第154話 全日本選手権⑦

 神崎高校の郷田、冬希、そしてシャイニングヒルの菊池、大里は、4人でローテーションしながら、前の先頭集団、そして坂東を追い続けていた。

 しかし、冬希はもとより、菊池、大里もアシストあってこそのエースというタイプの選手だったため、そこまで先頭を走ることに長けているわけではなかった。

 冬希、菊池、大里の3人は、涙と鼻水と涎で顔面をぐちゃぐちゃにしながら、止まることの許されない地獄のトレインで先頭交代をし続けていた。

 3人を千切らないように、多少ペースを抑えながら走っていた郷田は、3人を休ませて、自分が先頭を曳くと言った。元々、郷田は一人で、冬希を先頭集団まで送り届けるつもりだったのだ。むしろ3人が一緒に先頭交代に加わってくれたおかげで、脚もスタミナも回復した。逆にこのままでは、先頭集団に追いついたとしても、冬希が使い物にならなくなっている可能性が高い。というか、すでにもう半分スクラップだ。

 郷田以外の3人は、ようやく涎や鼻水を拭くことができた。

 郷田の一人牽きにより、このグループのスピードは、4人でローテーションしていた時よりも、むしろ上がった。

「アシストの選手ってすげえな」

 大里がポツリと漏らした。

「なんでこんな奴が、お前なんかのアシストしてるんだ?」

 自分で勝った方がいいだろうに、と菊池が冬希を見ながら言った。

「ぐうの音も出ないです」

 冬希が苦笑しながら言うと、郷田が答えた。

「適材適所という奴だ」

 郷田からすると、不思議なことではない。スプリント力も登坂力もない郷田が勝とうとすると、早めに抜け出して、ハイペースで逃げ切るしかない。しかし、メイン集団は強力な選手だとわかっていて逃がしてくれたりはしない。全員で協力して郷田を潰しに来るだろう。

 郷田からすると、勝てる選手というのは、「こいつが勝負してくる」とわかっていても、その選手が勝つことを防ぐことができないような選手なのだ。

 光速スプリンターと呼ばれ、周囲から警戒されていても勝ち続けた冬希がそうだし、ヒルクライムで総合1位になりながら、尾崎や近田、植原と争って競り勝った船津もそうだ。

 郷田が勝つとしても、不意打ちの1回がせいぜいだ。その後は警戒されて、何もできなくなることが目に見えている。

「でもまあ、凄いアシストというのは、凄い選手であることは間違いないと思いますよ」

 冬希は言い、菊池と大里は、自分達の日頃の態度を後悔した。もしかしたら、菊池たちのチームの代表は、それを学ばせるために、菊池、大里という二人だけの組み合わせでエントリーしたのかも知れないとすら思えた。

 冬希たちの前を走っていたモトバイクが、ホワイトボードで先頭とのタイム差を教えてくれた。

 中々縮まらなかった先頭集団との差が、急に詰まり始めた。

「なんだ?先頭で何かトラブルでもあってるのか?」

 菊池が疑問を呈すが、冬希と郷田には、なんとなく理由が想像できていた。


 坂東は、持てる全ての力を出し切って、先頭集団を追い続けた。

 現在は先頭集団や坂東にとって向かい風だが、国道39号線に入ると、進行方向が変わってしまうため、また先頭集団が息を吹き返す可能性が高かった。そうなる前に、何がなんでも先頭集団を捕まえなければ、坂東に勝ち目はなかった。

「捕まえた」

 先頭集団の8人を捕まえることに、坂東は成功した。

 集団の最後尾につけると、坂東は先頭の8人の面子を確認した。

 月山高校の秋葉、北阿蘇高校の小泉、福岡産業高校の舞川、GTOの西田、北薩摩高校の大山、諫早レーシングの伊藤、尾張第一高校の有永、坂本高校の若月。

 実績で言えば、全国高校自転車競技会でステージ優勝を挙げた秋葉だが、スプリント力で言えば、GTOの西田が1番だろうと、坂東は睨んでいた。だが、どちらもゴール前では坂東の敵ではない。

 しかし、先頭集団の8人も、そんなことは百も承知だった。

 坂東が先頭集団に追いついてしまったため、彼らの勝率は一気に下がってしまった。このまま坂東と一緒にゴール前まで行ってしまっては、ほとんど勝ち目はない。

 勝利を目指して均等にローテーションしていた先頭集団は、突然機能不全に陥った。

 先頭集団のほとんどの選手は、先頭交代に加わることを拒否した。この中で坂東が1番強いのだから、坂東が曳けばいいではないか、というのだ。しかし、坂東が脚を使って疲弊すれば、自分達にもチャンスがあるという下心が見え見えだった。

 坂東は、ここで選択を迫られた。坂東としては、機能不全に陥った先頭集団を棄てて、単独でゴールを目指すという選択肢も、無くはなかった。しかし、先頭集団に追いつくために脚を使い切ってしまった坂東には、残り30km近くを単独で走り切れる確信もなかった。少しは、集団で脚を休める必要がある。

 後方から、グループ神崎高校&シャイニングヒルという表示の集団が迫ってきている。

 メンバーは間違いなく、あの4人だろうと坂東は思った。4人の中に、勝負して来るスプリンターが2名もいる。冬希と大里だ。追い上げてくるスピードはそこまで速くはないが、ぐだぐだしていると、あっという間に追いつかれてしまう。

「お前ら、早くしないと後続に追いつかれるぞ。大里と青山が来ている」

 坂東が言った。

「青山、あの光速スプリンターか・・・」

 大山が息を呑む。大山は全国高校自転車競技会で、冬希のスプリントを目の当たりにしていた。

 集団に動揺が走る。

「みんな、このままのペースで走っても、状況が好転することはない。みんなで先頭を回しながら行こう」

 秋葉と舞川が一人一人に声をかけていくが、みんなバツが悪そうに視線を逸らす。

 監督から、スプリンターに追いつかれたら、先頭交代に加わるな、という指示を受けていた選手もいるのだ。監督と連絡を取る手段もなく、今となっては、スタート前の言いつけを守り続けるしかない。

 結局先頭交代に加わったのは、秋葉と舞川と坂東の3人だけだった。残りの6人は、先頭交代している3人の後ろについて走っている。

 坂東は、もう少し休んでいたかったが、仕方ない、と自身も積極的に先頭交代に加わった。

 だが、先頭交代に加わらないメンバーが6人もいる集団を牽引するのは、精神的にかなり苦しいものがあった。秋葉、舞川、坂東の3人は、巨大な重石を引き摺りながら走っているような感覚を感じていた。


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