第37話 カオス

「やった、のか……?」


 グルーが訝しげに声を漏らす。

 辺りは崩落し、土煙を上げているせいで視界が悪い。そのため、魔王がどうなったのか全く見ることができなかった。


「……はっ……っく」

「シオン!?」


 自分の限界を超えた魔力消費のせいで、私は膝から崩れる。そのまま地べたに伏せって必死に呼吸をするも、息を吸っても吸ってもまるで肺に穴が開いてしまったかのように酸素が身体に入ってこなくて苦しかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 全身が痛んで、何もできない。

 頭を上げることすらできずに、地面に縫いつけられたかのように倒れたまま。

 呼吸もままならないせいで、意識を保つのがやっとだった。


 これで仕留めていなかったら、さすがに万事休すかも。


 起き上がる気力すら今の私にはなかった。


 それにしてもきついなー、もう。前回よりも魔力消費が大きいのは覚悟してたけど、これほどまでとは。


 痛みで鈍る思考を巡らせながら反省していると、微かに薄くなった土煙に人影が見えて目を見張る。

 幻かと思うも、そんな甘い考えは不意に聞こえてくる拍手によって遮られた。


 パチパチパチパチ


「っ!」

「いやぁ、まさかシオンが勇者の魔法を使えるとはね。さすがの僕も予想できなかったよ」


 そこには傷一つない魔王が口元をいっぱいに歪めた表情で立っていた。現実とは思えない光景に絶句する。


「そ、んな……どう、して……」

「勇者にも特別な魔法があるように、魔王にも特別な魔法があるんだよ。その名もカオス」

「カ、オス……」


 かつて父さんからそんな魔法があるとは聞いたことがあった。けれど、まさかビッグバンを打ち消すほどの脅威だということは知らなくて、絶望する。


「あぁ。カオスは全てを飲み込むことができる魔法でね。もちろん、勇者のみが使える禁忌の魔法ビッグバンをもね」

「う、そ……」

「ふふ。いいね、その顔。僕好みのいい顔だ。キミみたいな強者をねじ伏せるのは僕は大好きなんだ」

「……っ」

「今まで会った勇者の中でもシオンは特別。最強だと言えるよ。誇ってもいい。でも残念だね。期待以上ではあったけど、やはりキミでは僕を倒せない。結構期待をしていたのだけど、勇者ごときが魔王を倒せるはずがないのさ」


 悠然と佇む魔王。

 私は睨むことしかできない。

 必死に立ち上がろうともがくも、身体に力は入らなかった。


 どうする? 私がこのままやられたら、ヴィルやグルー、この国の人達はどうなる?

 でも、今の私は何もできない。

 動くことも立つこともできないのに、この状況を打破する方法なんて何も思いつかない。

 でも何とかしないと。でも、何とかって何をすればいいの。

 考えろ考えろ考えろ考えろ……!


 コツンコツンとどんどん近づいてくる魔王。

 そして、ある程度の距離まで近づくと魔王は黒い笑みを浮かべて、手を翳してくる。

 その手に膨大な魔力が集約しているのはすぐにわかったが、今の私にはそれを避けたり防いだりする方法はなかった。


「さぁ、さよならだシオン。短い間ではあったが楽しませてもらったよ。ありがとう」

「シオン!!!」

「ヴィル! 行くんじゃない! 巻き込まれるぞ!!」

「でも! シオンが!!」


 遠くからヴィルが必死に私の名を呼ぶ声が聞こえる。ヴィルは私のところに来ようとしたのか、グルーに止められているようだ。


 うん、ヴィル。絶対に来ちゃダメ。グルーもごめんね。ありがとう。


 目の前には赤い光。

 それが自分を殺すには十分の威力を持っていることはわかっていた。

 だけどもう今の私は動けない。

 だからその光を受け入れることしかできなかった。


 それにしても、まさかこんなところで死ぬなんて。

 結婚もできず、家族ももてないまま。

 最強の聖女を自負してたのに、誰も守れなかった。守りきれなかった。


 悔やんでも悔やみきれない。

 魔法にも体力にも自信があったというのにこのザマだなんて。


 あぁ、父さん。母さん。

 ごめんね。守ってくれたのに。でも、私もそっちに行くから……だからもしそっちに私が行ったら、歓迎してね。


 ズゥゥゥグワァーーーーン!!!


「シオンーーーーーーー!!!!」


 ギュッと目を閉じる。

 一瞬、何かによって光が遮られたかのような気もしたが、目を閉じてしまった私には何もわからなかった。


「……あれ?」


 何も衝撃が来ないことに気づいて目を開ける。するとそこには、石化したヴィルが私の前で私を守るようにして立っていた。


「な、何で……? 何でヴィルが……?」


 一体何が起こったのかと混乱していると、隣にグルーが立っていた。


「すまない。ワシは止めたんじゃが、ヴィルはシオンを助けようと」

「そんな……うそ、でしょ……?」


 石化したヴィルに触れる。

 先程まで確かに生きていたはずなのに、今は冷たく、微動だにしない。

 私を守るように手を広げたまま、真剣な表情のまま固まってしまっている。


 何をやっているのか。


 私なんかのために。


 理不尽な憤りが湧いてくる。


 聖女と王子ならどう考えても王子のほうが大事だし、私がいなくなったって他に聖女になれる人物はいるかもしれない。代わりはいくらだっているはずなのに。


 何で。何でよ。ヴィル……!!


 はらり、と涙が頬を伝って落ちる。


「バカじゃないの。何で私の身代わりになんて。何で……」

「はは、やっぱり人間は愚かだね。力がないのに命を懸けて己れの身を呈してとは。これが俗世で言う愛ってヤツかい? ……実に面白い。吐き気がするくらいに。愚かな人間の思考はとても愉快で滑稽だね」

「煩い。それ以上ヴィルを悪く言うな……っ」

「なぜだい? もう死んだ人間のことを悪く言ったって、どうだっていいじゃないか。でも、さっきの魔法は毒や呪いなどあらゆる状態異常を起こしてから即死して消滅する魔法だったのに、まさか石化だけとは。彼も運がいい。とはいえ、この石化は一生解けないだろうけど」


 あははははは……!!!


 魔王の高笑いが響く。

 私が苦虫を噛み潰したような表情をすれば、さらに口元を歪めてにやりと気味の悪い笑みを浮かべた。


「ふふふ、無力なくせに歯向かおうとするその瞳。とてもいいね。そういえば以前にもその瞳には見覚えがあるなぁ。あぁ、そうそう。以前食べた勇者も妻子を守るためにそうやって最期まで抵抗して僕を睨んでいたっけ。あれは実に滑稽だった」

「……っ!」

「あぁ、本当にいい顔つきだ。そそるよ。失くしてしまうのは惜しいほどに。でも、このまま放っておくわけにもいかないから、悪いけどここで死んでもらうよ。その前に、キミは用済みだ。魔物のクセに人間風情に与するなどとは」

「ギャアアアアア!」

「グルー!!」


 グルーは激しい雷撃を受けて真っ黒になる。そのままバタリと倒れて身動き一つしなかった。


「……っ!!」


 再び赤い光が灯される。


「さぁ、今度こそ守ってくれる仲間はいないよ。これでとうとうおしまいだ。さようなら、シオン」


 そして、目の前で真っ赤な光が自分目掛けて放たれようとしていた。

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