第89話 全国高校自転車競技会 第7ステージ(屋久島灯台~淀川登山口)⑤
尾崎は、斜度の高い登りを利用して、すぐにメイン集団に追い付いた。そして、メイン集団の前方に取り付いた。
メイン集団の先頭は、千葉のエース船津が自ら曳いていた。
自分の走りたい場所を走れるメリットと、落車によるリスク回避もできるため、メリットがデメリットを上回った結果だった。
船津は、特段尾崎を待っていたつもりはなかった。ただ、自分で仕掛けどころを決めて、それまで自分のペースで走っていただけだ。
船津、近田、そして後方から上がってきた尾崎が3人先頭に並ぶ。その後ろに植原もいる。
「船津」
尾崎が船津に話しかけた。船津は、珍しいこともあるものだと思いつつ、尾崎の方を振り返る。
「青山に助けられたよ。厄介なチームメイトを持って大変だな」
横で聞いていた近田が、大きな笑い声を上げた。
冬希がいなければ、ライバルである尾崎も近田も、船津と争っている状況ではなかったはずだ。
「全くだよ。あいつ、言うこと聞かなくて困ってるんだ」
船津は答え、今度は尾崎も笑った。船津も近田も笑っている。
総合優勝を争う3人が、笑いながら話しているのを植原は複雑な気持ちで見つめていた。
「この男、かなり調子がいいようだ」
尾崎は、先頭でペースを作り続ける船津を見て、そう分析した。
平坦区間も、10%を超える登りも、同じパワーで踏み続けている。だが、そのペース自体が速いので、先頭
集団は次々と脱落者を出し、現在は6名にまで減ってしまった。
ゴールまで残り6km。船津に淀みのないペースで曳かれて、近田も尾崎も仕掛ける余裕がない。だが、船津には、苦しそうにする素振りは全く見られない。
「これはもう堪らん」
先頭集団に残っていた、1年生チームである宮崎のエース有馬が、アタックを仕掛ける。
しかし、これはアタックというよりも、一旦先頭に出て船津の頭を押さえてペースを落とさせようという、賭の様なものだった。
しかし、何事もなかったかのように、船津にかわされ、力尽きて先頭集団から脱落していく。
「馬鹿め。これだから1年は」
勝負を焦った有馬に、群馬の泉水は吐き捨てるように言った。
「だが、これが普通の1年だよな」
ロードバイクに乗る、全ての高校生が夢見る、全国高校自転車競技会のステージ優勝だ。勝負を焦らずに、勝負処を見極めて勝ってしまう冬希の方がおかしいのだ。
泉水は、離れるでもなく、さりとて仕掛けるでもなく、静かに集団の最後方を走り続けた。
「そろそろ仕掛けるか」
残り5km、船津がペースを上げた。勾配のキツいところだ。
「しまった」
尾崎と近田は、反応が遅れた。船津がシッティングのままペースを上げたので、仕掛けたことに気付くのが遅れたのだ。
船津は、ペースが衰えない。シッティングのまま、坂を登っていく。尾崎も近田も、腰を上げてダンシングで追うが、差が縮まらない。
「ダメだ、とてもついて行けん」
まず、群馬のエース泉水が遅れる。
「船津さん、速い!これが船津さんの本気のアタックか」
植原もついて行けない。自分の出せる最大のペースで追うが、前の3人からはどんどんと引き離されていく。
尾崎、近田は、一度平坦になった箇所で追いついたが、登りになると、また引き離され始めた。
「彼は、他の選手のことなんて、最初から見てなかったんじゃないのか!?」
苦しそうに、近田が言った。自分のもてる力を全て出し切る。コースとサイクルコンピュータ以外、何も見えていないのではないかというような、精密機械のような走りだ。
「船津幸村、まさかこれほどの男とは」
尾崎は呻くように言った。近田も尾崎も寄せ付けない、鉄壁の走りだ。
2人とも、船津の背中が遠くなるのを見つめるしかなかった。
「完璧なレースだ」
船津は、満足した。
高校最強と言っていい、静岡の尾崎と、福岡の近田。この2人を正面から打ち倒した。
2人と真っ向勝負する機会を作ってくれた冬希にも、船津は感謝しかなかった。
昨年、露崎がレースを去り、近田が落車でリタイアした中で、倒すべき敵を倒せずに総合優勝してしまった尾崎に、船津は心から同情した。
露崎はいないが、尾崎と近田を倒しての優勝は、十分価値のあるものだ。
相変わらず体調はいい。呼吸も苦しくない。ペダルも軽い。
脇の間から、船津は後ろを見た。尾崎も近田も、はるか後方だ。
カメラバイクが、脇道に誘導されていった。ゴールは目の前だ。
よく周囲が見えている。木の上にいる、猿の親子が2組。そして、ゴールする選手を迎える定点カメラ。
「明日、見ててください」
幼馴染に送ったメッセージを思い出した。
船津は、ゴールラインを通過後、カメラの向こうで見ているであろう、幼馴染の赤司志穂にガッツポーズしてみせた。
第7ステージは、千葉県代表、神崎高校の船津幸村が、初のステージ優勝を挙げた。
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