第10話 天国と地獄
目覚まし時計の音で目が覚める。
目覚めは最高に良い。
どうせ海に入るのだからと、化粧はいつもより簡単にして髪を整える。
昨日閉店間際にスーパーへ駈け込んで買った食材を冷蔵庫から取り出す。
ハムとチーズとレタスとトマトをバターを塗ったバケットに挟む。
お弁当箱を探すも、そんな洒落たお弁当箱もないので、しまったと思いながら仕方なくラップで包む。
ホットコーヒーを水筒に入れて、時計を確認すると約束の時間の15分前。
海までは10分だから、もう出ないと遅れてしまう。
慌てて荷物をまとめて家を飛び出す。
サーフボードは昨日のうちに車に積んでおいてよかったと昨日の自分を褒めながら、海へ向かう。
駐車場に車を止めると、相馬さんの車が既に止まっている。
慌てて荷物とサーフボードを抱えて海へ向かう。
相馬さんの後ろ姿を見つけるも、今までスーツ姿しか見たことがなく私服姿を見ると、いつもの相馬さんとは別人に思えてしまう。
後ろ姿だけでもカッコイイのが分かり、心臓が大暴れする。
心を落ち着けようと深呼吸をしていると、相馬さんがおもむろに振り向き私に気付く。
笑顔で向かってくる。
笑顔とセットされていない髪型に、相馬さんじゃない別人がこっちに来ると錯覚してしまう。
さっき深呼吸したはずなのに、心臓は収まるどころかさらに大暴れし始める。
「おはようございます。寝坊しなかったんですね。それにしても大荷物だ。」
と笑いながら言って、私のサーフボードを担ぐ。
ドキドキしている心臓に気を取られながらも、サンドウィッチのことを思い出し、勇気を出して相馬さんに話しかける。
「おはようございます。海行く前に朝食でもどうですか?」
相馬さんが振り向く。
断られたらどうしようと心配になる。
「朝食?そんな約束してましたっけ?朝早いからお店開いてないですよ。」
「お腹は空いてますか?」
相馬さんの回答を無視して、再び問いかける。
「朝早かったから何も食べてないけど、ほんとにお店どこも開いてないですよ。」
まだお店の心配をしている相馬さんが可愛く思えてくる。
「そこの階段に座りましょ。」
声をかけて2人で近くの階段に腰掛ける。
「可愛いお弁当箱がなかったから、ただのラップ。お口に合うといいんですけど。」
さっき作ったサンドウィッチを手渡す。
驚いた顔をするも、直ぐに笑顔になる。
「さっきも言ったけど、朝食べてないからお腹空いてました。朝早いのに作ってくれて、ありがとうございます。」
私からサンドウィッチを受け取るなりパクつき始める。
「それにしても意外だな。」
不味かったのかと体が固くなる。
「何が意外なんですか。おいしくなかったですか?」
「社長が料理するなんて。しかも美味しい。何でも完璧にこなすんですね。」
意外な褒め言葉に顔が熱くなる。
照れていると悟られたくなくて、
「意外とは失礼ですね。普通に料理もするし、何でも自分でやりますよ。完璧ではないですけど。」
「仕事も料理も出来るなんていい女ですよ。見た目もいいからモテるでしょ。」
お世辞と分かっていても嬉しい言葉だ。
「モテたら今苦労してないですよ。」
「社長は男なんて選びたい放題でしょ。俺なんて社長の目にも止まらないよな。」
相馬さんの言葉にドキドキする。
なんて言って返すべきなのか悩みながらも、
「相馬さんもいい男ですよ。総務の子達が大騒ぎしてますよ。」
「俺、臆病なんですよ。気になる人には中々上手く話せなくて。」
マスターが言っていた美女が頭をよぎり気持ちが下がっていくのを感じる。
「相馬さんの理想のっていうことは相当な美人ですよね。」
「美人だし気遣いもできる人です。」
「上手くいくと良いですね。」
心もにもない言葉が口をついてでる。
「それにしても、このサンドウィッチ旨い。昔からサーフィンも上手いし。ほんと何でもできますね。」
「昔から?」
相馬さんがまるで昔から私を知っているような口ぶりだ。
相馬さんはしまったというような顔をしている。
「昔からサーフィンも上手そうだなと思ってたら、言葉を間違えました。ところで、このパンどこで買ったんですか?めちゃくちゃ旨い。俺も買いたいなと思って。」
不自然に会話を逸らされるところも怪しかったが、これ以上追及するのは止めた。
朝日を見ながら波の音を聞いて、好きな男と一緒に食べる朝食は最高だった。
「御馳走様でした。朝早くからありがとうございました。今度、
お礼させて下さい。」
「お粗末様でした。お礼期待してます。さっ、腹ごしらえも終わったので、海に行きましょうか。」
自分のサーフボードを取ろうと手を伸ばすと、相馬さんも手を伸ばしており手が触れ合う。
慌てて手を引っ込めるも心臓がバクバクしている。
中学生じゃないんだから、手が触れただけで照れるなんておかしい、と自分に言い聞かす。
「俺が海まで持って行きますよ。」
と言って途中で自分のサーフボードも持って海へ向かう。
今日は相馬さんの何もかもがかっこよく見えてしまう。
非日常がそうさせているとは分かっているが、このどきどきを止められない。
の気持ちを誤魔化すためにも早く海に入りたかった。
「ありがとうございます。」
とボードを受け取ると、さっさと海へ入っていく。
久々の海は気持ちが良い。
波を見極めながらサーフィンを楽しむ。
相馬さんが波に乗ってる姿はいつも以上に素敵で写真に収められないのが残念だ。
目に焼き付けようとそっと相馬さんを盗み見する。
あっという間に時間は過ぎて、2人ともくたくたになる。
「そろそろ終わりにしますか?」
「そうですね。さすが社長。体力ありますね。」
「体力と食欲だけはだれよりもある自信はあるので。」
冗談を言いながら、海から出る。
始めたころには朝日が出ていたのに、今はすっかりお日様の出番だ。
「楽しかったです。ありがとうございます。この後は?」
「ちょっと外せない用があって。本当は朝食のお礼に昼食をと言いたかったんですが、どうしてもずらせない用事があって、お礼はまた今度誘ってもいいですか?」
相馬さんの言葉を聞いてがっかりしている自分がいる。
このまま、どこかに一緒に行きたいなと思っていた。
「そうですね。お礼は今度でいいですので、忘れないで下さいね。何度も言うようですけど、社長って言うのやめてくれないですか?」
がっかりした気分と一緒にいられない悔しさから、朝から感じていた違和感をぶつける。
「プライベートでも社長は社長ですので。」
私の提案を頑なに受け入れようとしない。
「ほんと、俺も夢のような時間で楽しかったです。また誘っていいですか。お礼も近々お誘いします。」
クソ真面目な相馬さんが普段見せることのない笑顔をしている。
さっきまでイライラしていた気持ちが収まっていく自分も単純だなと思いながら、
「車で来たんですか?途中まで送っていきますけど。」
「家が近くだから歩いて来たんですけど、迎えが来ているので。お気遣いありがとうございます。すみません。今日はここで失礼します。」
と最後はクソ真面目な相馬さんに戻って、いつも通り深々とお辞儀をして行ってしまう。
あっけない別れに寂しさを感じながら、その背中を見送る。
相馬さんがおもむろに手を上げて、走り寄っていく。
その先にいたのは、以前見かけた美女だ。
マスターの言っていた美女に違いない。
私と会った後、直ぐに彼女に会うなんてどういう神経をしているんだろうか。
相馬さんの言ってたことは本心で、私は社長に過ぎなかったんだと思い知る。
さっきまで楽しかった気分が一気に下がっていく。
どれだけぼーっと立っていたか分からないが、このまま家に帰ってもロクでもない時間を過ごすこと思ったので、マスターのお店に寄ろうと決めた。
お店に着きドアを開けると、マスターが私に気付く。
いつものカウンターの席に座るよう手招きされる。
「久々に波乗りかい?楽しかっただろ。」
「楽しかったわよ。だけど今は最低な気分なの。」
マスターに当たるなんて最低だとは分かっていたが、気持ちが抑えられなかった。
「あれあれ、ご機嫌斜めだな。しょうがないから、俺特性のタコライスを作ってあげるから少し待ってて。」
と言いながら、コーヒーを出してくれる。
さっきの言動を反省しながらも、出してくれたコーヒーを一口啜る。
口いっぱいにコーヒーの良い香りが広がる。
コーヒーを飲みながら手際よく料理をするマスターをぼーっと眺める。
私に見られていることに気付いたマスターが
「そんなに見られたら穴があくよ。もうできるから待ってて。」
と言いながら、お皿に盛りつけて目の前に出してくれる。
赤や緑があって、見た目にも楽しいタコライスが目の前におかれる。
「いただきます。」
と言って、一口頬張る。
トマトの酸味とレタスのシャキシャキがたまらなく美味しい。
「さっきはごめんなさい。タコライス、めちゃくちゃ美味しい。」
「ところでどうしたんだよ。久々の波乗りなんだから楽しかったんだろ。」
「海から出るまでは楽しかったわよ。好きな人と海辺で朝食を食べて、思いっきりサーフィンして、さぁ帰ろうとなったら、彼女が迎えに来てた。」
さっきの光景が思いだされ、抑えいていた気持ちが溢れ目に涙が滲む。
マスターにバレたくなくて、慌ててタコライスを頬張る。
「彼女?お前と2人でいるのに彼女に迎えにきてもらうか?知り合いとかじゃないのか?確認したのか?」
「前にマスターに写真を見せた人よ。マスターも美人な彼女がいるって言ってたでしょ。」
「あの人か。確かに美人な人と一緒に来てたな。結婚式がどうのとも言ってたけど、たまたま聞こえてきた話だから二人が付き合ってるっていう確証はもちろんないよ。」
「結婚式の話をするなんて彼女以外、考えられないじゃない。」
こんな話になるなら店に来るんじゃなかったと後悔する。
「それは凛ちゃんの推測だろ。傷つくかもしれないけど、本人に確認してみないと。そじゃなかったら前に進めないだろ。」
「彼が言ってた気になる人にぴったり当てはまる人だったの。」
「そうは言うものの、確認してみないと分からないだろ。違ったら、ただの勘違いってことでいいじゃないか。もし彼女だったとしたら諦めついていいんじゃないか。」
マスターの言う通りだとは思ったけど、同じ職場で気持ちが上手く切り替えられるか自信がなく、マスターに言葉を返すことができていないでいると、マスターが続ける。
「凛ちゃんは俺のお客の中でも1・2を争うほどの、べっぴんさんだから、他にいい男なんていくらでも見つかるから心配するな。まだまだ若いんだから、チャンスはいくらでもある。」
マスターはけらけら笑いながら話している。
他人事には違いなかったが、マスターがあまりに簡単に言うもんだから、思い悩むのもばからしくなってきた。
「そうね、マスターの言う通り。当たって砕けろよね。」
口ではそういいつつも、本人に直接聞く勇気はまだ持てなかった。
残りのタコライスを食べると、マスターにお礼を言って店を後にした。
このまま家に帰っても気持ちがまた落ち込みそうだったので、いつも行かない方面に久々に散歩してから帰ろうと海辺を散歩することにした。
しばらく行くと、見たことのない店を見つけた。
新しくできた店なのかと思いながら、中に入ってみる。
パン屋さんだったが、中には誰もいない。
いい匂いが店中をいっぱいにしている。
急にパンを食べたくなってきて、夜ご飯と明日の朝ごはん用に買って帰ろうと選ぶことにした。
選んでいれば店員さんがきてくれるだろうと、いくつかトレーの上に乗せてしばらく待つものの誰も来ない。
帰ろうにもトレーの上に乗せたものを返すのはマナー違反だと思い、思い切って店の奥に声をかけてみる。
「すみません。パンを買いたいのですが。」
私の声が聞こえたのか、店の奥から男の人が出て来る。
胸に店長というバッチをつけているので、店主に違いない。
「お待たせしてすみません。こちらのパンでよろしいですか。」
店長を見て驚いてしまった。
相馬さんに雰囲気がそっくりだった。
私が何も言わず店長を凝視していたので、店長は不思議そうな顔をしながら
「こちらのパンお包みしますね。お待たせしてすみません。」
とさっきと同じ言葉を口にする。
「全然、待ってないです。ここのお店新しいですか。こっちには久々に来て。」
「ここでパン屋を開いてからは2年目ですかね。普段は2人でお店をしているんですが、今日は予定があって一人お休みで。ばたばたしててすみません。」
何度も謝ってくる店主が気の毒になって来る。
「本当に待ってないので気にしないで下さい。」
と言いながらお会計を済ます。
「お待たせしたお詫びとまた来て頂きたい気持ちを込めて、これサービスで入れておきますね。」
選んだパンが入っている袋の中に、クロワッサンを一つ入れてくれた。
お礼を言って店を後にする。
店長と相馬さんを重ねてしまった自分は相当重症だと思いながら、来た道を戻る。
途中で少しスケッチをしていると、あっという間に時間が過ぎていった。
相馬さんと彼女を見たショックもだいぶ薄れてきた。
家に帰ろうと車に乗ると、放置していた携帯を確認する。
数件LINEが入っている。
仕事関係と真理と、あとは目を疑う人物からも連絡もきていた。
慌ててメッセージを確認すると、
『今日はありがとうございました。とても楽しかったです。もっと一緒にいたかったのですが、予定があって帰り際ばたばたしてすみませんでした。お礼を来週末のお昼ご飯一緒にいかがですか。私用で連絡してはいけないと思いながらも、来週月曜日まで待てずに連絡してしまいました。』
まさかの相馬さんからだった。
しかも、またお誘いのメッセージだ。
私用携帯と仕事用携帯を分けていないので、従業員にはLINEアカウントを教えていた。
相馬さんからメッセージがきたのは初めてだった。
メッセージを見た瞬間は嬉しかったけど、今は彼女がいるくせに思わせぶりな文章を書く相馬さんに苛立ちを覚える。
相馬さんのセカンドになる気は全くない。
イライラしながら、携帯をベッドに放り投げた。
返信するつもりは全くない。
お気に入りの入浴剤を入れてお風呂に入って、撮り溜めたテレビを見て、相馬さんからのLINEを忘れようと思った。
だけど、携帯が気になってしょうがない。
真理に報告すると約束していたことをふと思い出す。
LINEに返事もしていなかった。
真理に電話をかける。
「凛、どうだった?ずっと連絡待ってたのよ。」
待ってましたと言わんばかりに電話に出た途端まくしたててくる真理に笑いが込み上げる。
「連絡できなくてごめんね。どうもこうも最悪だったわよ。」
「振られた?」
遠慮しながらも真理が聞いてくる。
「そんな感じよね。私と別れた途端、女と一緒に帰って行った。」
「えっ、それ最低だね。」
「そうでしょ。頭にきちゃって。告白しなくて良かったわ。」
「そんなことするような人には見えないのに意外ね。でも、彼女はいないって言ってたのに。本当に彼女だったんだよね?」
マスターと同じことを聞いてくる。
「彼女かどうかは確認してないけど、2人で会うってことは彼女でしょ。相馬さんの理想の人にぴったり当てはまる人だったし。」
さらにLINEのことも思い出され続ける。
「おまけにまた誘ってきたのよ。彼女いるのにほんとに最低よね。」
「また誘ってくるなんて、やっぱり彼女じゃないんじゃない?同僚に二股かけるなんてめんどくさいことするような人だと思わないし。確認してみたら?」
「もう関わらないことに決めたから、仕事だけの付き合いにする。これからも寂しい私に付き合ってね。」
「凛がそれで納得してるならそれでいいんだけど。後悔しないようにだけしてね。」
電話越しでも真理が苦笑いしているのが想像できる。
「もう相馬さんの話はしばらくしないでね。真理に話したらスッキリして、急に疲れが出てきちゃった。」
「お役に立ててよかった。また月曜日から忙しいから、もう早く寝なよ。」
「ありがとう。そうする。また会社でね。」
そう言って真理との電話を切る。
相馬さんからのLINEを返信していないことが気になりつつも、もう関わらないと決めたのでスマホの電源を切って、ベットに潜り込んだ。
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