第178話 嵐の前の静けさ

 第2ステージの朝、愛知の岡田、山賀、赤井の3人はホテルの前で自分たちのロードバイクの点検を行なっていた。

 コーチの藤堂はトライアスロン出身で、自分のバイクは自分でメンテナンスするという方針を徹底させていた。

 トライアスロンでは、パルクフェルメという自転車保管場所があり、選手以外が立ち入りできなくなる。選手が自力で戦うスポーツであり、自転車の整備などについても外部の力に頼らないという競技の趣旨があるためだ。

 そのため、部員が多く所属する清須高校でも、後輩や整備を得意とする部員に丸投げをするというようなことは行われていない。

 この辺りの考え方は、自分のことは自分でやるという神崎高校の方針に似ているかもしれない。

「赤井、足の調子はどうだ」

 岡田が、1年生の赤井に聞いた。

「痛みもありません。ご心配をおかけしました」

 しっかりアイシングしたおかげか、赤井の足の痛みは綺麗に無くなっていた。ただ、レース後のローラーに乗ってのクーリングダウンも行なっていないため、疲労物質が体にまだ残っている。

 3人の元へコーチの藤堂がやってきた。

「わかっていると思うが、今日はスプリントは禁止だ。集団の中でしっかり休んで明日以降に備えろ」

 赤井は、今日新人賞のホワイトジャージを着用している。

 新人賞の冬希がスプリント賞も獲得しており、そちらのグリーンジャージを着用するため、新人賞は繰り下げで赤井が着用することになった。そのことについて、赤井はもう冬希を意識はしていなかった。自分の浅はかさがチームに迷惑をかけてしまうところだったのだ、赤井としては、そっちの方が重大な問題だった。

「赤井、調子が良いのだと思うが、調子が良すぎると、体が限界を超えて動いてしまい、かえって体にダメージが与えることになる」

 赤井は、静かに頷いた。昨日の自分の体に起こっていたことが、まさしくそれだと思った。

「その力は、明日以降でチームのために使ってくれ」

 藤堂は諭すように言った。

 昨日のレース後、藤堂のところに、前理事長の夫人でもある、現在の理事長から電話があった。

 理事長は、初日からスプリント2位となった赤井の走りに上機嫌だった。

 藤堂がコーチになってからの清須高校の闘い方として、通常であれば、山岳ステージが始まるまでは動かず、山岳ステージになってから一気の総合争いでトップに立つということをやってきた。

 それが、第1ステージから赤井が見せ場を作ったので、喜びから電話をかけてきていたのだ。

 理事長は何もわかっていない、逆に総合争いで他校に比べて1枚アシストが少ない状態で戦わなければならない危機的な状況になるところだったのだ、と藤堂は思いつつも、理事長の激励に感謝の言葉すら添えて、電話を切った。

 簡単なことではない。圧倒的に自分達の実力が抜きん出ているわけではない。露崎のような化け物を相手にインターハイ総合4連覇を目指さなければならないのだ。むしろ追う立場と言っても良いぐらいだ。

「岡田、山賀、赤井、今日は総合リーダーの露崎がいる慶安大附属がメイン集団をコントロールするはずだ。逃げ集団に総合上位の選手が入らないようにだけ気をつけて、後は慶安大附属に仕事をさせろ。奴らをできるだけ疲弊させるんだ」

 藤堂から総合上位の選手の名前とタイム差が書かれた紙が渡される。第1ステージが終わったばかりのため、まだまだ人数が多い。

 そのリストの選手のうち、誰かが逃げに乗ろうとした場合、総合上位勢と協力しながら逃げを潰していくことになる。

 万が一、逃げ切りでも許してしまえば、総合リーダージャージと、明日以降のステージでの戦いで、大きなアドバンテージを奪われることになる。

「あと、ゴール前の市街地はコーナーが入り組んでいる。市街地に入るのは残り3kmを切ってからになるから、落車が発生してもタイム差は付かないが、怪我だけはしないように」

 はい、と3人が返事をすると、藤堂は頷いた。

 今日は自分達の活躍できるステージではない。総合リーダーでもない。何事もなく集団でゴールできればそれで良いのだ。


 冬希は、ホテルの自分達の部屋の窓から、海を見ていた。

 海を見ていると、気持ちが落ち着く。自分は海が好きなのだと、改めて感じていた。

「今日は、風もほとんど無いようだ」

 船津がやってきて言った。

「横風や向かい風じゃないのは、楽で良いですね」

「露崎を倒す、何か良い策は思いついたか?」

「まあ、全くないわけではないですが、勝率は10%もないですね」

「そうか」

 船津は苦笑した。

「青山、お前にはやっぱりグリーンジャージが似合っているよ」

 全国高校自転車競技会では、序盤に冬希が着用していた総合リーダージャージを、船津が着用するようになってからは、ずっとグリーンジャージを着用していた。普通の神崎高校のジャージを着用している方が違和感があるぐらいだ。

「郷田も、ようやくお前に、全日本選手権の時の恩返しができると、張り切っている」

 その郷田は、全日本選手権優勝者として、ホテルのロビーで取材を受けている。

「ありがたいですね」

 今朝、冬希に真理からメッセージが届いていた。今日も学校の応援のためのバスで、ゴール前に応援にしてくれるらしい。露崎のことがあるので、今日に限って言えばあまり来てもらいたくは無かったが、真理が来る以上、露崎を倒すしかない。

「なんとか勝てるように頑張ります」

 そういう冬希の口調は、いつもと変わらないように船津には聞こえた。

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