第88話 全国高校自転車競技会 第7ステージ(屋久島灯台~淀川登山口)④
尾崎を待っていたメイン集団は、ペースを落とした分、選手たちが横に広がっていた。
集団の最後方につけた尾崎は、前に上がるには、集団の両端のどちらかから、抜いていくしかない。しかし、道の両端は、苔が生えていたり、落ち葉が落ちていて、スリップの危険性が高かった。
おまけに、パンクで、ニュートラルカーに交換してもらった後輪は、異常なほど滑りやすく、踏んでも思うように進まない。
尾崎はこの時、気づかなかったが、ニュートラルカーに積んでいた後輪は、スタート地点が晴れていたため、空気圧が高めに設定されていた。
空気圧が高ければ、平坦区間は、スピードが出て楽に走れるが、雨が降った登りなどは、若干だが空気圧を落とした方が、タイヤの接地面積が増え、グリップ力が増す。
この日の選手たちは、尾崎も含め、ほとんどの選手が空気圧を落としていた。
通常の空気圧で走っていたのは、バイクコントロールに優れ、尚且つ平坦区間でのスプリントポイント以外に興味を示さなかった、佐賀の坂東ぐらいだ。
尾崎は、パンクでホイールを交換したことで、ニュートラルカーに積んでいた高い空気圧のタイヤに交換してしまったため、一気に後輪のグリップ力が低下したように感じたのだ。
尾崎は、後輪が滑らないように、細心の注意を払いながら走っていた。
しかし、斜度の高い区間に入った時、後輪が滑り、ついには転倒してしまった。
メカトラブルではないため、今度はメイン集団も待ってくれない。
自転車を起こし、ペダルを回して、チェーンが外れていないことを確認する。
「なんでこんな日に限って・・・」
尾崎は、心が折れそうになることを感じていた。
自転車に跨ろうとした、その時
「尾崎さん、後輪の空気圧!」
目下のライバル、千葉の船津のアシストも兼ねているスプリンターの青山冬希だ。
尾崎は、慌てて後輪のタイヤを触ってみる。まるで固形物かのように硬い。
すぐに、バルブを緩め、何回かに分けて押す。
バルブから「プシュ」という空気が抜ける音がした。すぐにタイヤを触り、多少柔らかくなったことを確認して、自転車に跨る。
漕ぎ出そうとした時、背中を押される感覚があった。
「頑張ってください」
ライバル校である冬希が自転車を降りて、尾崎の背中を押して、スタートを手助けしていた。
上り坂だったので、走り出しで押してもらえるのは、尾崎にとってかなりありがたい事ではあったが、ライバル校なのに何故、という気持ちもあった。
そういえば、そういう男だった、
尾崎は、先日の第6ステージで、千葉のエース船津のライバルである、福岡の近田にボトルを届けるように、立花にボトルを渡していた、冬希の姿を思い出していた。
昨日の休息日にも、冬希から立花に対して、呼び出しの館内放送があった。
福岡と千葉は、共闘しているのかという疑念を持ったりもしたが、どうやらそれは「下衆の勘繰り」レベルの滑稽な話だったようだ。
現に、尾崎も今、冬希に助けられた。違和感の原因が空気圧にあることに気付かされなかったら、今日はまともにゴールすることすら出来なかったかもしれない。
基本的に、困っている人間を放って置けないのだろう。
「迷惑な男だ」
同じチームに、ここまで敵の手助けをする男がいて、船津も大変だろうと同情した。
もし、チームメイトにこのような男がいたら、どうだろうかと考える。
「まぁ、10あるステージの中で、3勝している程の実績を挙げている男に、文句を言えるようなチームは、無いか」
それに、もしかしたら友人になれたかも知れない。と思った。
冬希のやりようは、チームメイトとしては厄介かもしれないが、人間として嫌いではなかった。
再スタートに直前「頑張ってください」と言った。
ライバル校のエースに、頑張ってください、と言われるのは、変な気持ちではあったが、誰からも応援されないよりは、少し気持ちを強く持てた。
「仕方ない、追いつくか」
肘や尻に、わずかに擦過傷を負ったが、止まっていた分、呼吸も落ち着いてきた。
後輪の違和感が全く消えたわけではないが、先ほどまでよりは、断然楽になった。
「どうせ諦めかけたレースだ。思い切って、目にものを見せてやろう」
尾崎は、火のついた闘志で、前のメイン集団を追った。
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