2.後顧の憂い
雑貨屋ではあるけれど、変わり物の茶葉や焼き菓子、アロマオイルや、生活必需品など幅広く扱っているため、チョコチョコとこうした配達が入ってくる。
私はクルリと店内を一周見回してから、先ほどまで座っていたカウンターへと足を向けた。
「よお、ティア!店番頼まれたのか?」
歩き出そうとした私の背中に、この数日で随分聴きなれた声がかけられた。
彼はこの雑貨屋の二軒隣にある八百屋の息子で、ギル・ランドルフ。
銀色の長髪を緩く横に括り、肩の上に垂らしている。
背は高く、体は細い割に筋肉があるようにも見える。
精悍な顔つきは、肉食獣のようで、体の細さや髪色とは不釣り合いに感じる。
私より4つも上の19歳だと言うが、大人びていた兄と比べると、なんともガキっぽく見えるのだが。
19歳と言えば、成人して独立しているはずなのに、私がここに来てから二、三日おきに店に顔を出す。
一体何をしているんだろう、この
「ほれ。今日の餌だ」
しかも、何故か私を餌付けしようとしているらしく、来る度に何かしら菓子を持ってきてくれる。
甘いものは好きだし、食べ物に罪はない。
ということで、遠慮なくもらっておく。
「ありがとう」
けれど、気になるのはその金の出処と、こんな所で油を売っていていいのかということ。
「ねえ、ギル?いつも差し入れしてくれるのは有難いのだけれど、貴方一体普段何をしているの?日中のこんな時間にこんな所で油を売っていて大丈夫なの?」
今までにも何度か、何の仕事をしているのかとか、寄り道していて大丈夫なのかとか、色々訊いたことがあるけれど、毎回話をはぐらかされる。
そもそもに、私がこのミッターマイヤー家に来た日も、何故か夫妻と一緒に家にいたという謎な人だ。
人目を忍んで夜中に来たにも関わらず。
けれど、船長も夫妻も「彼は大丈夫だから」としか言わず、結局、彼が何者なのか未だに分からない。
「お?なんだ、お前そんなに俺のことが知りたいのか?もしかして一目惚れしたとか?」
これである。
要するに、詮索されたくない訳だ。
「あー、もういいわよ。もう訊かない」
言って私は、追い払うように彼に向ってシッ、シッ、と手を振る。
そうすると彼は「なんだよつれないなぁ」と言って、受け取ったまま手に持っていた菓子の袋を開け、中から菓子を一つ摘み、私の口に無理矢理押し込む。
押し込まれた際に、彼の指が私の唇をつっとなぞり、その指を彼は目の前でペロリと舐めて見せた。
「なっ、何するんですか!!」
思わず、彼の腕を掴み、彼の唇から指が離れるように引っ張る。
彼はそんな私を楽し気に見下ろし、耳元に口を寄せると「顔、真っ赤」と言って、くつくつと笑いを漏らす。
すっかり
この男、本当に一体何がしたいんだ?
ムカつきながら、もう無視してカウンターの向こうへ戻ろうと横を向いた所で、彼はカウンターに両手をつき、私の体をカウンターと彼の体で囲い込む。
一瞬ビクッと肩を揺らしてしまった自分に苛立ちながら、彼へ向き直り、思い切り睨み上げた。
「何なんですか!」
彼は相変わらず楽し気な顔で私を見下ろし、僅か上体を倒して私へ顔を近づけてくる。
「なあ、ティア。お前、俺の婚約者にならないか?」
ニヤリと口端を吊り上げ笑うギルに、私は思い切りボディーブローをお見舞いしてやる。
ぐふっと声が漏れるが、距離がなさ過ぎて力が入っていないし、寧ろ殴ったこっちの拳の方が痛かったくらいだ。たいして効いてはいないだろう。
「ちゃんと働いているのかも分からないような男はお断りよ!」
そう言って、私を囲う彼の腕を押しのけ、カウンターの向こうへと戻った。
ワザとらしくお腹を撫でながら、彼は凝りもせずカウンター越しに話しかけてくる。
「ま、向こうでどういう扱いになってるか分からないから、婚約できないか」
カウンターに肘をつき両掌で顎を支えながら、楽し気に、けれどその声だけは小さく囁かれる。
私は手近にあった計算用のメモ用紙の束を彼に向かって投げつけた。
「帰って!」
私が本格的に怒っていることが漸く伝わったのか、彼は「あー、悪かったって。怒るなよ。今日はもう帰るから」と言って、ヒラヒラと手を振り店を出て行った。
彼に言われなくても分かっている。
両親には「私は死んだと伝えてくれ」と手紙を残してきたけれど、伯爵家相手に、しかもあの執着の酷いルーファス相手にそれがどこまで通用するのか。
婚約を無効にせず、もし私を探してでもいたら…。
見つかってしまった時を考えると、こちらで婚約や婚姻を結んでしまえば、相手に迷惑がかかってしまう。
そう考えれば、彼の言うように、私が婚約するのは無理に等しい。
まあ、別に私は結婚なんてしなくても構わない。
寧ろ、ルーファスみたいな奴と結婚するぐらいなら、死んだ方がマシなくらいだ。
けれど彼の言いたいことも分からなくはない。
彼は初めて私がミッターマイヤー家へ来た時に、ここに居て、私の話は聞いている。
その時にも言っていた。
「何も言わず、何もせず、逃げてくるんじゃなくて、家族にくらいちゃんと自分の気持ちを伝えてからの方が良かったんじゃないのか?」
分かってはいる。
私が逃げたことで迷惑を
けれど、あの国の人間はおかしい。
長年続いたあの法律で、無理矢理
女性の人格なんてほぼ無視だ。
何なら、親子であっても、娘なんて道具にされて、媚薬でも盛って相手に差し出されるんじゃないかとすら思える。
私の父がそこまでする人間かは分からない。
けれど、確実にルーファスは媚薬を盛ってでも私を手に入れようとするだろう。
そんな所へ戻るなんて嫌だ。
…でも。
兄のことだけは。
向こうで何か起こっていないか、今度、船長さんに訊いてみよう。
そう結論づけると、私はふぅっと溜息を
休日はいつも港に沢山の出店が並ぶ。
店舗を構えての販売ではなく、卸売りする前に、仲介なしで高値で取引する為や、新しい卸先を確保する為などに出されるもので、私はアダスティア王国に居た時にも、ウェルネシア帝国に来てからも、休みには必ず足を運んでいる。
並ぶ出店を覗きながら、私は船長のザックさんを探す。
ちょうど先程ザックさん達の乗る船が港に入ってきたところなので、たぶんそこら辺で荷降ろしを手伝っているんじゃないかと思う。
そう思って、周りを見回していると、人混みの中に綺麗な銀髪を見つけた。
「ザックさん」
人混みをかき分け駆け寄って行くと、彼は顔を上げ、私を見つけると軽く手を上げ応じてくれた。
「おう、セ…、ティア久しぶりだな。元気にしてたか?」
海の漢らしくよく日に焼けた彼は、ガッチリとした体つきで海賊船の船長ですか?というような風格を醸し出している。
精悍な顔立ちは、どこか誰かに似ている気がしたけれど、思い出すことができず、とりあえずそこは気にしないことにした。
「ええ。お陰様で」
にっこりと微笑んで返し、ザックさんも元気そうねと付け加えると、彼は「おうよ!」と元気よく返してくれた。
しかし一瞬後には何かしら考え込むように押し黙った。かと思えば、すぐににかっと笑って私の手を取る。
「ティア、いいものを見せてやる。ちょっとついて来い」
そう言って、有無を言わせず私の手を引き、つかつかと歩を進めていく。
無言のまま結構な大股で歩くザックさんの後を、慌てて小走りについて行くと、辿り着いた船長室へ入り、彼はパタンと扉を閉めた。
「ザックさん?」
なんだか少し不穏な空気を感じて恐る恐る声をかけると、彼は扉から目一杯離れた所まで私の手を引いていき、いきなりストンと手を放した。
「ティア。お前に伝えておくことがある。アダスティア王国での事だ」
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