TVと違って実況も解説もないため、そちらで観戦しようとする生徒は多くない。

「位置取り争いが激しくなってきたね」

「うん」

 真理も、徐々に自転車ロードレースに詳しくなってきた。

「冬希くん・・・」

 春奈は、T V画面の中、密集した集団の中にいる冬希の姿を、思い詰めた表情で見つめていた。


 残り3周になった。

 松平の会津若松高校も、土方の函館第一も、草野の八雲商業も、柴田の富士吉田工業も、それぞれまだアシストを2枚残している。余力は十分だ。

 神崎高校は、船津が集団後方に下がっており、冬希のアシストは郷田1枚。佐賀大和も、坂東兄弟を集団前方に押し上げた後、天野が下がっていっており、弟の裕理のみ。清須高校も岡田の姿は見えず、山賀と赤井だけしかいない。

 慶安大附属に至っては、露崎一人という状況だ。

 慶安大附属は、もともと総合系のメンバーで揃えていたため、阿部も植原もスプリンターのリードアウトの経験がない。露崎自身も、ソロのスプリントに慣れているため、むしろ単独の方がやりやすいと、二人を下がらせていた。

 アシストを2名残しているチームたちは、そのアドバンテージを生かして、残り2周、4kmに入ったところで、早めに先頭に並びかけた。4校が並走する形でポジション争いをしている。自校のスプリンターを可能な限り前の方でスプリントに参加させたい。

「そろそろ行くぞ」

 郷田が前を見たまま冬希に言った。

「え、もうですか?」

 49周目のダンロップコーナーを過ぎた辺りだ。まだ1周半以上残っている。リードアウトするアシストが動き出すには早過ぎるタイミングだ。

「早めに前に出ておかなければ、露崎にロングスプリントを仕掛けられた時に、反応できない」

 郷田は、第2ヘアピンのバンクを使って、大外から一気に先頭に飛び出した。

「うおっ!」

「マジか!!」

 塞ぐ暇もなかった。その余裕があったとしても、全日本チャンピオンの進路を塞ぐなどという礼儀知らずな行為を、他校のアシストたちが行えたかどうかはわからない。

 とにかく郷田は先頭に出た。真後ろには光速スプリンターの冬希がいる。

 全日本チャンピオンの証、日の丸をあしらったナショナルチャンピオンジャージを着た郷田が、バックストレートを先頭で駆け抜けていく。

 他のチームは、郷田と冬希の神崎高校のトレインの後ろに入り、郷田がペースを落として先頭から下がっていくのを待つことにした。この時は、日向、山賀といったアシスト達は、郷田の動きを、冬希を前方に押し上げるためのものだと考えていた。

 その考えは間違ってはいなかったが、ゴールスプリントでリードアウトするにしては、動き出すタイミングが早すぎたため、前方に押し上げるためだけに先頭を曳いているものだと思っていた。

 最終コーナーを過ぎメインストレートで、カランカランと、最終周を告げるベルが鳴らされる。

 ピットウォールに立った神崎は、メイン集団の先頭を曳く日の丸ジャージの郷田を見て、なんと美しい光景だろうかと思った。郷田を先頭に、▲のような隊列でメインストレートを走っていく。

「あの人、いつまで曳くとや!?」

 郷田が下がるのを待って、エースである兄の坂東を押し上げようと目論んでいた弟の裕理が、流石に焦り出した。

 もうレースも2kmを切った。

「もういい、上げろ」

 他のスプリンターたちより後ろに位置している坂東は、弟に指示を出した。

 裕理は、ペースを上げ、坂東を牽引しつつ、郷田に並びかける。すると郷田はペースを上げて裕理を並ばせない。

「兄貴、もうだめだ!」

 裕理は、あっという間に脚を使い果たした。

「もういい、下がれ」

 ふらふらになって目の前で落車でもされたらたまらんと、坂東は裕理に下がるよう指示を出した。

 裕理は、大きく右に外れて、ペースの遅い人ゾーンに逃げていく。

「郷田のやつ、イッてやがるぜ。このままゴールまで引っ張るつもりだ」

 坂東は、冬希の後ろを走る日向に並びかけ、その後ろの松平にも聞こえるように言った。

 ダンロップコーナーを過ぎても、郷田は先頭を譲る様子はない。

「やらせん!」

 清須高校の山賀が、先ほど郷田が仕掛けたのと同じように、第2ヘアピンの大外から赤井を引き連れて、郷田に並びかける。

 山賀は、2年生ながらも郷田と似たタイプで、平坦を一定ペースで、高速で走り続けることに定評があった。鍛え上げられた巨躯を持っており、そういった意味も郷田に近い。

 清須高校は、総合4連覇を義務としてこのインターハイにやってきた。しかし、現状は1回のステージ優勝も挙げられず、岡田は総合3位となっている。表彰台はなんとか確保できたが、ステージで1勝もできていない状況であり、せめて今日1勝を挙げなければ、地元に帰れないと山賀は思っていた。

 しかし、バックストレートで郷田に並びかけた瞬間、強烈な向かい風を浴びることになった。

「ぐぬぬぬぬぬ」

 必死に向かい風に耐える山賀だが、郷田が平然と先頭を曳いていることが信じられなかった。山賀は、とてもではないが、同じスピードで郷田に並走することができない。

 徐々に下がっていくことしかできなかった。

 山賀と郷田は、タイプは似ているが、まだまだ役者が違う。坂東は、郷田の全日本チャンピオンとしての走りを認めざるを得なかった。

 坂東も含め、他校のスプリンター、そしてそのアシストたちも、郷田の後方で向かい風をやり過ごすことしかできなかった。


「早めに郷田を潰さなければ不味いな」

 バックストレートの半ば、露崎が動いた。

 このプロトンの中で、郷田に並びかけることができる選手は、露崎しかいない。

 しかも、郷田はずっと前から先頭を曳いており、並びかければすぐに突き放せると、露崎は思っていた。

「来たか」

 しかし、郷田は左側から上がってくる露崎に並びかけさせないように、さらにペースを上げる。

「こいつ!」

 最終コーナーを回り、最後の直線に入る。

 しかし、まだ郷田は先頭を曳き続けている。

 残り200mを切ると、露崎がスプリントの体制に入る、下ハンドルを握り、腰を上げ、姿勢を低くする。

 一気に露崎が、郷田と冬希のトレインに迫ってくる。

 ワンテンポ遅れて、郷田が冬希を発射する。冬希も全力全開でスプリントを開始する。

 これが最後だ、後のことなど考えない。

 懸命に左側のハンドルを引きつける、そして引き付けている側の脚を踏みこむ。

 今度は右側だ。

 郷田の真後ろとはいえ、ペースが早過ぎて、すでに呼吸は限界に近かった。

 残り200m弱、筋肉が動かなくなったらおしまいだ。

 左側から、露崎の気配を感じる。

 間違いなく、冬希に迫ってきている。

 純粋なスプリント能力なら、冬希は高校でもトップクラスだった。しかし、それは国内での話で、露崎はさらにその上を行っていた。

 しかし、露崎の迫るスピードは、冬希の予測を下回っている。

 露崎は、最終コーナー手前で郷田に並びかけようとする際に、少なからず脚を使っていたのか、思ったほど伸びない。

 それでも着実に、冬希に迫ってくる。

 単独スプリントでありながら、発射台つきスプリンター、それも光速スプリンターと呼ばれる冬希が、完璧なリードアウトのもとで全力スプリントを行なっている状況で、そこに差を詰めてくる。

 そして、二人はゴールラインを通過した。

 前方から撮影されたTV中継では、どちらが勝ったかは全くわからなかった。

 しかし、横から見ていた神崎高校の神崎、潤、柊の3人には、30cmほど冬希の方が先着したことが見えていた。

 そしてそのことは、冬希にも露崎にもわかっていた。

 冬希は、小さく右手を上げた。

 喜びの表現というわけではない。

 全国高校自転車競技会の時、冬希が勝ってもガッツポーズなど一切しないことから、見てる側は誰が勝ったかわからないよ、と春奈に言われていたからだった。

 冬希は、後ろを振り返った。

 露崎と自分以外、後続がだいぶ離れていたことを、その時初めて知った。

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