第3話 ふゆきはじてんしゃをてにいれた
冬希は近所の自転車屋に来ていた。
商店街にある小さな自転車屋だが、週末になるとスポーツ自転車に乗った人が店に前に集まっているのをよく見かけていた。
自転車競技で使用する自転車が、シティサイクルやママチャリではないことぐらいはさすがに冬希にもわかっていた。
貯金額は10万円。一応全額下ろしてきたが、店の前に来た時点でもう、買えるかどうか微妙だということは何となく感じていた。
40万、50万、120万を超えている自転車もある。そういう世界なのだろう。
「すみません。10万円で乗れる一番いい自転車ってどれですか?」
しかし、冬希に気後れは無い。
ここで躊躇しているようでは何かを成し遂げることなど不可能なのだ。
店主が、さすがに驚いたように冬希を見た。
小柄で眼鏡をかけ、無愛想で偏屈な雰囲気を身にまとっていたが、一気に毒気を抜かれたように見える。
10万円で買える自転車はある。クロモリやアルミ製になるが、最近のものは軽く剛性もあり、カーボンフレームの高級品に比べるとさすがに重いが、どれもいい自転車だ。
「10万円で乗れる・・・一番いい自転車・・・」
この少年は「10万円で買える」ではなく、10万円で乗れる、と言った。
その言い回しは店主に一つの選択肢を与えていた。
「自転車自体はタダでいい」
店主が持ってきた自転車は、水色とも緑ともつかない微妙な色をしていた。
「Bianchi Oltre XR3という」
「ビアンキ、オルトレですか。というかなんでタダなんですか?ありがたいですけど。結構いい自転車なのではないですか?」
「事故車だ」
「事故・・・」
良く見るといたるところに傷がある。左右のブレーキ部分、ペダル、後輪のギアを変更するであろう機械の部分。フレームには傷はついていない。
「これに乗っていたお客さんが、急に飛び出して来た車に・・・」
「轢かれたんですか?」
「いや、驚いて避けた拍子に車止めポールにぶつかり、転倒した。だが残念なことに・・・」
「まさか・・・」
亡くなって・・・と言おうとしたが、顔中が絆創膏だらけの状態でこの自転車を持ってきたらしい。
「カーボンフレームの自転車というのは、修理で100%元の状態に戻るとは保証できない」
店主はそのお客さんに「修理不能」と書いた修理見積書を渡し、自転車代は全額事故相手の保険会社からもらえることになった。
そこで、この自転車は店主の手元に残り、処分を依頼されたのだった。
元の持ち主は、「乗れるのだったら修理して乗ってくれ」と言っていたのが今朝の話。
どうするか決める前に冬希が現れたということだ。
左右で向きが違っていたブレーキレバーの向きだけ直すと、店主は冬希に言った。
「傷は入っているが、恐らくフレームは無傷。ただ事故車ということで価値を失った自転車だ」
「もったいないですね」
「乗ってやれ。普通に買うと40万は超える」
「ありがとうございます。」
渡りに船だ。遠慮する理由は無い。
「ヘルメット、靴、ウェア、その他いろいろうちで買っていけ。それでいい」
修理キット、予備のチューブ、ベル、ライトも併せて購入。
靴は、ペダルに固定するタイプらしく、クリートと呼ばれる金具も一緒に購入。
かろうじて10万円以内に収まった。
その場で乗って帰ろうとすると、「ちゃんと乗るのは練習してからにしたほうがいい」と言われたので、おとなしく押して帰ることにした。
家に帰ると、姉がソファーでゴロゴロしながらテレビを見ていた。
冬希は姉に事情を説明すると感心したように
「拾い物をしたね」
と言った。
まったくだ。実際に店に行き、人に会い、話をすることによって不思議な縁に巡り合うこともある。
安くて簡単なネットショッピングではこうはいかなかっただろう。
室内保存をするよう店主に進められたので、担いで自室の運んでいると、それを見かけた母が姉に尋ねていた。
「あれ自転車かっこいいわね。どうしたの?」
「どうしたと思う」
「駅前で盗んできた?」
「ぶっぶー、おしい!」
「惜しくねーよ!!」
思わず叫ぶ。
二人とも「冗談に決まってるじゃない」とぶつぶつ言っているが、ノリノリで人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。
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