第144話 いざ、決戦の地 北海道へ
春奈と葛西臨海水族園に行った後、自宅に帰った冬希はベッドの上で天井を見上げていた。
すでに、自宅に着いた春奈からは、無事に帰宅した旨と、今日は楽しかったというメッセージをもらっている。
せっかくいい雰囲気になったのに、翌日からは全日本選手権のために北海道に行かなければならないのは残念だったが、今日は本当に楽しかったので、これ以上欲を出してはいけない気がしていた。
ふと、駅での一件を思い出す。
椅子に座らせた女の子を、横に寝かせようとした時、春奈は冬希の腕を掴んだ。
春奈の表情から、体が勝手に動いてしまった、というような雰囲気を感じ取った。それがなんだったのか、冬希はずっと考えていた。
痴漢行為をはたらこうとしたように見えた冬希を、未然に止めた、というわけではないはずだ。それならあんな反応はしなかったはずだ。
だとしたら、冬希に思い当たるのは一つだった。
嫉妬。
冬希は疑問に思う。春奈のような女の子が、自分などに関して嫉妬したりするのだろうか。そもそも、春奈は嫉妬などからは縁が遠そうな女子に見える。
可愛さと美しさを併せ持ち、快活で性格も良く、初めて会ったときは陰もあったが、今ではそれも嘘だったかのように、いつも楽しげだ。
彼女を人間的に嫌いだという人はいないのではないか。それこそ春奈に対する妬みを持つ人間ぐらいだろう。
冬希は自分に、春奈に嫉妬を抱かせるほどの何かがあるとは、到底思えなかった。
「うーん」
冬希が悩んでいると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
返事をすると、ガチャリとドアが開き、冬希の姉が入ってきた。
「どうしたの?あんた」
てっきり、ウキウキしながら帰ってくると思っていた冬希が、なぜか考え込んでいる姿を見て、姉は心配してくれているようだ。
「あ、お金ありがとう。半分ぐらい残った」
「あ、そう」
姉は、余ったお金を素直に受け取った。使い切れというのは、遠慮せずに使わせるための方便だったようで、使い切らなかったからといって、冬希を責めることもなかった。
「姉ちゃん」
「なに」
「俺、かっこいいのかな」
「はぁ!?」
姉は、何かおぞましいものでも見るような目で、自らの弟を見た。そして、扉の向こうに向かって大きな声で叫ぼうとした。
「お母さん!!冬希が自分のこと・・・・・・」
「だああああああ、お願いやめて!」
冬希は、嘘だから、と必死に姉に縋りついた。
翌朝、冬希は家族が起きる前に支度を終えて家を出ていた。
肩には、大きな自転車の入った輪行バッグを抱えている。通常の輪行バッグは、折り畳むとボトルぐらいの大きさになり、携帯に便利なのだが、飛行機に乗る用の輪行バッグは、自転車に傷がつかないように、ウレタンのようなもので保護されており、しっかりしているが、折り畳んでもあまり小さくならない。
輪行バッグを抱えての移動は、なかなか大変なものではあるが、冬希の自宅前の駅から、京急羽田空港まで直行する電車があるため、多少は気が楽だった。
冬希は、先頭車両に乗り込み、邪魔にならないところに輪行バッグを置くと、羽田空港まで、自転車の横にぼうっと立っていた。
駅に着くと、待っていたのは理事長兼顧問の神崎秀文だけだった。他には、郷田、潤、柊が来るはずだが、まだ到着していないようだ。
「やあ青山君、早いね」
「おはようございます」
早いと言っても、飛行機が出発するまで1時間しかない。
「神崎先生、少しお疲れですか?」
神崎は、祖父を亡くした。すぐにいつも通りの神崎に戻ったが、大恩人を亡くした喪失感は大きかったのかもしれないと、冬希は思った。
「いや、相続っていうのも色々大変でね」
「え」
冬希は、生々しい話が始まったと、ちょっと焦った。
「祖父の戸籍謄本を取って来いって銀行が言うんだけど、3歳の時からの戸籍謄本しか取れなくってねぇ。それ以前の戸籍謄本は、こっちでは無いんだって」
「はい?」
「祖父の出身が、大分の姫島ってところなんだけど、そこまで取りに行くのは嫌だと銀行と揉めてたんだよ。おかしいよね、3歳の祖父に子供がいる可能性なんて無いのに。そうそう、昔の戸籍の部分って、なんと手書きだったんだよ!」
神崎はケタケタと笑い、冬希はなんだか大丈夫そうだと思った。
そんな話をしていると、郷田、潤、柊の3人がやってきた。
「潤先輩と柊先輩も自転車持ってきたんですか?出ないのに」
「せっかくの北海道だからな、一度走っておきたいじゃないか」
柊が胸を張って言う。こういう時に止める役に回るはずの潤も、一緒に輪行バッグを持っていることから、潤自身も走ってみたかったんだろうと冬希は思った。
「さあ、自転車と大きな荷物はカウンターで預けて、機内に持ち込むのは最小限の荷物だけだからね」
神崎は、どこか楽しそうだ。全国高校自転車競技会の時も、本当は一緒に来たかったのだろうが、祖父のこともあり来れなかった。その分、今回は帯同できることが本当に嬉しいのだろう。
「さあ、楽しい楽しい全日本だ!」
神崎は、子供のようにはしゃいでいた。
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