17日 弟月町小史④ シゲやんの話・後編
コウばあやんは目を悪うしとった。
トラコーマかなんかに罹った後、ろくな治療もできんかったせいじゃろ。
うちからの差し入れをえらい喜んでくれて、こんな物しかお返しがないなあと言いながら、炒ったムカゴを新聞紙に包んでくれた。
ムカゴ食うたことがあるか? 美味いやつはイモみたいな味がするが、中にはえぐみが強いだけで不味いのもある。どっちにしろ腹の足しにはなる。
帰りの船で食おうと楽しみにしとったんじゃがな。
船着き場の近くで、あの子に会ってしもうた。岬の家におったミッちゃんじゃ。
戦時中、端手の岬は高射砲の砲台を作るんで家は取り壊しになったと聞いとった。二人おった姉さんは女学校を卒業せんうちに嫁に行き、ミッちゃんひとり疎開で見可島に預けられたと。
ミッちゃんは痩せて、モンペがぶかぶかしとった。左手に、いつ換えたかわからんような汚い包帯巻いてな。だいぶ前の勤労奉仕の時に怪我した傷が、いつまでも治らんいうて。栄養失調だったんじゃろな。もうあの頃は皆、栄養失調よ。
ええ育ちのお嬢さんが、なんでこんなとこで痩せこけて青い顔しとるんぞと思ったらワシは腹たってきてな。
気がついたら、ムカゴが入った新聞包みをミッちゃんの手に押しつけて、そのままだーっと船着き場に走っておったわ。
帰りの船の中で腹の虫がぐうぐう鳴って、ちょっと、いやだいぶ後悔した。ばあやんにもらったあのムカゴ、なんで全部やってしまったんじゃろ。半分にしときゃあ良かったとな。
それから冬になって、ますます食糧は不足した。
毎日腹が減って腹が減って。もう買い出しの人らにイモ譲ってやる余裕はなかった。
大潮の時、弟を連れて磯へ行った。冬牡蠣なんかは大人にとられてしもうた後じゃったが、亀の手とかヨメガカサくらい残っておりゃせんかと思ってな。、岩にへばりついとる貝はたいした腹の足しにはならんが、汁の実にしたら家族で食える。
潮が引いとるから、いつもよりもっと奥の岩場まで行こうとしたら、プーンと良い匂いがしてきた。まるで飯の炊けるような匂いじゃ。見ると、岩の上に小さい子どもが立っておる。おかっぱ頭で水兵服を着て、見可島のオッコに似とると思ったが、もっと小さい子じゃ。子どもはなんも言わず、あっちを見よというようにアゴをしゃくった。なにを生意気なと思ったが、その先を見るとな。
船がおった。
磯の隙間の、大潮のときくらいしか見えん小さい浜に釣り船くらいの船が泊まって、甲板で知らんおじさんが飯を炊いておった。釜いっぱいの白い飯! 夢みたいな光景じゃ、ワシも弟も釘付けになった。おじさんは丼に白飯をよそうと、おかっぱ頭の子に握り飯をひとつ握ってやる。子どもが船べりで食べ始めると、また握り飯をひとつ、またひとつ。それを両手に持ってな、「ホイ」とこっちに差し出してくれた。
信じられるか? 白い飯ぞ。
ワシも弟も、礼を言うのも忘れて、夢中でかぶりついた。
握り飯は磯くさかった。おじさんが海水で握ったんじゃろう。けどそんなもんどうでもええ。白い飯! 固い麦も雑穀も混じってない、炊きたての白い飯! いったいいつぶりじゃったろうか。ああこれは狐か狸に化かされとるに違いないとも思ったが、止まらんかった。
そうして握り飯を食べ終わった後、ふと顔を上げると、船もおかっぱの子も消えておった。やっぱり狐か狸じゃったかと。いやしかし、掌に残った飯粒は本物じゃ。
ワシは残った飯粒をひとつ残らずだいじに食べながら、ええか、このことは誰にも言うてはならんぞと弟に言い聞かせた。
このご時世に釜いっぱいの白い米とは、ヤミ米に違いない。しかもふだん漁師も船を着けんような荒磯にこっそり船を着けるとは、なんぞ後ろ暗いことがあるんかもしれん。そんな人から握り飯もらって食うたなぞと親に知られたら――それくらいは子どもでも考えるわい。
それにしてもうまい握り飯じゃった。
今はほれ、なんぼでも白い飯が食える時代になったが。
あんな美味い握り飯を食うたことはないのう。
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