第138話 光速ダイエッター

「ファスティングっていうのがあるんだけど、やってみる?」

 冬希は、帰宅後に姉に減量の方法を相談していた。

 冬希の姉は、肥満とは程遠い体型をしており、冬希は姉が定期的にジムに通って体を鍛えていることを知っていた。

「ファスティングって断食?」

「直訳するとそうだけど、実際には発酵させた野菜ジュースみたいなの飲んで、あとは水だけ」

「死んじゃうんですけど」

「3日間ぐらいだから大丈夫よ。私もたまにやるし」

「リバウンドとか大丈夫かな」

「うーん、あんたリバウンドしそうね」

 1.5倍ぐらいになりそう、と冬希を値踏みしながら言う。

「じゃあ、糖質だけでも抜いてみたら?」

「ご飯とかパンを食べないってこと?」

「そうそう。甘いものもダメね。肉とか野菜とかはいいけど、衣がついている揚げ物とか、甘いソースがついてるのも避けた方がいいと思う」

「肉と野菜は食べれるならそれで!」

 そして冬希の糖質制限が始まった。


「冬希くん、辛そうだけど大丈夫?」

 昼休み、いつもの利根運河沿いのベンチで、春奈は冬希を覗き込んだ。

 冬希の体調は、頗る悪かった。体に力は入らず、ロードバイクでの通学を断念し、電車とバスで登校した。頭も痛くて、授業中も頭が回らない。

「とりあえず、昼飯を食えばなんとかなるんじゃないかと思う」

 冬希は、自宅から持ってきた弁当を開けた。

「うわ、緑と茶色!」

 そこには、鳥の胸肉を細く切ったものと、ブロッコリーの2種類の食べ物で埋め尽くされていた。

「いただきます」


 糖質制限を行うと言った時、船津も潤も、調子が戻るまで部活を休むように言ってくれた。

 船津も、潤も同じような方法で体を絞ったことがあり、その辛さは身に染みてわかっていた。

 しかし、冬希の体も、3日から4日ほどで調子を取り戻し、炭水化物を摂らなくても、以前のように活動できるようになってきた。

 練習も再開出来たところで、体重も順調に減り始め、全日本選手権の1週間前には、糖質制限を行う前より、5kgも体重を絞ることに成功していた。

 冬希はそのことを、電話をかけてきた立花に自慢げに話していた。

「腹筋が割れたのよ」

『いや、俺はお前の腹筋の話を聞くために電話をかけたんじゃないぞ』

 用件を伝える前に10分ほども、いかに自分の体が絞れたか話を聞かされた立花は、本題に入る前に疲れ切っていた。

「で、用件は何なの?」

『俺は、あゆみと付き合うことになった』

「えええええええええ!?」

『そ、そんなに驚くことか?』

「お前ら、まだ付き合ってなかったのかと思って」

「あ、そっち」

 立花は、電話の向こうで苦笑している。

「おめでとう」

『ありがとう、俺たちも、お前らのように楽しくやって行けたらと思ってる』

「俺は、春奈と付き合ってる訳じゃないんだけど」

『なにいいいいいいい!?』

 立花が、先程の冬希に負けないほどの大声を上げる。

『お前、よく平気だな・・・・・・あんな子』

「え、なにが?」

『不安じゃないのか?あんなに明るくて可愛い子。絶対に彼女を好きな奴は多いだろう』

 立花は、理解できないといった体で、ため息をつく。

「そうかもな」

 冬希は、あまり深く考えたことはなかった。考えないようにしていたのかも知れない。

 冬希と一緒にいる時間が無くなるからと、生徒会長の誘いを断ったと聞いて、安心し切っていたのかもしれない。だが、いつまでもそれが続くという保証もない。

『俺がいうのもなんだが、早いうちにちゃんとしておいた方がいいと思うぞ』

 立花との電話が終わった後も、しばらく冬希は電話をしていた時と同じ姿勢で、ベッドの上に寝転びながら天井を眺めていた。

 冬希が神崎高校に入った理由は、荒木真理を追いかけてきたからだ。しかし、全国高校自転車競技会の第1ステージの六本松で彼女の姿を見て以来、全く会う事はなかった。一方的な片思いで連絡先も知らない。

 真理は普通科で、冬希は情報システム科で別フロアなので、普通に生活していても遭遇する機会が少ないのは当たり前だが、ここまで姿も見ないとなると、避けられているのではないかという気もしていた。

 冬希自身、彼女に対する負い目もあり、自分から積極的に会いに行くという踏ん切りもつかないでいた。

 そこまで思考が進んだところで、自分が考えすぎているのではないかという疑念を抱いた。

 考えすぎると、結局本当に大切なことが見えなくなる。全国高校自転車競技会の時に、冬希が潤に指摘したことだ。その思考の檻に、自ら閉じこもっているのではないか。

 その時、冬希のスマートフォンにメッセージが届いたことを知らせるバイブレーター音が聞こえた。

 スマートフォンのロックを解除すると、春奈からのメッセージが届いていた。

 明日は雨みたいだから残念だという旨の内容だ。冬希と春奈は、休日は二人で自転車で、江戸川サイクリングロードを「リハビリ」という名目でサイクリングするのが習慣となっていた。無論、雨の日を除いて。

 冬希は、ベッドから起き上がると、春奈にメッセージを送った。

『丁度いいから、前に約束した葛西臨海水族園、明日にしない?』

 春奈からの返事は早かった。

『行く行く!でも、全日本選手権だっけ?レースの3日前だけどいいの?』

 だが、実はもう準備は終わっているし、レース直前での激しい練習は、監督の神崎からも禁止されている。糖質制限もお休みで、筋肉にグリコーゲンを貯めるため、むしろ炭水化物の摂取を積極的に行うように言われていた。

『問題なし。練習も軽めでいいし、準備も終わってるし。少しは息抜きしたい』

『やった!じゃあ明日何時にどこで待ち合わせする??』

 開園時間や電車の時間を調べつつ、冬希は立花の言っていたことを脳内で反芻していた。 

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