第145話 郷田の決意
羽田空港で大きな荷物を預け、身軽になった冬希たちは、手荷物検査場を抜け、搭乗口で飛行機の出発時刻を待っていた。
紅い鶴のマークの入った飛行機は、すでに駐機場に停まっており、機内の清掃などが行われている様子だった。
「全日本選手権のスタートリストが出ていましたね」
潤がタブレットを操作して監督兼理事長の神崎に見せる。
「メンバー構成が面白いね」
神崎が指でスワイプしながら、感心したように言った。
冬希も覗き込んで見る。
「なんか、春先にやった大会の半分ぐらいの人数ですね」
エントリーされているのは、113人。全国高校自転車競技会は、1チーム5人が47都道府県の数だけいたので、235人もいた。
「全日本選手権は、出場条件が厳しいんだよ。全国高校自転車競技会で各ステージ20位以内とか、スプリントポイント何ポイント獲得とか、後はインターハイとか、国体とか、去年の全日本選手権の上位とか」
「全日本選抜とか、全日本アマとかもそうですね」
潤が、クイっと眼鏡を上げながら補足する。
「出場する選手が絞られる分、全員がエースクラスだから」
冬希が見る限りも、坂東、4大スプリンター、福岡からは舞川もエントリーしている。
「あれ?」
「そう、気づいたか。メンバーが両極端なんだよ」
舞川は、近田のアシストをやっていた生粋のクライマーだ。しかしガチガチのスプリンターも少なくない。
「明日のゴールって、平坦ですよね?」
冬希が疑問を呈する。今年の全日本選手権のコースレイアウトは、スタート直後に上りがあり、一旦降って屈斜路湖畔を走った後は、美幌峠を登って、降り終えたら後はひたすら平坦だ。
「ゴールはね。でもその前にある2つの山岳が問題なんだよ」
神崎は、タブレットを操作しコースレイアウトを見せる。
「実はこのコース。3年前の北海道国体で全く同じコースレイアウトでレースが行われたことがあるんだよ。その時、各県はみんな強力なスプリンターを用意してきたんだけどね」
神崎はもったいつけるように一度、ペットボトルの水に口をつける。
「勝ったのは、生粋のクライマーだったんだ。それも1位から20位まで全員」
「スプリンターたちはどうなったんですか?」
「最初の登りで、ほとんどの選手が脱落していったよ。2つの山岳を乗り越えたクライマーたちは、みんなで協調してローテーションを回しながら走り続け、ゴール前で一応のスプリントは行われたけど、まあクライマーたちの中で比較的スプリントができる選手が勝ったって感じだった」
「だから、クライマーの選手が多いんですね」
エントリーリストを見る限り、登り逃げ職人の秋葉もいるし、他にも全国高校自転車競技会で山岳アシストをやってた選手も多い。
「この人たちは知らないですね」
エントリーリストには、所属が学校名になっていない選手たちも半分ほどいた。
「それは、クラブチーム所属の選手たちだ」
潤が言った。全国高校自転車競技会や、インターハイのように、高等学校の部に在籍している選手のみエントリー可能な大会も多いが、国体や全日本選手権のように、一定以上の成績を残している選手は、個人や民間のクラブチームでも参加が可能な大会も存在する。
「シャイニングヒルズの菊池は、成人に混じってのヒルクライムで表彰台経験もある。同じチームの大里も、大分で行われたクリテリウムのエリートクラスで、坂東を破って優勝していた、強力なスプリンターだ。どちらも全国最強クラスの選手と言っていいだろう」
潤は、他にもクラブチームの有力選手を幾人か挙げていく。参加者全員がエースクラスというのは本当のようだ。
「そろそろ搭乗だぞ」
柊に声をかけられて、潤と冬希が顔を上げる。神崎と郷田は既に荷物を持って立ち上がっているし、搭乗口に行列ができていた。
冬希と潤も、荷物を持って立ち上がった、
「冬希、早くしないと、席がなくなるぞ」
「無くなりませんよ!」
冬希は、急かす柊の後を追って、搭乗口の列に並んだ。
郷田は、飛行機で隣の席に座った冬希を見た。
冬希は、席に座るや否や、シートベルトを着用し、そのまま眠りについてしまった。飛行機は、まだ扉も閉まっていない。
不思議な男だ、と郷田は冬希を見て思った。
冬希の入部当初、神崎と船津に、冬希にスプリントをやらせてはどうかと言い出したのは、郷田だった。
郷田は、冬希が一瞬だけ見せるフルパワーのスプリントに可能性を感じた。それは一定ペースで走ることを得意とする郷田には、自分には無い大きな魅力に見えた。
二人とも、そんな郷田の意見を笑うでもなく、やらせてみるのもいいかも知れないと言った。
全国高校自転車競技会の第1ステージで、その場の空気からゴールスプリントを行う事になった。スプリンターの冬希をゴール前まで運ぶ仕事を郷田は行った。
郷田は楽しみだった。自分が見込んだ男が、全国でどのようなスプリントを見せるのか。健闘次第によっては、将来的にスプリンターとして活躍できる選手になるかもしれないと。
しかし、結果は将来的どころか、そのレース自体を勝ってしまった。
郷田は、信じられなかった。まさか、いきなり優勝するとは思っていなかったのだ。
そして、第2、第3ステージと連勝した。
郷田自身も、圧倒的スプリント力を持つ1年生スプリンターのアシストとしてTVにもよく映り、全国的に認知されるようになった。
よくTVに映るようになった我が子を、郷田の母はとても喜んでいた。入院中でなかなか会うことができなくても、息子の元気な姿を見ることができるのだから。
船津も総合上位で活躍するようになり、山岳ステージでは、船津のアシストも行った。郷田は八面六臂の活躍を見せた。名アシストとして注目されることもあったが、裏方の仕事の方が自分には合っていると思っていた。
船津や潤のように山岳に登れるわけでもなく、柊のようにキレのあるアタックができるわけでもない。冬希のようなスプリントも出来ない。ただ、高い負荷で長時間走り続けられるだけの、派手さのない自分の持ち味が活かせるのは、やはりアシストだと思っていた。
全国でスプリント賞を獲得した冬希は、傲慢になるでもなく、十分な敬意を持って郷田に接してくれていた。全国で総合優勝した船津と同等の敬意を向けられていることに、郷田は驚いた。
それどころか、取材などでスプリントを勝てた理由を聞かれると「郷田さんのおかげです」「郷田さんは信じられないぐらい凄い」と郷田を誉めるのだ。
自分は、こそばゆいと思うが、郷田の母は、父経由で持ち込まれた、そんな記事が書かれた新聞や雑誌を読む度に、大喜びで看護師の方々に回し読みさせているらしい。
郷田は冬希に感謝した。全国でも、自分ほど報われているアシストはいないと、胸を張って言えるぐらい、満たされている。
「なんとしても青山を勝たせる」
それ以外に恩の返し方を知らない。不器用かもしれないが、それでいいと郷田は思った。
飛行機は、決意を新たにした郷田と、呑気に熟睡している柊、冬希を乗せて、北海道へ飛び立った。
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