第22話「告白」

 和馬を殺した文魔を知っている。

 幸の告白に、藤堂は困惑を露わにしていた。

 普段は水のような柔軟さで何事も受け流す気性だが、今回ばかりはさすがにそうもいかないようだ


「……幸さん、落ち着いてどういうことか説明してくれるかい?」

「あ、あの……」


 怖い。

 舌がおどることを拒絶している。

 喉が震えることを拒絶している。


「あの文魔は……」


 それでも怯むな。

 真実を伝えろ。

 何一つ包み隠さず。


「あの文魔は!」


 絶対に甘えるな。

 許されようと考えるな。

 許されなくてもいい。


「私の……」


 責務を果たせ。

 自分を許すな。

 真実を言え。


「あの文魔は……私の……私の家族を殺した文魔なんです! 間違いありません!」


 あの文魔は、十二年の長きに亘って幸の側にいた。

 そう、十二年間だ。

 気付く時間は十分にあった。自分が不幸の火種だと。悪夢を呼び寄せる魔笛だと。


「全部……全部私のせいなんです! 私が気付かなかったせいで和馬さんは!」


 幸を怪物だと罵った叔父の言葉は、この上もなく的確に真実を突いていた。

 何も知ろうともせず、思考を放棄して漫然と生きてしまった。

 何と情けない。何と恥ずかしい。

 これで悲劇の主人公を気取っていたのだから滑稽にも程がある。自分で自分が情けなくて涙が止まらない。


「ごめんなさい! 気付かなくて! 私のせいで、こんなことに!」


 罪を償おうとしてきたけれど、結局一かけらとしてあがなえていない。一かけらとして藤堂とアリスの役に立てていない。

 神楽幸は、己の虚栄心を満たすだけで精一杯の小娘だ。

 異能の力を持つ自分は特別な存在なのだと、真実を知ろうともせずに粋がっていただけだ。


「全部……私の……」


 だからこそ頑張らなくては。自分の持てる力を振り絞って文魔と戦わなくては。そう頭では理解していても心が追い付いてくれない。

 自分の罪深さを自覚する度、決意が鈍る。心が散り散りに裂けていく。

 御伽狩りの責務を果たせ。

 罪人である自分を許すな。


「だから私は……」


 頑張らなくちゃいけないのに、魂と肉体が言うことを聞いてくれない。意思に反して全身から力が蒸発していくのが分かる。

 もうこのまま足を止めて、膝を折り、迫りくる炎に身を委ねてしまおうか。


「膝を折るな!」


 藤堂の時雨のような一声が、幸の諦観を許さなかった。


「幸さん。俺が言うことをよく聞きなさい」


 アリスを右腕一つで抱え直すと、残る左手で幸の右腕を強く引っ張った。


「あの文魔が出現したのも、そしてこの地震が起きたのも全部君のせいじゃない。少なくとも俺はそう思っているよ。だけどそんなことは今関係ない」


 掴まれた右の手首を通して藤堂の念が伝わってくる。

 水のように冷たくて爽やかな感情じゃない。

 たけるように燃え盛る炎のような思いだ。 


「君のせいじゃなかろうと万が一君のせいであろうと、そんなことはどうでもいい。大切なのは起きてしまったことに対してどう最善を尽くしていくかだ」

「最善を……尽くす」

「君が諦めても地震の被害の拡大は止まらない。君が死んでも文魔は消えない。もしもこの状況全てを自分のせいだと思っているのなら、死んで責任を取るんじゃない。生きて責任を取りなさい」


 諦めることをとがめるように。

 二度と膝を折ることを許さぬように。


「君は自ら望んで御伽狩りになったんだ。自ら望んで進んだ道には必ず責任が付いて回る。その責任を背負うことを誰かに強制されたんじゃない。君は自ら選んだんだ」


 そうだ。自分の罪を償いたくて御伽狩りとなった。

 動機はどうあれ、今歩いているこの道を選んだのは、自分の意志だ。


「幸さん。君が選んだ責任を放棄することは許されないし、俺が許さない。もしもこの地震が君のせいだとしても俺は君を許すけれど、今ここで立ち止まるような真似をしたら、俺は絶対に君を許さない」


 藤堂の眼光は、名工により研ぎ澄まされた刃のような鋭い光を放っている。


「君の予測は、半分は当たっているはずだ。その文魔は、ずっと幸さんの側にいたのかもしれない。幸さんの絶望を糧に、徐々に力を付けていったのかもしれない。文魔を喰らう程の驚異的な存在に成長したのかもしれない。そしてアリスの探知能力の精度が落ちた説明もつく。あまりに強大な力を持つ文魔が近くにいたせいでその影響を受けてしまったんだ」


 藤堂は、幸の手首を一層強く握りしめた。


「だけどこれは幸さんの罪じゃない。俺やアリスですら気付けなかったんだ。いくら十二年共にあったのだとしても御伽狩りや文魔について何も知らなかった君に気が付けるはずがないんだ。そのことを気に病んではいけないよ。そんな暇があるならやつを探して封印することに意識を集中させなさい」


 何時も藤堂は教えてくれる。気が付かせてくれる。

 幸の進むべき道を。成すべきことを。

 文魔は人間の負の感情によって生じるモノだ。

 この地震は多くの人の絶望を呼び起こしてしまう。その絶望を喰らい続ければ、やがて文魔は神の領域にすら手をかけるだろう。

 今は己の不幸を呪って感傷に浸っている場合ではない。一刻も早く文魔を封印しなくては。


「……分かりました」


 もうこれ以上、判断は誤らない。

 やるべきことを見つめて、力強く前に進め。


「藤堂さんはアリスさんを安全な場所に。私が戻って文魔を封印してきます」


 幸の提案に、藤堂は首を横に振る。


「いや、二人でアリスを安全な場所に送ってから俺と一緒に行こう」

「ですけど今すぐにでも封印しなくては――」

「焦っちゃだめだ。いいかい。やつの力は本物だ。たしかに周囲が火事の状況だ。君の能力にとっては火種に困らない。とても不謹慎な言い方だけど、この壊滅的状況中、唯一と言っていい不幸中の幸いだ」


 確かに、この状況であればわざわざ燐寸マッチを使用する必要すらない。周囲にある炎を操り攻撃すれば、強力な文魔であろうとも対抗しうるはずだ。


「分かっています。ですから私一人でも」

「だけどだ。いくら君の異能でも一対一でやつに挑むのは無謀だ。手練れの和馬をああも容易く葬ったやつだ――」


 言い終えてから藤堂は顔をしかめ、腕の中のアリスを見やった。

 彼女は目を伏せ、何も言わなかった。黙祷を捧げ、友の死を悼んでいるように見えた。


「幸さん。俺はもう仲間を失えない。あれほど強力な文魔には俺も出会ったことがないんだ。一対一で勝てる相手じゃない。二人で戦うんだ」


 責任感だけで独断専行し、文魔を封印し損ねたら目も当てられない。ここは藤堂の言うように、事を冷静に運ぶべきだろう。


「はい……でも問題は――」


 幸は文魔の正体を知らない。

 少女のような姿をしているが、少女を題材にした物語はごまんとある。

 しかも幸の炎にやられたせいか全身が灰に塗れて、皮膚が炭化している部分まであった。あの見た目では正体を突き止めるのも容易ではない。


 さらに正体を調べようにも探偵事務所の本が失われてしまっている。今頼れるのは、幸の頭の中にある本棚のみだ。

 もしも読んだことのない物語だったら勝機はない。著名な物語から生まれた文魔であることを願うしかなかった。

 つまるところは神頼み。状況は最悪。分の悪い賭博に全財産を投じるようなものだ。


 しかし神楽幸の魂に賭けて、失敗は絶対に許されない。

 藤堂がいくら優しい言葉をかけてくれたとしても幸が十二年間、文魔を見過ごしてしまったのは拭いようのない事実だ。この失態の償いは、文魔の封印以外にあり得ない。

 自ら御伽狩りになったのだから、その責務を果たさなくてはならない。


 どれだけ辛くても、苦しくても、自分に甘えることを許すな。

 心を折るな。

 頑張れ。

 家族を奪った仇の文魔を封印する。この上ない復讐の機会でもある。

 けれど己を殺意にゆだねるな。

 和馬のように殺すのではなく、封印してこの世から永遠に消し去るのだ。


「あの文魔の正体……探さなくちゃ。これまでたくさんの物語を読んできたんです……そうです。私がたくさんの物語を読んだのはきっと……きっと!」


 全てはこの時のため。

 今こそ家族を殺した文魔の正体を突き止めるのだ!

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