第51話 『光速スプリンター』
一、イエロージャージ
朝、カーテンの隙間から差し込む太陽の光で、冬希は目が覚めた。
ホテルの和室の布団の上、誰かに抱き着かれているようで、体が上手く動かせない。
次第に目の焦点が定まってきてた。自分の自由を奪っている正体を確認する。
柊か・・・いや、潤の方だった。柊は寝相が悪かったらしく、奥で浴衣がめちゃくちゃにはだけている。
潤は、浴衣がきっちりしている方だろう。だが、同じく寝相が悪いようで、冬希の布団まで進出してきて、冬希に抱き着いてスヤスヤと寝息を立てている。
そっと起こさないように手と足を解き、窓際まで行ってカーテンを開ける。
美しい錦江湾、どこまでも青い空。自転車に乗るのであれば、恐らく最高のコンディションだ。
しばらく景色の美しさに見とれる。
「はぁ、のんびりとサイクリングしたいなぁ」
冬希は呟いた。
「とりあえず、10ステージ終わるまで、それは無理だろうな」
いつのまにか目を覚ました潤が、真面目に返してくる。
「おい、冬希。例のものがドアの外に置かれてたぞ」
例のもの、とは、ドラえもんでは犬のフンのことだが、柊が持っていたものは、黄色いサイクルジャージだった。
二、群馬 101番 泉水翔太(3年)
ホテルの朝食は、バイキング形式で、和食、洋食問わず、料理の種類も多い。
1階のホテルのレストランには、各校ジャージに着替えた選手たちが降りてきて、朝食を取り始めていた。
群馬の総合系エースで3年の泉水翔太は、焦っていた。
昨日の第1ステージでは、混乱しているうちに終わってしまった。
油山の登りでチームから孤立し、その後はずるずると交代して、ゴールした時には、先頭から1分40秒差で総合成績127位に沈んでしまった。
初出場で、チームも自分も浮足立っていた。そんな中でチームを掌握しきれていなかった自分の責任だという事は、痛いほどよくわかっていた。だが、もともと気性が激しく、そんな感情を処理できるほど大人でもなかった。
料理をトレイに乗せ、チームメイトのいる席に戻ろうとしていた時、別のチームのジャージを着た気の弱そうな選手がぶつかり、泉水のトレイから生卵が落ち、床で割れた。
「てめぇ、どこ見てやがる!」
反射的に泉水は叫んでいた。
「す、すみません・・・」
ぶつかってきた選手は泣きそうな顔をしている。
「目ん玉ついていないのか、俺への嫌がらせか、どっちだ!?」
こうなっては、自分でも止められないのだ。周囲が騒然となる。
「あの、よかったらこれどうぞ」
「ああ!?」
後ろから声をかけてきた男を睨みつけながら振り返ると、泉水は固まった。そして燃え上がっていた怒りは一気に冷めた。
そこには、総合成績1位しか着用を許されない、イエロージャージを着た選手が立っていた。泉水は、その男と面識はなかったが、その男の名前は知っていた。
今朝の新聞にも載っていた。ゴールシーンの動画で繰り返し名前が連呼されていた。
「青山・・・冬希選手・・・」
思わず、お椀とその中に入った生卵を受け取る。
冬希は、落ちた生卵を片付けようとするが、それは流石にぶつかった選手と、ホテルのスタッフが駆けつけてきて片づけを始めた。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、いや・・・済まなかった」
泉水は目の前の総合リーダーに圧倒され、改めて冷静になり、大人げないことをやってしまったことを心から恥じた。
「では、またレースで。泉水選手」
「あ、ああ・・・」
泉水は、呆けたような足取りでチームメイトの座る席へ向かう。
泉水にとって、去年の優勝者である尾崎や、4大スプリンターと呼ばれる面々は、雲の上の存在だった。
今回、初めて同じ舞台で戦うことになったが、それだけでも十分できすぎだと思っていた。
だが、1年生ながらにそれらの選手を軒並み倒して、総合リーダーを勝ち取った男がいて、その男が自分を認識していたことに驚くとともに、自分も同じ舞台で戦うエースだという事を思い出すことが出来た気がした。
泉水は、席に座って食事をとっているチームメイトに言った。
「まだこれからだ。県の代表として、総合獲りに行くぞ。俺らだって奴らだって同じ立場だということを忘れるな」
初日の失敗で消えかかっていた泉水の闘志に、再び火が入った。
三、宮崎 452番 小玉正司(1年)
「あ、ありがとうございました!!」
泉水にぶつかってしまった選手は、冬希に頭を下げた。
「お気になさらずに。宮崎の小玉選手ですね」
「あ、はい。知っていただけていて光栄です!!」
「1年生だけのチームだそうですね。同じ1年生同士、頑張りましょう」
小玉は、慇懃に頭を下げ、バタバタと去って行った。
総合リーダーを擁するチームとなった、神崎高校の面々は、出場選手全員のゼッケン番号と氏名を暗記していた。
それが、騒動の収拾に一役買ったようだ。
冬希は、泉水に渡した分の生卵を、再度自分用に取り直し、納豆などの和食の料理を取って席へ戻った。
「青山、お疲れ様」
騒ぎを止めた冬希を席から見ていた船津は、冬希に慰労の言葉をかけた。
「このジャージ、良いですね・・・ずっと着ていたい・・・」
畏敬の視線で周囲からみられる快感に、冬希は酔いしれていた。
「小物感がヤバいですね・・・」
「ああ・・・」
潤と郷田が若干引いている。
「船津さん、こいつ調子に乗ってますよ」
柊がジトっとした目で冬希を見ている。
船津は、何も言わずに苦笑していたが、内心ではちょっと自分も着てみたいと思っていた。
四、光速スプリンター
ホテルを出た選手たちは、バスでスタート地点の佐多岬へ移動した。
途中、冬希は新聞を見て、唖然とした。
『1年生エース青山、光速スプリントで最強世代をまとめて一蹴』
昨年優勝者である静岡の尾崎貴司や、4大スプリンターと言われる北海道の土方一馬、福島の松平幸一郎、山梨の柴田健次郎、島根の草野芽威は、彼らが1年生の頃から当時の上級生たちを圧倒し、最強世代と呼ばれていた。
傍から見れば、それを圧倒的なスプリントで倒したと言えなくもない。冬希も空撮の映像を見たが、並ぶ間もなく一瞬で土方と草野を抜き去って、引き離しているように見える。
実際には、400メートル近く全力スプリントをする羽目になった二人が、一気に失速しただけなのだが。
バスで、柊が見せてくれたネット上の記事では、冬希は光速スプリンターという二つ名がつけられたようだ。
冬希は頭を抱えた。今日、明日とスプリントステージは続くが、これらで惨敗したら、ネット上で、光速スプリンター(笑)だとか、何が光速スプリンターだ恥ずかしくないのか、とか言われるに決まっている。自分で名乗ったわけでも無いのに、理不尽だ。
冬希は、スマートフォンは持ってきていたが、充電器を忘れたため、電源が切れたまま鞄に放り込んである。そのことに、少なからず感謝した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます