第96話 全国高校自転車競技会 第8ステージ(屋久島一周)③

 自転車ロードレースは、紳士のスポーツと言われている。

 ライバルの選手がリタイアしたところで、内心はどうあれ、目に見えて喜ぶ選手はいなかった。

 その一方、誰もが静岡のチーム力、というより、尾崎のアシストの力が半減したと思った。

 陸川、沢田、岸川といった他の静岡のアシストたちも、強力のアシストであることには変わりない。陸川に至っては、東海チャンピオンを獲得するほどの選手である。

 だが、それでも半減と言ってしまうほど、丹羽の力は大きかった。

「青山」

 船津が冬希のところまで上がってきて言った。

「今日のステージ優勝、狙いに行くぞ」


 船津は、かねてから冬希にスプリント賞を取らせたいと思って、神崎理事長に相談をしていた。

「神崎先生、自分は、青山にスプリント賞を獲らせたいです」

「船津君、君の想いはわかります。私も同じ考えです。しかし、総合優勝を最優先すべきという青山君の意見も一理あります」

 船津からすると、自分が総合優勝をして、一番の功労者とも言える冬希が4賞ジャージのうち、1つも得られないという結果は、素直に喜べるものではなかった。

 船津にとっては、自分の総合優勝と同じぐらい、冬希のスプリント賞に注力したい気持ちがあった。

「では、こうしましょう。総合優勝の確実性が増した時、または、第8ステージで総合2位の尾崎選手が確実に何も仕掛けてこないという確信が持てた場合、青山君にスプリント勝負してもらいましょう」

「はい」

「判断は、船津君に任せます。ただ・・・」

「なんでしょうか?」

「スプリント勝負したところで、勝てるとは限らないんですけどね」

 確かにそうだ。4大スプリンターの他にも、全国区のスプリンターたちが居り、そして中学最強と言われた立花もチームと合流して、ステージ優勝を虎視眈々と狙っている。

「青山君は、ロードレーサーとしての能力的には、全日本チャンピオンである坂東選手には遠く及ばないでしょう」

「はい」

「ですので、一度決めたら、しっかりとアシストしてあげて下さい」

「はい、心得ております」


 レースは終盤に差し掛かり、佐賀の坂東はスプリントポイント通過後にさっさと集団に戻り、脚の回復に努めている。

 メイン集団は、幸いにも弱く、短かった雨の区間もクリアし、逃げ集団との差を詰め始めていた。

「郷田」

 船津は、郷田を呼んだ。

「ゴール前3kmを過ぎたら、出来るだけハイペースで先頭を曳いてくれ」

「青山で勝負するのか」

「ああ、ただ直接青山を曳く必要はない。位置取りや仕掛け処は、青山に任せてやってくれ」

 ペースが速くなれば、隊列が長くなり、前を塞がれてスプリントできないという事態になるリスクを減らせる。そして可能な限り他校のスプリンターやアシストに脚を使わせたかった。

 後ろでは、冬希が柊に檄を飛ばされていた。

「冬希、お前昨日は何もしてないんだから、元気が有り余ってるだろ。今日はちゃんと仕事してこい」

「わかりましたよ。柊先輩」

「冬希、佐賀がトレインを組みつつある。あまり近づき過ぎないようにしろ。荒っぽい奴らだから」

「はい、潤先輩。気を付けます」


 残り15kmを切り、総合系チームが、落車による遅れなどのリスク回避のため、チームリーダーを連れて集団の先頭に出てきた。

 静岡、福岡、東京、そして総合3位表彰台を狙う、神奈川、三重、広島の姿もある。

 その後ろでは、スプリンター系チームが、ゴールスプリントに備えてアシストの脚を温存しつつ控えている。

 残り10kmで「逃げ屋」京都の四王天が捕まる。

「くそっ」

 1年生ながら最後まで残った宮崎の小玉と2人で、ここまでなんとか逃げて来た。しかし本気になったメイン集団に、あっという間に飲み込まれ、ステージ優勝の夢は儚く消えた。

 宮崎は、小玉が逃げに乗ったことで、追走には加わらずにアシストを温存できた。川波、涌井、東がリーダーの同じ1年の有馬を守っている。有馬は総合3位表彰台狙いにシフトしている。

 丹羽を失った静岡も、律儀にメイン集団の先頭グループを牽引している。丹羽がいなくなってもそこで終わりではない。苦しくても、不利でも、レースが続く限り戦い続けなければならない。

 メイン集団は、縦に伸び切った状態ながらも、落車などのトラブルはなく、無事に残り3km地点を通過した。

 総合系チームは、このあとは落車やメカトラブルで遅れても、救済措置があるため、安心してメイン集団を下がっていく。

 ただ、例外があったのは、総合系チームのはずの千葉が、郷田にメイン集団の牽引を続けさせたことだ。同じく総合上位の近田を擁する福岡も、近田自身は舞川と一緒に下がっていったものの、平坦系アシストの黒田、古賀が立花を連れて、先頭付近に残っている。

 その後ろは、佐賀がトレインを組んで坂東を牽引している。佐賀がゴール前でトレインを組むのは、今年初めてのことだ。

 ただ、佐賀の選手たちは、しきりに後ろを気にしており、誰かの姿を探しているようにも見える。

 福島も日向と松平がいる。

 その他にも、北海道の土方、山梨の柴田、島根の草野、熊本の小泉、鹿児島の加治木といった全国トップクラスのスプリンターがそれぞれアシストを連れて上がってきている。

「青山はどこだ!?」

 佐賀の全日本チャンピオン、坂東輝幸の弟、坂東裕理がチームメイトの天野を怒鳴りつける。

「鳥栖さんも、武雄さんも、まだ見ていないと言っています!」

「クソが、郷田が曳いているんだぞ。絶対に仕掛けてくるはずだ。死んでも見逃すな!」

 集団のスピードはどんどん上がり、脚を使い果たした郷田が、牽引から外れる。

 各チームは殺気立ち、疲労と焦りと緊張で、集団の危険度はピークに達していた。


「ふぅ・・・」

 メイン集団のやや前方あたりに位置する冬希は、静かに息を吐いた。

「すぅ・・・」

 肺の空気を新鮮なものと入れ替える。

「ふぅ・・・」

 スタート前に、丹羽に言われたことを思い出す。

 好事魔多し。確かに、冬希はここまで出来過ぎだった。

 今更、危険を冒して、勝負する必要があるんだろうか。

「仕方ない。行くか」

 気が進まないが、指示があったのならば、勝負するしかない。

 冬希は、両腕に体重を乗せ、出来るだけ足の筋肉に負担をかけないように、呼吸でペダリングをするイメージで、加速した。


 メイン集団は、残り1kmのアーチを通過しようとしていた。

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