5日 手芸店アルデア
師走になると商店街がセールを始める。
クリスマスソングの流れるアーケードをぶらぶらしていると、ふと閉店セールの文字が目に入った。
間口半間ほどの古い手芸店。おそらく昭和の時代から変わってないだろう看板は手書きだろうか、青い『アルデア』の文字が見える。知らない店だけど、もう閉店ならこの際だ、思い切ってドアを開けてみる。
「まあ!」
白髪頭の小柄なおばあちゃんが、驚いた顔で迎えた。
「お客様なんて久しぶりだわぁ。よくいらっしゃいましたこと」
でもおばあちゃんはなにやら手元で作業していたようで、そのまま後ろを向いて座ってしまった。接客するつもりはないんだろうか。
私は狭い店内をぐるりと見回した。
めぼしい品はすでにほとんど売れてしまったらしく、商品棚はスカスカだ。
売れないまま日焼けしてしまったトーションレースだの、何年前から並んでいるのか不明なミシン糸だの、ビニール袋を被ったキューピー人形だの……それらの向こうに積まれている小箱の列を、私は指さした。
「飾りボタンとか、残ってます?」
「ああ、あれねえ」
おばあちゃんはやっと顔を上げて、どっこらしょと箱に手を伸ばした。
「中身はほとんど残ってないのよう。箱の表についてるのはサンプルだし」
「あ、よければ私が」
私はおばあちゃんの了解を得て、自分でいくつか箱を下ろしてみた。
こういう古い店では、ボタンのサンプルがボール紙の小箱の表に留められて陳列されている。そんな「ボタンの箱」を見るのは、子どもの頃から好きだった。宝箱を覗くようでワクワクする。
おばあちゃんの言う通り、箱の中はあまり残っていない。サンプルのボタンも、近くで見ると変色したりひび割れたりしている。
それでも、ウッドボタンなんかは古さがかえって良い感じになっている。いくつかを手に取って見ていると、おばあちゃんがじっとこちらを見ているのに気付いた。
「あ、ごめんなさい面白くて。でもほら、ヴィンテージボタンてネットでも結構人気だし」
「ネットねえ。私はよくわからなくて。でもそういうのがお好きなら」
ちょっと待っててねと言いながらおばあちゃんは店の奥に行き、青いブリキの箱を持ってきた。表面にミシンメーカーの名が書いてある。
「これね、古くて恥ずかしいんだけど」
私は箱の中を見て思わず声をあげた。古いボタンでいっぱいだ。大小はもちろん、材質もばらばら。真鍮に木に貝、レトロデザインの樹脂製も。
「嫁に来た頃から趣味で集めたのよう。もらってくれないかしら」
「えっそんな。代金払いますよ!」
「いいの、売り物じゃないから。その代わり……」
おばあちゃんはさっきまで手元にあったものを拡げてみせた。
長いショールだ。冬空のようなグレーに鮮やかなブルーの糸で模様が編み込まれている。
「もう編み終わりだから、糸始末したいんだけどねえ、今日は目がよく見えなくて」
お安いご用だ。伏せ止めでいいですかと聞いて、綺麗に糸じまつをしてあげた。
「ありがとう。これでよし、心置きなく発てるわぁ」
「ああ、閉店したらどこかに引っ越されるんですか?」
おばあちゃんはそれには答えず、できたてのショールをふわりと羽織って立ち上がった。
タダではもらえないといったのに、おばあちゃんは青い箱のボタンの代金を受け取らなかった。
翌日訪ねてみると、店は跡形もなく空き地になっていた。
商店街の人に聞いたところ、手芸店「アルデア」はとうに閉店して売りに出されたという。
そんなばかな。閉店セールのことや看板のことも言ってみたが、そりゃ何年も前のことだよと呆れられた。
じゃあ、あのおばあちゃんは?
青いブリキの箱とたくさんの古いボタンは確かに私の手元にあるのに。
納得できないまま商店街裏の川を眺めていると、一羽のアオサギが水辺に立っていた。アオサギは一声鳴き、大きな羽根を拡げた。
グレーの地に青い色――どこかで見た配色だと思うまもなく、アオサギは空に飛び立っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます