第72話 春奈と冬希
全国高校自転車競技会が始まって、しばらく冬希から返事が来なかった春奈は、おかんむりだった。
メッセージを送っても、返事が全く来ない。既読もつかない。でもTVの画面の中には居て、自転車で走っている。
電話をかけても、電源が入っておらず、凄く声が聞きたいのに、TVの中には普通に居て、尚且つ、表彰式では可愛い女の子にジャージを着せてもらったり、記念品を貰ったりして、だらしない顔をしている。
文句を言いたいが、文句を伝える手段が無い。
顔は見えているのに、言葉を伝えることが出来ない。
怒っているメッセージ、弱気なメッセージ、なんだかいろいろ送ってしまい後から後悔する。既読がつかないことをいいことに、書いたり消したりしていた。
春奈の母は、春奈に
「男の子って、普段はちやほやしてくるのに、いざ勝負事になると、私たちのことなんか、最初から眼中になかったかのように、自分の戦いに熱中してしまうんだから、本当に勝手よね」
と言った。
だが
「でも、女だけにしか興味が無い男なんて、見てても退屈なだけだから、なにか光るものを持っている男にしなさい」
とも言った。
春奈は、スマートフォンでネットのニュースを見つつ、「光速スプリンター」という文字を見つけ、これも光るものを持っているうちに入るのかなどと、くだらないことを考えていた。
第3ステージの日の朝、こっそり連絡先を交換していた、慶安大付属高校のマネージャー沢村雛姫から写真付きメッセージが送られてきた。
そこには、黄色いジャージを着た冬希と、白いジャージを着た植原が並んでピースサインをしており、それを雛姫が自分も映る形で自撮りしていた。
連絡先を見つけた春奈は、雛姫に伝言をお願いしたというわけだ。
それ以来、冬希は毎日メッセージや電話をくれるようになった。心を入れ替えたというより、充電器を手に入れたからのようだが。
「まだ6日目なのに、もう1か月は春奈と会ってない気がする」
「私はそうでもないかな。毎日TVで冬希くん見てるし」
自転車に乗っている時は、アイウェアをつけているのであまり顔は見れないが、第1ステージ以降毎日何かしら表彰台に上がっている、素顔の冬希を、春奈は見ることが出来ていた。
「不公平だからTV電話しよう」
「いいよ。じゃあ夜にね!」
ということで、春奈は風呂上りにも関わらず、普段は外出時にしか着ないお気に入りのTシャツに着替え、母から、どこかいくの?と聞かれたりしていた。
冬希は、またホテルのロビーでTV通話をかけていた。
数コールで春奈は出た。
「あ、冬希くん浴衣だ」
「普通にホテルのやつだけどね」
春奈は、少し火照った顔をしている。恐らくは風呂上りなのだろう。皴ひとつない、優しい色のTシャツを着ている。とてもパジャマとは思えない。
「どこかいくの?」
「もう、お母さんと同じこと言ってる!」
春奈は、大抵はレースのどのあたりで冬希がTVに映っていたかとか、実況の人が何を言っていたかなどを話し、冬希は、実はあーだったとか、その時はこう思っていたとか、基本的には雑談で、ただ二人にしかできないような話をした。
話しが一区切りしたときに冬希は、表彰式の前に、植原や雛姫とみた立花とその幼馴染の話をしてみようと思った。
「幼馴染の子もだけど、その立花くんも、チームの人たちもお互い辛いね」
「そうなんだよなぁ、でも今のところ俺には出来ることは無いんだよなぁ」
「今のところ、なんだね」
画面の向こうで、春奈は楽しそうに笑っている。
「うーん、この後何か出来ることがあったとしても、船津さんが負けない程度に、協力してあげる必要もあるしなぁ」
でも、結局何とかしてあげようとするんでしょ、と春奈は思った。
春奈が知っている冬希は、そういう男だ。
「ボクが九州に行くまでに、リタイアしないようにね!」
「それもあるんだよなぁ。明日も一応厳しい山岳のステージなんだけど、最近無駄なお肉が落ちて、ちょっと体が軽くなった」
調子いいかも、と腕をぐるぐる回している。
春奈が見ても、冬希の顔には少し精悍さが増したような気がする。
「そういえば、表彰式のあの顔は何?」
「いや、だって春奈がデレデレするなって言ったから・・・」
表彰式で、地元の女の子にジャージを着せてもらっている冬希は、眉間にしわが寄って、本人は険しい顔をしようとしたつもりだったのかもしれないが、どんなに贔屓目に見ても、あれは変顔以上の何かではなかった。
「あれ、ボクの所為だったんだ・・・ごめんね。責任を感じちゃうよ」
「え、ちょっとまって、そんなに落ち込まないといけないほど酷い顔だった!?」
「あんなことになるとは思わなかったんだ。明日からは、今まで通りでいいからね。もうあの顔を絶対TVでしちゃだめ。絶対だよ?」
「ちょ・・・今日の表彰式のTV見るの怖いんだけど」
ロビーに一般のお客さんが増えてきたため、二人はTV通話を切り上げることにした。
明日の第6ステージは、総合リーダーのチームとなるため、冬希達神崎高校のメンバーは、集団コントロールの「仕事」がある。
冬希は、表彰式のことは忘れ、体を休めることに専念するため、自室に戻り、眠ることにした。
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