第110話 全国高校自転車競技会 第9ステージ(武雄温泉~脊振山頂)⑧

 ここは、幸運だと思うべきだ。と有馬は思った。

 勝負する機会さえ与えられなかった中体連の時とは違い、今度は中体連王者の植原と真っ向勝負することができるのだ。勝つにせよ負けるにせよ、悔いの残らない戦いをすべきだ。

 有馬は、植原が追いついて来るまで、少しだけでも脚を溜めることにした。徐々に植原が迫ってくる、そして追いついた瞬間、今だ、とカウンターでアタックをかけた。

 しかし、植原も同時に加速し、離れない。強い、と有馬はつぶやいた。だが、ここで脚を止めても、植原に抜き去られるだけだ。もはや後先考えず、玉砕覚悟で脚を使い続けるしかない。

「有馬、僕は君にだけは負けるわけにはいかないんだ」

 植原が言い、有馬は驚いた。植原は自分など眼中にないと思っていた。

「植原、俺も同じ思いだ。お前に勝ちたい一心で自分を鍛え続けてきた」

 今度は植原が驚いた顔をしている。そして何か、納得したような表情で

「わかった。なら勝負だ!」

 と言った。有馬も、満足してペダルを回し続けた。

 中体連王者の植原と、中学時代に大人に混じってクラブチームで勝ち続けていた有馬との勝負は、実力的に拮抗しており、その戦いは1km続いた。だが、そこから植原がもう1段加速すると、有馬に抵抗するだけの脚は残っていなかった。

「有馬、今日のところは、僕の勝ちだ。また勝負しよう」

 植原がいうと、有馬は、はっとなり

「ああ、次は負けない」

 と応じた。インターハイ、国体、全日本選手権、今年だけでもまだ勝負できそうな大会は多い。この勝負の負けで全てが決まったわけではないのだ。

「また勝負だ。植原」

 有馬は、遠ざかっていく植原の背中を見つめた。


「強かった。次はどうなるか分からないな」

 遠ざかっていく有馬の気配を感じつつ、植原はなんとかペースを維持していた。

 植原も、有馬は仕掛けが早かったと思っている。ステージを勝つだけなら、もう少しメイン集団で体力を温存し、仕掛けを遅らせてもよかった。そして、有馬を要する1年生だけで構成された宮崎チームは、それをアドバイス出来るだけの経験豊富な上級生が存在しなかった。それが有馬の敗因だったと植原は思った。

 大人達に混じって走り続けて、結果を出してきた有馬は、中学生だけを相手に勝ってきた自分など、見下しているのではないかと思っていた。だが、それは誤解だったとわかった。

 いい勝負だったと思う。また勝負したいとも思った。

 ふと、後ろからエンジン音が聞こえた。運営のモトバイクだ。

 有馬についていた先頭のモトバイクは、植原の目の前にいる。

 まさか、と植原は振り向いた。そこには、メイン集団についていたモトバイクと、その後ろに船津、そして少し離れたところに近田がいるのが見えた。

 舞川を含め、他の選手達は既にちぎれたのか、2人の姿しか見えない。

「もう追いついてきたのか!」


 完全に脚が止まった有馬を抜き、植原の姿を見たとき、船津は申し訳ない気持ちだった。

 仕掛けのタイミングを植原に指示したのは船津だった。それで植原に追いつき、彼を抜くのは、船津の中で納得がいかないものがあった。

 だが、問題は後ろに近田が迫っていることだった。

 柊と舞川は、ほぼ同時に、それぞれ船津と近田を発射した。得意としている急な斜度の上りではないにもかかわらず、想像以上に近田はしぶとかった。

 船津だけなら、植原に勝ちを譲ればいいが、後ろに近田を連れてきてしまった。船津が譲っても、近田が勝ってしまっては意味がない。

 ゴールまで残り2km、まだ植原との距離はだいぶ開いている。なんとか頑張ってくれと、船津は祈るような思いで植原の背中を見つめていた。

 植原と船津の距離は、およそ100m。そして船津と近田の距離は、50m程度。レースは三つ巴で最終盤を迎えようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る