第9話 約束

翌日のポップアップは昨日の騒ぎが嘘かのように、穏やかな一日がスタートだった。


穏やかといっても私の気持ちの問題で、お客様は次から次へとやってくるので、休む間もなく接客をしているのが現実だ。


相馬さんのことが気になり、ちらちらと様子を伺うも、まるで避けられているかのように接触する機会がない。


今日は朝から挨拶すらしていない。


お昼に差し掛かり、少し客足が落ち着いてきた。


秘書がバックヤードに向かって歩いて行く姿が見える。


近くにいた休憩から戻ってきたばかりの真理に一声かける。


「客足が落ち着いてきたから、裏でコーヒー飲んでくる。何かあったら携帯に連絡して。」


「はいよ。今は落ち着いてるから、ゆっくり休んできて。」


真理の声を背中で聞きながら、相馬さんの後を慌てて追いかける。


やはり、バックヤードでコーヒー休憩をしている。


自販機でコーヒーを買って相馬さんの近くへ行く。


昨日のこともあり、緊張している。


「今日も順調な客足ね。」


相馬さんは、私に話しかけられてぎょっとした表情をして立ち上がり、慌てて残りのコーヒーを飲み干している。


私を避けているのは間違いないようで戻ろうとしている。


「ちょうど今、客足が落ち着いてるから、少し休んでから戻っても大丈夫ですよ。今来たばかりですよね。」


と言いながら、相馬さんの隣に座った。


気まずくて心臓はドキドキしているけど、避けられるのは気分が良くない。


相馬さんは戻る機会を失ったと悟ったのか、立ち上がった席にもう一度座り直す。


所在なさげに、握っている缶を擦っている。


そんなに擦ると印刷しているパッケージが薄れてしまうんじゃないかと可笑しくなる。


いつもクソ真面目で自信満々な相馬さんとは違う姿に、いたずら心が出てきて、からかってみたくなってきた。


「昨日は折角ケーキを食べる機会を誰かさんのせいで台無しになってしまいました。私、無類のケーキ好きなんです。ケーキを食べるために頑張ってたのに。」


相馬さんは相変わらず缶を擦っていたが、申し訳なさそうに下を向く。


「それは本当に申し訳ありませんでした。」


「春にお店の名前すら聞いてないから、確認しないと。」


申し訳なさそうにしていた相馬さんだったけど、春の名前が出るとパッと顔を上げる。


「あいつと2人で会うのは止めた方がいいですよ。気があるのかと勘違いされますよ。」


「じゃぁ、相馬さんが埋め合わせしてくれる。春とは行かないから。」


こんなこと言うつもりじゃなかったのに、言葉が勝手に口をついて出る。


自分の発した言葉に驚いたが、同じく相馬さんも驚いた顔をしている。


何だかデートに誘ってるみたいで、気恥ずかしくなったので慌てて、


「食事じゃなくてもいいです。ポップアップが終わった翌日、みんな休みですよね。その日にサーフィンしに行きませんか。前に趣味がサーフィンって言ってましたよね。私もサーフィン好きなの。気分転換にどうですか?」


言ったものの、何故こんなことを言ってしまったのか自分でも理解できない。


何を言っているんだと、自分を思いっきり殴りたい気分だ。


さらに驚いたのか、相馬さんが目をまん丸くしている。


いきなりこんなことを言われても迷惑なだけだし、変な奴だと思われるのも嫌だったので、慌てて訂正する。


「ごめんなさい。自分でも何言ってるか分からなくて。今の言葉は忘れて下さい。」


これ以上、この場にいるのが恥ずかしくて、お店に戻ろうと急いで立ち上がる。


その手を掴まれたかと思うと、信じられない言葉が耳に入る。


「それじゃぁ、朝6時に浦浜海岸で集合で。お先に失礼します。」


相馬さんはそう言ったかと思うと、私を掴んでいた手をぱっと離すと、空き缶をゴミ箱に捨てて、お店に戻っていく。


この瞬間に何を約束したのか、理解ができない。


今、今週末にサーフィンに行く約束をしたような気がするけど、本気で言ってるのかどうかも分からない。


混乱したまま、お店に戻る。


戻るとすぐに相馬さんと目が合う。


相馬さんが私の方へ向かって歩いてくる。


横を通り過ぎる瞬間に耳元で


「さっきの約束本気ですから。忘れないで。」


と低くて耳馴染みの良い声が耳を掠める。


耳元が擽ったい。


耳が赤くなるのを感じ、慌てて耳にかけていた髪の毛で隠す。


振り向いて相馬さんを見るも、既に接客対応をしている。


袖から除く血管の浮いた手がやけに男らしく見える。


約束の日が楽しみで、その日からポップアップ終わる日が待ち遠しくなった。


そんな気持ちのまま、ポップアップ週間はどんどん過ぎていく。


気付いてみれば、あっという間に終わってしまった。


蓋を開ければ、目標としていた数字をはるかに上回る数字で大成功を収めた。


相馬さんとは約束した日以降、忙しくてまともに話す機会も無く、ただただ盗み見する毎日だった。


閉店になり、撤収作業も終わったので、社員を集める。


「みなさん、ポップアップお疲れ様でした。目標以上の数字を達成することができて、みなさんには感謝しかありません。明日一日お休みですが、明後日からまた次に向けて頑張りましょう。お疲れ様でした。撤収!」


私の声でみんなそれぞれお疲れと言って帰って行く。


私も帰ろうと残された荷物を持とうとすると、横から手が伸びてきた。


「車まで運びます。」


荷物を持つとすたすた歩いて行く相馬さん。


無表情だったけど、背中から優しさがにじみ出ている。


慌てて背中を追いかける。


車まではお互い無言だった。


「お疲れさまでした。荷物ありがとうございます。」


相馬さんから荷物を受け取ると、トランクにしまう。


荷物をしまっていると、背中から声がかけられる。


「明日の約束覚えてますよね。遅れないでくださいね。」


荷物をしまい終えて相馬さんを見ると、今までに見たことのない柔らかい表情をしてる。


その表情に一瞬見惚れながらも、それを悟られたくなくて


「相馬さんこそ、早いので寝坊しないで下さいね。」


私の言葉を聞いて、相馬さんがいたずらそうに笑いながら


「俺も朝は得意ですので。それでは、また明日。」


自分の車に向かって行く相馬さんの後ろ姿を見送りながら、さっきの笑顔を思い出し胸が疼く。


相馬さんの後ろ姿を見送っていると、ポケットにいれていたスマホが揺れる。


着信相手は真理だ。


「凛、私に声もかけずに先に行くなんて不届き者ね。」


相馬さんに声をかけられたので、真理に声を掛けずに出てきてしまったことを怒っているようだ。


「今、駐車場。荷物があって、先に降りてきた。」


「全部見てたわよ。相馬さんに荷物持ってもらって嬉しそうに尻尾振ってたわね。」


「嬉しそうに尻尾なんて振ってないわよ。」


全部見られてたかと思うと恥ずかしい。


「まだ出てないわよね。いつもの打ち上げの場所でいい?」


毎回ポップアップが終わると真理と二人で打ち上げをしている。


今回は相馬さんのことで頭がいっぱいになり、すっかり忘れていた。


忘れていたというと更に真理を怒らせそうなので、忘れていたことを悟られないようにと思いながら、


「週末で混んでそうだったから、先に行って席を確保しようとしてたところ。」


「本当は忘れてたでしょ。誤魔化すのが上手くなったわね。その誠意に免じて許す。後でお店で。」


長い付き合いだから誤魔化していたことがばれていたようだ。


お店に向かうと週末なこともあって、やはりお店は混んでいた。


待っていると真理がやってきた。


「私との約束を忘れるなんていい度胸ね。」


ふざけながら真理が小突いてくる。


「ごめん、ごめん。今回はかなり忙しかったから、疲れてたみたい。」


「そんな訳ないでしょ。私に隠しごとしないで。相馬さんと何かあったでしょ。」


さすが真理、何でもお見通しだなと心の中で呟く。


「2名でお待ちの高梨様~」


ちょうど順番が回ってきたようで、名前が呼ばれる。


「真理、後でゆっくり話すね。」


と言って2人で案内された席に向かい、一通り注文を済ませた。


「で、何があったの?」


真理が待ちきれないかのように聞いてくる。


「いや、特に何もないけど。」


何から言えば良いのか分からなくて、適当に濁してしまった。


「何もないわけないでしょ。ポップアップ中、相馬さんのことばっかり見てたわよ。」


怒った顔をしながら真理が言ってきた。


盗み見していたことがバレていたかと思うと恥ずかしい。


「恥ずかしいから、誰にも言わないって約束してくれる?それから、どこから話せばいいか分からないから長くなるよ?」


「あんたの話を誰に話すっていうのよ。誰にも言わないわよ。長くなってもいいから話して。」


真理にポップアップ中に起きたことを話した。


春とのやりとりのところを話していると真理も興奮してヤジを挟んできて、可笑しくて声を上げて2人で笑った。


一通り話終えると、真理が


「明日の約束があるからお酒飲まないってことなのね。」


「二日酔い状態で海に入ると危ないからね。」


「そうじゃないでしょ、酒臭い状態で相馬さんに会うのが嫌なんでしょ。ところで、2人は付き合ってるわけじゃないのよね。」


真理の言葉に肝心なことを話すのを忘れていた。


相馬さんが美女と歩いている姿とマスターの話を思い出して、どんと気分が落ち込む。


「言い忘れてたけど、相馬さん彼女いるんだよね。」


「そんなはずはないけど。総務の子が相馬さんに彼女いるのか聞いたら、いないって答えたらしいよ。みんな目の色変えて相馬さんを狙いにいってるの、あんた知らないの?」


そんなこと全然知らなかった。


「だけど、私美女と2人で歩いてるの見たし、お店のマスターも結婚間近の彼女がいるって言ってたわよ。」


「本人から彼女がいるって聞いたわけじゃないでしょ。総務の子は本人から彼女がいないって聞いてるのよ。」


真理の話を聞いて、少し気持ちが明るくなる。


「明日彼女がいるか聞いてみようかな。」


「聞いてみるなんて生易しい、告白しなさいよ。私の読みでいくと相馬さんも凛のこと好きなんじゃないかな。」


「そんなことないと思う。総務の子とは休憩室で楽しそうに話しているのに、私とは話さないし、明らかに扱いが違う。しかも、真理のことは真理さんて呼ぶのに、私のことはいつまでたっても社長よ。」


「ヤキモチ焼いて可愛い凛ちゃんですね。」


真理がからかってくる。


「ちょっとからかわないでよ。」


「ごめんごめん。そうと決まれば、まずは胃袋を掴まないとね。明日、お弁当作っていきなさいよ。凛、料理上手でしょ。」


「お弁当なんて持っていって、引かれないかな?」


「何言ってるのよ。ダーリンは私に胃袋を掴まれて、今に至るのよ。私を信じなさい。そうと決まれば、閉店前にスーパーに行かなくちゃね。」


時計を見ると随分時間が経っていた。


「そうかな。気合いを入れ過ぎて引かれるといけないから、サンドウィッチなんてどうかな?」


簡単なものなら引かれないと思って、真理に聞いてみる。


「いいわね。サンドウィッチと珈琲にしなさい。そうと決まれば、今日は解散よ。明日どうなったか報告してね。」


私以上に興奮しながら、真理が帰る準備を始める。


「何があったか報告するね。今日はありがとう。」


真理とお店で別れると、相馬さんの喜ぶ顔を想像しながら、急いで閉店間近のスーパーへ向かった。

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