第23話「別れ」
幸の家族と和馬を殺した文魔の少女は、西洋人の服装をしていた。
服装から考えて日本の物語ではない。
グリム童話やアンデルセン童話のような海外の作品かもしれない。
だが外国を舞台にしていたり、外国人を登場させる日本人作家の物語もないわけではない。
除外できるのは日本を舞台にして日本人しか登場しない物語だけである。
仮にそうした日本の物語を除外したとしても、海外の作品数は国産の物語を遥かに超える膨大な物だ。とても絞り切れない。
思考の迷宮は漆黒の闇に包まれている。出口の光が一向に見えない。そしてさらに複雑な迷路の奥へ奥へと迷い込んでいく。
「幸さん」
混迷する幸の意識を現実に引っ張り上げたのは藤堂の声だった。
「君の家族をあの文魔は殺している。そうだったね?」
「は、はい」
「思い出すのは辛いかもしれないけど、よく思い出してみるんだ。現場の状況を」
「現場の状況……」
幸にとっては異能と文魔によって何もかもが壊れた瞬間。十二年間考えるのを避け続けてきた場面であった。
だけど忘れたくても忘れられなかった。
あの日の光景は、鮮明なまま脳に焼き付いてしまっている。
「あの時は……母が亡くなっていた姿を覚えています」
「幸さんのお母様が? どんな風に?」
あの時の雪は、首の向きがおかしかった。本来向くはずのない方向に顔が向いていた。恐らくは首の骨が折れていたのだろう。
「首の骨を折られていたのだと思います」
「首の骨……あの文魔は少女の姿をしていた。そして首の骨を折られた母親……他には」
「えっと……継母のところでは、やはり継母は首を折られていて」
雪と光子の死因は同じ。母親が首を折られて殺されている。
偶然か?
いや、違う。これは文魔の特徴的な行動だ。つまり物語の展開になぞられている可能性が高い。
しかしここでひとつ疑問が生じる。たしかに雪と美津子の殺され方は同じであった。だが違った殺され方をした人物がいたのだ。
「あ、でも義姉二人は違いました」
「どう違ったんだい?」
「目を……潰されて、手と……それから足が削ぎ落されていました」
「目と手と……足を?」
今まで考えたことはなかったが、不思議な話である。
何故義姉二人は、目を潰された上に手足の肉を削がれていたのか。
「……どうして継母と義姉で殺し方が違うのでしょうか……」
母親が首を折られ、義姉は目を潰されて手足の肉を削がれる。
とても特徴的な殺し方――。
「待ってください」
首を折られる母親。目が潰され、足の肉が削がれる義姉。
読んだことのある物語だ。それも雪と光子が何度も読み聞かせてくれた。
不幸な運命にある少女が舞踏会で王子様に見初められ、最終的には幸せを手にする。その物語のタイトルは――。
「分かりました! あの文魔の正体が!」
「俺も幸さんと同じ答えを連想していると思うよ」
藤堂は、したり顔で笑んでいる。彼も幸と同じ答えに辿り着いたのだ。
正体に見当がついたなら善は急げ、だ。
「藤堂さん、行きましょう」
「ああ。まずはアリスを安全な場所に届けてから――」
「藤堂、幸」
アリスに呼ばれて幸と藤堂は後方から押し寄せる人波に逆らって足を止めた。彼女が言わんとすることを本能的に理解したからだ。
「ここで降ろして」
強い意志の籠った主張に、藤堂は素直に応じた。
地面に立つアリスの足はふらついている。
戦闘向きの異能ではない彼女は、肉体の強度も幸や藤堂には劣る。あの瓦礫に埋もれて生き延びるだけで常人を超えていると言えるが、しかし重傷であるのは間違いない。
「私は大丈夫。あなたたちは行って」
アリスは、鏡を幸と藤堂に見えるように向けた。
「文魔は中央通りへ向かっている……早くいかないと追いつけなくなる」
こんな状態のアリスをこんな場所で一人にはできない。せめて安全な場所までは送り届けたい。
そう幸が告げようとした瞬間、アリスは口を開いた。
「何とか動ける。大丈夫。それに私の異能は、求めているものを映し出す魔法の鏡。大丈夫。どこへ逃げれば安全かわかる。だから二人は文魔を封印して。その後は上野公園へ。あそこは人が多く集まると思うけど……安全なはず」
「でもアリスさんを置いていくなんて……」
「いや、行こう」
「藤堂さん!?」
幸が咄嗟に見やると、藤堂の眉間に深い皴が寄っている。
彼にとっても苦渋の決断だったのは想像に難しくない。
「一刻も早く文魔を封印しないと、どんな影響が出るか分からない」
藤堂は、正論を口にしている。この状況で文魔を放置するのは非常に危険だ。
自身に被災した帝都中の人々の絶望。少女の文魔がそれを糧にするのなら今すぐにでも手が付けられない状態になるかもしれない。
その理屈は理解できるが、それでもアリスを一人残していくのは気が引けてしまう。
「で、でも!? だけど……アリスさん一人にするなんて」
「幸、私は大丈夫」
アリスは、幸にすがるように抱き着いてきた。
「藤堂は、幸がいないとだめ」
小さな体が震えている。痛みと恐怖をこらえているのだ。
本当は幸や藤堂と一緒にいたいと願っているはず。大人びていてもまだ年端も行かない少女なのだから当然だ。
だけど彼女は御伽狩りの責務を果たさんと懸命に己の感情と戦っている。
「本は燃えてしまったけど、物語は燃えてない。どんな炎を使っても人の記憶を燃やすことはできない。これまで読んだ全ての物語が幸の頭の中にある。文魔を封印するには幸の力が必要」
アリスの言葉に頷きながら藤堂は、幸をまっすぐに見つめて両肩に手を置いた。
「幸さん、水は火がなくては何もできないんだよ」
清らかな水のように流麗な音色が訴えかけてくる。
「火がなくては、湯はできない。人を温めることも、うまい飯を炊くことも、お茶を入れることだって水だけじゃできないんだ。水は火があるから人の営みを支えられている」
藤堂の虹彩が水色に輝き、幸の姿を映した。
「俺は水だ。だから幸さんの火が必要なんだよ」
藤堂が幸の肩から手を放すと、入れ替わるようにアリスが幸の手を握りしめた。
「行って幸。これは……幸にしかできない」
自分より年若い少女が凛とした青い瞳で見つめてくる。海のように澄んだ蒼。どんな宝石でも敵わない瞳の奥で幸に対する信頼が輝いている。
二人にここまで言ってもらったのに、引き下がっては御伽狩りになった意義を失ってしまう。
十二年前の決着をつけるためにも、神楽幸は行かなければならない。
「はい。アリスさんもお気を付けて」
「アリス。必ず帰ってくるよ」
幸と藤堂は、アリスを残して群衆をかき分けて進む。
「行ってらっしゃい藤堂……幸……気を付けて」
去りゆく二人の背中を見送るアリスは、鏡を抱きしめながら群集の中に溶けていった。
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