第49話 それぞれの第1ステージ
福岡の1年生スプリンター、立花道之は最後スプリントに参加するつもりで集団の前方に上がっていくつもりだった。
メイン集団の中で、徐々に前へ進出する。
アシストは居ない。同じチームの選手は全員、総合エースの近田のアシストだ。前に進出するのにも、自力で脚を使うしかなかった。
他に選択肢はなかった。スプリント開始時点で、集団前方に居なければ勝負できないことは、中間スプリントポイントで十分身に染みていた。
総合系チームは、ゴール前3km時点まで安全なポジションを求めて競って前に出る。なりふり構わずアシストを投入する。おかげで集団のペースは異常に早くなっていった。そんな中で集団の前方に出るのは困難だった。
そして、前に出ることが出来ないまま、ゴール前3㎞地点につき、そこで前から下がってきた総合チームは殆ど壁のようになっており、立花が前に出ることを阻止した。
立花はまた、スプリント出来ずに、集団の中でゴールすることとなった。
失意のままゴールラインを通過すると、チームメイトとカメラマンに囲まれている青いジャージの選手がいた。チームメイトと抱擁を交わし、握手をする。だが、狂喜するでもなく、落ち着き払った表情をしている。自分と同じ一年生と知って、目の前が真っ暗になった。嫉妬と敗北感と、そして劣等感。
第1ステージの優勝は、他のステージの優勝とはわけ違う。スプリンターが確実に総合リーダーになれるのだ。自分が渇望してやまなかったその勝利を、同じ1年が手に入れた。
立花は、自分が著しく無力だという事を、この時初めて知った。
ただ、実力があれば勝てる中学の頃とは違っていた。あの頃はチーム戦というより、個人戦だった。
勝った時も、周囲を見下すような態度を取っていた。あの優勝した千葉の1年生とは雲泥の差だ。
こんな気持ちのまま、あと9ステージも走らなければならないのか、と立花は初めてレースというものが辛く、苦しいものだと思った。
東京代表で、大会唯一の1年生総合エース、植原博昭は、集団の中でゴールした。
21人いる1年生の中で、総合タイムでトップならば、新人賞ジャージの着用が決まる。それはそれほど難しいことではなかったはずだった。
1年生選手は圧倒的に少ないし、彼らのほとんどは、油山の登りや油山観光道路の直線でチームを牽引したのちに、アシストとしての役目を終え、集団から千切れていった。
植原は、先輩方のアシストのおかげもあり、集団のかなり前方でゴールすることは出来た。
しかし、ゴールした後、優勝したのが彼の知人であり、同じ1年生の青山冬希だと知った。
植原にとって、新人賞の表彰を受けること、新人賞ジャージを着用して第2ステージを走ることは、十分名誉なことであったはずだが、それを奪われた上に、それ以上の名誉である総合リーダーのジャージまで手に入れた1年生がそこにはいた。
明日は、新人賞ジャージを着てレースに臨むことになることは、係の人から聞いた。だが、それは青山が総合リーダージャージを着てレースに出るための、繰り上げだった。記録としては、第1ステージ終了時点の新人賞は、青山冬希だ。
「彼は凄い・・・」
胸の奥から、悔しさが湧き上がってくるのを、植原は冬希を称賛することで、意識して抑えた。冬希が優れた男だから、仕方ないのだ、と。
だが、今すぐに冬希を祝福しに行く気持ちには、流石になれなかった。植原も人間なのだ。
明日までに、気持ちの整理をつけよう。そして冬希を祝福し、冷静にレースに臨もう。
植原は、大きく息をついて、チームメイトのもとへ向かった。
福島代表の日向政人は、自分のチームのエーススプリンター、松平幸一郎がゴールしてくるのを待っていた。ゴール前で松平をリードアウトする予定だったが、松平はスプリントに入る前に、全日本チャンピオンで佐賀代表のエース、坂東に弾き飛ばされた。
落車は免れたが、コースアウトし、松平はスプリントに参加できなかった。
高校随一のバイクコントロールを誇る坂東が、ふらついて他者に接触するなどありえないことだ。間違いなく故意だ。恐らく、落車しない程度に加減しながら当たったのだろう。
坂東のやったことは許されることではないが、自分も脇が甘かったと言わざるを得ない。スプリントポイントでも、坂東のアシストが下がる時に松平の進路を邪魔していったのだ。ゴール前で何も仕掛けて来ないはずはなかった。
坂東は、日向の番手を利用してスプリントをするつもりだったようだが、日向は松平の叫び声で後ろを振り返り、松平が来ていないことに気づいて先頭を曳くのを止めた。その結果、ゴールスプリントはめちゃくちゃになり、有力どころは総崩れになったが、日向にとっては、坂東が勝たなかったことで溜飲が下がった。
松平が帰ってきた。集団が通り過ぎて安全になってから、再び自転車の乗り、ゴールまでたどり着いた。
「坂東のやつにやられたぜ」
「ああ、俺も油断していた。無事か?」
「自転車も俺もピンピンしてる」
「不幸中の幸いだが、土方も草野も柴田も、明日は勝負にならないだろう」
彼らは、無理をした。スプリンターにとって、第1ステージに勝つというのは、大きな意味を持つ。総合リーダージャージは、基本的には、平坦でも山岳でも勝てるオールラウンダーか、山岳で卓越した登りが出来るクライマーが最終的に獲得することになる。
比較的山岳が苦手なことが多いスプリンターにとって、第1ステージは総合リーダージャージを着る数少ない機会なのだ。3人は、展開の綾とは言え、仕掛けが早かったため、400mほどスプリントを行うことになった。
彼らのスプリント持続距離は、冬希の100mとは比較にならないほど長いが、それでも200mが限界だ。恐らく、それぐらいで脚も止まっていただろう。だがそんな状態で無理をしてスプリントを続ける意義が第1ステージにはあったのだ。
その結果、彼らは脚にダメージを負った。一晩休んだ程度では回復しないだろう。明日は、一日走りながら回復に専念することになるだろう。
その3人のほかにも、熊本の小泉、鹿児島の加治木と言ったスプリンターもいるが、純粋なスプリントで松平がその二人に負けるとは、日向は思っていなかった。
「坂東はどうだ?」
「坂東はお前の敵ではない」
世辞ではなく日向は言い切った。坂東もそれが分かっているからこそ、搦手で松平を攻略にかかったのだ。
「明日以降、坂東は中間スプリントでのスプリントポイント収集に専念するだろう。ステージ優勝を捨てて、スプリント賞獲得にシフトするはずだ」
坂東は、去年もそのやり方で、スプリント賞のグリーンジャージを獲得したのだ。
「じゃあ明日のステージ優勝は、今日勝った、千葉の青山ってやつとの勝負か」
「青山という男が総合狙いなのか、スプリンターなのかまだわからない」
今年の全国高校自転車競技会は、例年と違う展開になっている。総合系の尾崎が平坦ステージでゴールスプリントを行ってきている。千葉の1年生エースが、そうではないとは、日向は言い切れなかった。
「ただ、明日調子が良ければ、中間スプリントでは出てくるはずだ。そこで奴がどれ程のスプリンターかという事は、わかるだろう」
「楽しみだな」
松平は、不敵な笑みを浮かべている。強力な敵をねじ伏せることが最大の喜びなのだ。気の抜けたような相手にスプリントで勝っても、それはまったく意味を持たない。
スプリンターという奴は理解しがたい、と日向は思った。
勝つために、あらゆるプランを立て、あるべき姿に近づけていくのが日向の役割だ。だが、そんな努力を知ってか知らずか、自分のやりたいようになるのが松平だ。
そういう人間だからこそ、松平は日本で最強のスプリンターの一人に数えられるようになったのかもしれない。
どちらにせよ、日向のやることは変わらない。恐らく明日は一番勝つ確率が高くなるだろう。徹底して明日の分析を行うことを心に決めた。
■第1ステージ結果
1:青山 冬希(千葉)121番
2:尾崎 貴司(静岡) 1番 同タイム
3:草野 芽威(島根)321番 同タイム
※1位にボーナスタイム-10秒、2位に-6秒、3位に-4秒が与えられる
■総合成績
1:青山 冬希(千葉)121番 0.00
2:尾崎 貴司(静岡) 1番 +0.04
3:草野 芽威(島根)321番 +0.06
■スプリント賞
1:青山 冬希(千葉)121番 50pt
2:尾崎 貴司(静岡) 1番 30pt
3:草野 芽威(島根)321番 29pt
■山岳賞
1:舞川 祐樹(福岡)402番 2pt
2:近田 徹 (福岡)401番 1pt
■新人賞
1:青山 冬希(千葉)121番 0.00
2:植原 博昭(東京)131番 +0.10
3:立花 道之(福岡)405番 +0.17
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