第8話 惹かれていく
ソファーで寝てしまったせいで、体中が痛い。
気分は最低最悪だ。
昨日マスターから聞いたことが頭をぐるぐる回る。
気怠い体を引きずりながら、気分転換にシャワーを浴びる。
少しスッキリしたような気がする。
朝食は食べる気になれず、コーヒーだけ飲んで家を出て会社に向かう。
「おはよう」
いつも通りデスクに向かいメールをチェックしていると、秘書がデスクに近寄ってくる。
「おはようございます。顔色が悪いですが、体調が悪いのですか。」
相場さんが心配そうな顔でこちらを見ている。
こんなことを聞かれたのは初めてだったので驚くも、昨日のマスターの話が頭を掠める。
「少し寝不足なだけ。」
「そうですか。体調が悪くなるようでしたら教えて下さい。あと、甘いものを食べると少し元気が出ますよ。」
と言ってチョコレートをデスクに置くと、自分の席に戻っていく。
彼女がいるのに、優しくしないでよ、勘違いしちゃうでしょ、と心の中で悪態をつきながらチョコレートを口に入れる。
一気に甘さが口に広がる。
朝食を食べていなかったせいもあるのか、チョコレートの甘さが体に染み渡り、少し気分が軽くなった気がする。
今日から、新作展示会のポップアップストアに向けて準備が始まる。
初日は関係者も多く来るので、抜かりなく準備をしなければいけない。
今日から忙しい日々が始まった。
マスターから聞いた相馬さんと彼女のことを考える時間もないぐらい忙しい日々に突入したので、ちょうどよかった。
怒涛な毎日で、帰宅は午前様が当たり前。
相馬さんとは仕事の話は以前よりしゃべる機会が多くなるも、それ以外の話は全くしない。
そんなことに不満を覚える程の余裕もなく、準備に追われる毎日だった。
怒涛の毎日を送って準備をした甲斐あって、無事ポップアップストア当日を迎えることができた。
今回は大きなトラブルなく順調に進み、今日を迎えられた。
初日の今日は関係者を招待しており、ちょっとしたパーティーのような感じになっている。
「みなさん、今日まで準備お疲れ様でした。今日からポップアップが始まります。もちろん目標もありますが、来て頂いたお客様に満足してもらえるような接客を心がけて頑張りましょう。」
開店前に従業員に軽く挨拶をする。
相馬さんをちらっと見るも、私の挨拶が終わるとすぐにノベルティの準備に行ってしまった。
「凛、準備お疲れ様。今日がまず1発目の勝負日だね。広報関係者は私に任せて。関係者がきたら私を呼んでね。」
「真理もお疲れ様。私達は目標達成のために頑張ろう。何かあったら連絡するから、スマホは気付くように持っていてね。」
こんな時真理がいてくれて本当に心強いと、改めて思う。
真理とやり取りを終えて、会場の最終チェックをしていると、次々に関係者が来場してくる。
午前中は挨拶追われあっという間に時間が過ぎていく。
お昼になり、来場者が少し落ち着いてきて一息つく暇ができる。
相馬さんを探してキョロキョロしていると、私が苦手としている人物が目に入る。
招待していないのに、いつもどこかで情報を聞いてやってくる。
大学の時に付き合っていた元カレだ。
顔を合わせたくなくて、わざと避けるようにして来場者と話をする。
真理も気付いたようで、私に寄ってくる。
「岩嶋さん、また来てるけど大丈夫?追い払いたいけど、周りの目もあるし邪険に扱えないよね。毎度、対処に困るわね。」
「ごめんね。とりあえず、春が気付くまで気付かないふりする。適当に相手して帰ってもらうわ。」
その言葉通り、気付かないふりをして接客を続ける。
その努力も空しく、来場者が途切れる瞬間がきてしまう。
関わりたくなかったので伝票の束を掴み、わざと忙しいふりをする。
相馬さんが春に気付いて近寄り、挨拶をしている。
変なことを言わないか思わず聞き耳をたててしまう。
「本日はご来場ありがとうございます。お気に召す商品はありましたでしょうか。」
相馬さんは、相変わらずどんなお客さんに対してもクソ真面目に対応している。
元カレだと知られたくないし、余計なことを言われたら困ると思い意を決して、2人の方へ足を進める。
「凛と話したいんだけど、呼んでくれる。」
相変わらずな勘違い野郎な春の発言にイライラする。
「失礼ですが、どちら様でしょうか。」
こんな無礼な客に対しても真摯に対応している相馬さんに、こんな奴は相手しなくて良いと心の中で悪態つきながら、急いで二人の元に近寄る。
「凛とは昔からの付き合いだから。ちょうど良かった、久しぶり。」
私を見つけた春は手を上げながら、こちらに来ようと歩き出す。
ところが相馬さんがその腕を掴んで歩みを止めさせた。
どんな時もクソ真面目に対応している相馬んさんにしては珍しい行動だ。
相馬さんに迷惑をかける訳にはいかないし、元カレだとバレるのも嫌だったので、さらに急いで二人の元へ向かう。
「今社長はお忙しそうなので、私が新作のご説明をさせて頂きます。」
そんな私の気を知らない相馬さんが、春に話しかけている声が耳に入ってくる。
「そうじゃないんだよ。凛と折り入って話があるから、そこどいて。」
2人の険悪な雰囲気に周りが何事かとざわざわし始めたので、慌てて二人の間に入る。
「春、久しぶり。ちょっと迷惑かけないでよね。」
慌てて相馬さんと引き離す。
「折角来たのに、無視すんなよな。まずは新作おめでとう。」
と言って小さな花束を手渡される。
相変わらずキザな男だと思いながらも、周りの目があるのでしぶしぶ受け取る。
「何しに来たのよ。彼女に水着でもプレゼントするの。私が選んであげようか。」
とにかく相馬さんに余計なことを言う前にこの場から離れようと、春の手を掴んだ。
そんな私にお構い無しに春は相馬さんの顔を見ながら、
「この間、取引先と一緒に行ったレストランのケーキが絶品すぎたんだけど、今日終わったら一緒に行かない。これを言いに来た。」
何で相馬さんの前でそんな事言うのよと怒りたくなるも、ケーキと聞いて心が揺れる。
私が無類のケーキ好きだと春はよく知っている。
付き合っている時もよく美味しいケーキ屋を見つけては、連れて行ってくれていた。
一刻もこの場を早く離れさせたいけどお店が気になって、春の腕を掴んで引っ張ろうとしながら、春に問いかけていた。
「店の名前教えてよ。一人で行くから。私忙しいんだから。」
「店の名前は教えない。気になるなら俺と一緒に行って。しんじられないくらい美味しくて、聞いてみたら海外で結構な賞を取ってるシェフだったんだよ。凛好みのケーキだったぞ。この機会を逃すと絶対後悔するぞ。」
私の力じゃ春を動かすこともできず、相馬さんの前で繰り広げられている会話。
とにかくこの場を離れたかったが、春の言っている店も気になる。
しかも、今日の夜は予定がない。
早くこの場から離れたいという気持ちとケーキを食べたいという気持ちから、結論をを導く。
ただ、昔馴染みとケーキを食べに行くと思えばいい、変に意識しなくてもいいじゃないかと自分に言い聞かす。
「そうね、忙しいけど付き合ってあげる。終わったら連絡する。」
気付いたらこう言っていた。
「了解。連絡待ってるな。」
そういうと春は店の外へ行く。
ようやく春をこの場から離すことができてホッとした。
ただ、一部始終を相馬さんに聞かれ、なんだか気まずくて私もその場を離れようとする。
突然、相馬さんに腕を掴まれる。
驚いて相馬さんを見ると、相馬さんも驚いた顔をして掴んだ手を慌てて放す。
掴まれたところが熱くなって、顔も熱くなる。
誤魔化すために腕を擦っていると、
「すみませんでした。痛かったですか。」
痛かったから擦っていると勘違いしたのか、相馬さんが申し訳なさそうな顔で話しかけてくる。
「大丈夫です。何か用でもありましたか?」
動揺しているのを悟られたくなくて、平常心を装う。
「いや、さっきの人はどんな知り合いかと思って。やけに仲良さそうだったので。」
何故気にするのか気になりながらも、変な誤解をされたくなかったので
「ただの昔の知り合い。気にしなくていいですよ。ちょっと粗品が足りなくなってきてるので、車に取りに行ってきます。」
これ以上追及されたくなくて、その場を後にした。
車に向かいながら、何故相馬さんが春のことを気にするのだろうかと気になる。
大した意味もないから気にするなと自分に言い聞かす。
粗品が足りなくなっている訳ではなかったが、追加すると言った手前手ぶらで帰る訳にもいかず、仕方なく粗品を持って戻ることにする。
自分の車に近付きドアをあけようとした瞬間、体がひっくり返り車に押し付けられる。
目の前には相馬さんがいる。
何が起きたのか頭が整理できないが、相馬さんが私の腕を掴んで前に立っている。
車と相馬さんに挟まれて身動きが取れない状況なのは分かった。
あまりに相馬さんの顔が近く、息遣いを感じる。
掴まれた腕に相馬さんの体温を感じる。
心臓が破裂するかと思う程の勢いで暴れている。
きっと顔も真っ赤に違いない。
何も言えずにいると、
「さっきの男とどういう関係なんですか。今日、食事に行くんですか。」
怒ったような顔で相馬さんが聞いてくる。
心臓の音が大きくて聞こえてしまっていないか心配になりながらも、
「さっき言った通り、昔の知り合いです。食事には行く予定ですけど。」
掴まれた腕がさらにぎゅっと掴まれる。
「彼氏?」
とだけ相馬さんが聞いてくる。
何てことを聞いてくるのかと驚くも、変な誤解をされてはいけないと思い、
「元カレです。今は何にも関係ないですけど。」
「それなら何で2人で食事に行くんですか。」
「なんでって、美味しいケーキがあるって言うから。」
「ケーキなら俺と食べにいきましょう。わざわざ元彼と2人で食べにいくものでもないでしょ。」
更に私との距離を縮めてくる。
更に心臓が大暴れして、体も熱くなってくるのを感じる。
この状況に上手く頭が回らず何も答えられず固まっていると、
「今日の食事断って。俺と行けばいいから。」
車についていた手を私の頭に乗せて、髪を撫でられる。
その時に耳に少し出が触れて一気に体温が上昇するのを感じる。
「粗品持っていきますね。」
急に体を放すと何事もなかったかのようにドアを開けて粗品を手に取り行ってしまった。
相馬さんの後ろ姿をみながら一気に体の力が抜けていくのを感じる。
さっき触られた耳が熱い。
一体何が起きたのか整理が出来ない。
いつもの相馬さんの口調でもなかったし、表情も違った。
いつも見ているクソ真面目男ではなかった。
どういうつもりで食事に行くなと言ったのかも理解できないし、ただからかわれただけかもしれない。
本気にして食事を断って何になるのだろうか。
相馬さんの本心が読めない。
たださっきの出来事で私の心臓が大変な状況になっているのは間違いなかった。
深呼吸をして気持ちと心臓を落ち着ける。
一度車に乗って、変な顔をしていないかミラーで顔を確認する。
心なしか顔が赤いような気がしたので、気持ちを引き締めるために、頬を軽く叩いて気持ちを入れ替える。
何事もなかったと自分に言い聞かせ、会場へ戻っていく。
会場へ戻ると自然と相馬さんがいないか探してしまう。
相馬さんがいないことを確認するとホッとする。
「ちょっと凛、どこ行ってたのよ。」
「真理、ごめん。ちょっとお手洗いに行ってた。」
「そんな驚いた顔して何かあったの?」
動揺しているのが顔に出てしまったようだ。
「ちょっと考え事してたところに声かけられてびっくりしただけ。ところで何か用でもあった?」
「午前中の売り上げの集計出たんだけど、これ見て。」
真理が持ってきた売上データを覗き込む。
スタートにしては良い数字だ。
「この調子でいけば目標達成できそうね。まだ初日でまだまだ先は長いから気を引き締めていこう。」
「今までの実績でいくとスタートがいいと、結果も良いから期待して頑張ろうね。」
真理と話していると、後ろから
「社長」
相馬さんが声をかけてきた。
完全に油断していたので、変な声がでてしまう。
「ちょっと凛、なんて声出してるのよ。」
余りに変な声だったので、真理が声を押し殺して笑っている。
「お客様がお待ちです。」
さっきのことは何事もなかったかのようにいつも通りのクソ真面目な相馬さんが目の前にいる。
私はというと、さっきまでのことが思いだされ、心臓が暴れ始める。
「凛、早く行きなよ。」
真理の声に背中を押され、待っているお客さんの方へ急ぐ。
お客さんの方へ向かいながら、ちらっと相馬さんの方を見ると、既に別のお客さんの接客をしている。
私だけが相馬さんに踊らされていると思うと、情けなくなってくる。
このお客さんを皮切りに暇な時間も終わり、そこからは怒涛にお客さんが来て大忙しだった。
なるべく相馬さんと顔を合わせないように気を遣いながら接客をする。
あっという間に閉店時間となる。
「初日お疲れ様でした。初日の売り上げですが、目標の110%で目標達成です。みなさん、お疲れ様でした。まだ始まったばっかりですので、明日以降も頑張りましょう。今日は早く帰って明日に備えて下さい。それでは解散。」
私の声と共にスタッフ達は帰っていく。
私も残っていた片付けをして、真理に声をかける。
「お疲れ様。順調な滑り出しだから、残りも頑張ろうね。」
「良いスタートがきれて良かった。このあと一杯どう?」
「ごめん、約束があるから今日はパスで。」
「了解。気を付けてね。」
相馬さんの姿は店にないので、既に店を出たのかなと思いながら、真理と別れて店を出ると春が待っていた。
春も私に気付いてこっちに来るので、私も春の方へ行こうと向かおうと思った時、
「なんで」
という声と共に腕を掴まれる。
相馬さんが私の腕を掴んでいる。
「なんで、断ってって言ったでしょ。俺と行けばいいって言ったよね。」
さっきまでいつも通りのクソ真面目な秘書だったはずが、今目の前にいる相馬さんはネクタイが緩められていて、セットされていた髪が崩れている。
この上なくセクシーな男が目の前に立っている。
見惚れているうちに春が来ていたようで、
「凛、どうした?この方はどちら?」
と秘書の方を見ながら聞いてくる。
私が答える前に相馬さんが
「このあと、予定があるので食事には行けません。」
と言いながら私を引っ張って肩を抱いてきた。
相馬さんは何をしているのかと半ばパニックになる。
「凛、今日は予定ないって言ってたよな。それにこちらはどなた?」
と再度聞いてくる。
抱かれた肩から抜け出すためにごそごそするも、さらに力を込められて脱出できない。
「こちらは秘書をしてもらってる相場さん。今日予定がなかったはずなんだけど。。」
と最後の方は聞き取れるか分からない程、小さな声になってしまう。
「なんだ、秘書か。さっ、食事に行くぞ。」
と言いながら、春が私の手を取る。
その手を相馬さんが払いのけると、
「今日は予定があって無理です。」
と言いながら、相馬さんが私を車の方へ連れて行こうとする。
「待てよ。」
と言って、春が相馬さんの肩を掴む。
「凛が予定が無いって言ってるだろ。それに嫌がってるじゃないか。放せよ。」
と相馬さんを睨みつける。
相馬さんは春の方に向き直り、さらに私をぎゅっと引き寄せる。
「ただの秘書かとお思いで?そんなわけないでしょ。俺達付き合ってるから、余計なことしないで、さっさと消えて。」
聞いたこともない冷たい声で春に言っている。
相馬さんの声とは裏腹に、私は引き寄せられてドキドキする。
「凛、お前こいつと付き合ってるのか。前に聞いた時は仕事が忙しくて、そんな暇ないって言ってたよな。」
「俺の女に手出すな。何回も言わせるな、早く目の前から消えろ。」
あまりに相馬さんの剣幕が凄くて慌てて
「春、今日はこの後仕事が入っちゃって。連絡し忘れてごめん。今日は帰って。」
相馬さんに同調して付き合っているとは言えなかった。
「状況が良く分らないけど、とりあえず今日は帰るわ。凛、今日の埋め合わせは近いうちにしろよな。また連絡してな。」
くるっと向きを変えると、春は出口に向かって行く。
春の姿が見えなくなると、引き寄せられていた体がぱっと離される。
さっきまで引き寄せられて温かかった体が体温を奪われ寂しくなる。
「すみませんでした。余計なことでしたかね。でも、あいつは止めた方がいいですよ。」
さっきまでの人とは別人のように、クソ真面目ないつも通りの相馬さんに戻っている。
春のことを知っているかのような口ぶりだ。
「春のこと知ってるんですか?確かにあいつはロクでもない奴だけど。」
「知り合いじゃないですが、前の職場であいつに泣かされた奴がいて。相当な浮気者ですよ。」
そう言われてみれば、相馬さんと春は同業種だ。
業界が狭いと、こういう噂も簡単に広まってしまうと感じでぞっとする。
春が浮気性なのは知っているし、それが原因で別れている。
「春の本性、私も知ってます。浮気が原因で別れたので。友達として付き合う分には面白い奴だから、ちょくちょく連絡とってるんです。」
私の話を聞いて、知ってて連絡を取っているのかと言わんばかりに顔を歪めた相馬さんは、
「あいつと会うのは止めた方が良いですよ。社長がまた傷付きますよ。」
私はもう一度、春と付き合う気は全くないので傷つくことも無いと自分で分かっている。
美味しいケーキ屋というのが頭から離れず、
「折角美味しいケーキ屋を紹介してくれるって言うから、これだけは付き合わないと」
冗談めいて言うと、みるみるうちに相馬さんの表情が硬くなる。
何かまずいことでも言っただろうか。
「そもそも、今日は俺と食事するから、断ってって言いましたよね。なんで断りの連絡してないんですか。」
さっきまで春を罵倒していた、冷たい表情に戻っている。
「まさか本気で言っているとは思わず、からかわれてるだけかと思って。」
「俺が社長のことからかうわけないでしょ。何年社長のこと見てきてるかと思ってるんですか。」
怒りに任せるかのように相馬さんがまくしたてる。
「何年って、まだ会って間もないかと思うんですけど。」
私の言葉を聞いて、相馬さんが口に手をあて、髪を掻き揚げている。
「すみません。初めてのポップアップで疲れてるみたいで。食事はまたの機会に。」
何故か焦りながらも、いつも通りの相馬さんに戻っている。
「そうですね、ポップアップが無事終わったら、打ち上げで行きましょ。」
変な空気を払拭したくて、わざと明るく言ってみる。
気まずそうにしながらも相馬さんが、
「何度も言いますが、あいつだけは止めた方がいいです。今日はすみませんでした。また明日よろしくお願いします。」
と言うと、さっき春が出ていった出口に向かい歩き始める。
その後ろ姿を見ながら、全身の力が抜けるのを感じる。
さっき力強く引き寄せられた肩が熱くなる。
春に言っていた冷たい声を思い出す。
あんな一面もあるとは思わなかったから、驚きもしている。
相馬さんは私のことを心配してくれるなんて優しい人だと思ったが、春と復縁する可能性は1000%ないから余計な心配をかけてしまった。
最後の方で相馬さんが私のことを前から知っていたかのようなことを口走っていたので、どこかで会ったことがあるか思い出そうとするも、全く思い出されない。
相馬さんの姿が見えなくなっても、随分たつのに車にも乗らずぼーっと考え事をしていたことに気付くと、とりあえず車に乗り込む。
車に乗ったら、相馬さんに抱き寄せられたことが再び頭を過ぎり、シトラスの香りが同時に思い出される。
普段のクソ真面目な相馬さんから想像もできない口調と冷たい声の相馬さんがいたかと思えば、春が去ってからの私を心配する相馬さん、何故か焦って帰ってしまった相馬さん。
見たこともない姿をみて、もっと相馬さんのことを知りたいと思ってしまう。
どんどん惹かれていく自分が怖かった。
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