第156話 全日本選手権 表彰式

 郷田は大の字になったまま、晴れ渡った空を見上げている。

 息が整うまでは、動けそうにない。

 全日本選手権で優勝したことを理解して、郷田が最初に思ったことは、表彰式に出ていて、飛行機の時間に間に合うのかという点だった。

 そして、次に思ったのが、この結果を母親に報告したいということだった。

 冬希もゴールして郷田のところへ走り寄ってきた。

「郷田さん、おめでとうございます」

「人使いが荒いぞ」

 郷田は苦笑しながら、顔を覗き込んできた冬希のヘルメットを、拳で軽く小突いた。

「だが・・・ありがとう」

 冬希は笑っている。本当に嬉しそうだ、と郷田は冬希を見て思う。

 冬希は、全国高校自転車競技会でステージ4勝したが、一度としてゴール時にガッツポーズなどしたりはしなかった。だが、先ほど郷田がゴールする時、冬希は自分が勝った時にもしなかったほどの喜びようだった。

 それが青山冬希という男なのだ、と郷田は思う。だからこそ、郷田はこの男のために働こうと思うのだ。

 今日は立場が逆になったがな、と郷田は苦笑して、冬希は怪訝そうにそんな郷田を見た。

「それはそうと、青山、今何時だ」

「え、えっと、12時10分を過ぎたところです」

 郷田の母親の事情を聞かされていない冬希は、いきなり時間を聞かれたことに多少面食らいながら、自分のサイクルコンピュータを操作して時刻を見た。飛行機の出発まで、1時間半といったところだ。空港まで30分ほどかかる。

「すまんが、起こしてくれ」

 郷田は、手を伸ばした。冬希は、郷田の手を握って起こそうとするが、冬希もヘロヘロな上、ビンディングシューズではしっかり踏ん張れずに、ガタイの大きな郷田をうまく起こせない。

 横からスッと手が伸びて、郷田のもう片方の手を掴んで起こす。大里だ。

 大里は、ゴール前で冬希を抜き、坂東に次ぐ3位でゴールしていた。

 さらに後ろから、菊池が郷田の背中を押して起き上がらせる。

 菊池も大里も、郷田が勝ったのであれば、仕方ないと思っていた。二人とも間近で見ていたからこそわかる。全日本チャンピオンとして相応しい走りだった。

 

 2位に入った坂東は、冬希たちを見ていた。

 敗因はなんだったのか考える。後輪がパンクしたことで、一緒に先頭集団を追う予定だった天野の離脱を招いた。後輪のパンクは、美幌峠の下りで、シャイニングヒルの二人を引き離すために、無理をしたことが原因だった。

 先頭集団に追いついた時に一気に単独でアタックをかけていれば、とか、郷田が抜け出した時に追っていれば、とか、ターニングポイントは幾つもあった。だが、個々の判断が間違っていたとは、どうしても坂東には思えなかった。

「坂東さん」

 天野がゴールして坂東の近くまで来た。

「天野」

「はい」

 天野は、坂東に名前を呼ばれると、反射的に背筋を伸ばす。

「お前、一人で先頭集団に追いついてきたのか」

「はい、先頭集団のペースがあそこまで落ちなければ、とても追いつけませんでしたけど」

 ゴール前3kmから、先頭集団のペースは格段に落ちていた。そこから郷田が抜け出した後の、集団内の誰も追わないという「お見合い」の発生により、先頭集団は極端に遅くなっていた。

「天野、お前が青山を倒せ」

「え?」

「あいつはまだ1年だ。このままでは、あいつに3年間もデカい顔をさせることになるぞ」

 坂東は、思わぬ拾い物をしたかもしれないと思った。全国高校自転車競技会の時、天野を選手に選んだのは坂東ではなかったが、育てれば面白いことになるかもしれない。

「裕理に帰り支度をさせておけ」

 坂東の弟、坂東裕理は、スタート直後に脱落し、最初のチェックポイントでタイムアウトによる失格となっていた。


 ゴール直後、神崎が大会の運営に大まかな事情を話し、時間を前倒しして表彰式を行ってもらうこととなった。

 神崎としてもスタート前、郷田の優勝の可能性について、考えないでもなかったが、基本的には冬希で勝負するつもりでいた。登りも下りも上手くない冬希がいるため、2つ目の山岳を下り終えるまではひたすら我慢で、平坦になって、どの程度差を縮められるかの勝負だった。

 先頭集団内のローテーションが上手くいかなかったという点には助けられたが、他のチームの選手とも協力して上手く追いつき、最後は選手たち自身の判断で、うまくチームとして優勝を持ち帰ってくれた。

 大会の運営側も、優勝選手のチームの監督からの申し出に、理解を示した。

 事情が事情だけに、表彰式を理由に引き留めるわけにもいかないが、優勝者がいない表彰式だけは避けたかった。幸いにも表彰台に上がる3人は、既にゴールしている。

 表彰式では、郷田、坂東、大里がそれぞれ金、銀、銅のメダルを授与され、郷田に全日本チャンピオンのジャージが贈られた。

 まだ着用している姿はしっくり来ないが、着用しているうちに貫禄が出てくるはずだ。

「郷田選手、車の用意が出来ています。着替えは車の中で」

「ありがとうございます」

 郷田は、着替えや貴重品などが入ったリュックだけを持って車に乗り込む。大きな荷物や自転車は、冬希たちが郷田の自宅に発送する予定だ。

 本来は、神崎が空港まで送る予定だったが、大会運営側がニュートラルカーの1台で空港まで送ってくれることになった。車には大会の広報のスタッフも乗っており、簡易的だが優勝コメントを聞かせてほしいと言われている。

 大会運営としても、郷田のコメントもほしい。さらに優勝選手と監督が両方不在になると困るという理由もあった。

 運営側が郷田を空港まで送る代わりに、神崎は残ってチームの作戦やレースの感想、今後のことについて話をすることになった。


 完走者は40名程度だった。他の選手達は、道路の交通規制の時間制限のため、足切りされて失格になったか、勝ち目のなくなった時点で、自主的にリタイアしていた。

 インターハイも近く、ここで勝ち目がなくなってでも無理して完走するような指示を出すチームはなかった。

 冬希は、ゴール前でハンドルから両手を離してバランスを崩したことに対して、大会側から厳重注意を受けていた。周囲を危険に晒したという理由だ。

 それでも、表彰台には上がれなかったものの、6位以内が入賞のレースで、4位で賞状をもらうことができた。

 シャイニングヒルは、大里誠が3位で、菊池翔馬はギリギリ6位で入賞だ。

 大会本部で菊池も賞状を受け取り、帰り支度をしていると、大里のスマートフォンに電話がかかってきた。発信者を見ると、大里と菊池が所属するチームの代表を務める人物からだ。

「光岡さんだ」

 大里が言った。菊池が頷く。大里は、スピーカーにして電話をとった。

「もしもし」

「誠か。レース見ていたぞ」

「すみません、勝てませんでした」

「いや、3位表彰台おめでとう。翔馬も6位入賞よくやったな。いいレースだった」

 菊池は言葉を失った。ここ1年ぐらいは何度勝っても褒められることがなかった。しかも、いいレースだったなどと光岡から言われたのは、これが初めてだった、

「ありがとうござ・・・」

「ありがどうございまず!!」

 大里が言っている途中から、涙声になった菊池が鼻水を啜りながら叫んだ。

「ごれがらもみんなではじっでいだいでず」

 それにしても良く泣くやつだ、と菊池を見て大里は思う。しかし言っていることは、大里が思っていることと同じだ。

「俺もです」

 大里は短く言った。

 全日本チャンピオンには、なれなかった。

 だが、今日のレースは楽しかった。

 自分達の無力さとか、アシストの選手の存在とか、今まで気づけなかったことに気がつけた。

「気をつけて帰ってこい」

 そう言った光岡の声が、心なしか少し嬉しそうに、大里には聞こえた。


■全日本選手権リザルト

1位 9:郷田 隆将:神崎高等学校 0.00

2位 1:坂東 輝幸:佐賀大和高等学校 +0.02

3位 23:大里 誠:シャイニングヒルズ +0.05

4位 8:青山 冬希:神崎高等学校 +0.05

5位 3:天野 優一:佐賀大和高等学校 +0.10

6位 22:菊池 翔馬:シャイニングヒルズ +0.11

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