第7話 知りたくなかった現実

スマホの目覚まし時計の音で目が覚める。


昨日は疲れ過ぎていたようで、ぐっすり眠ったことで気分はすっかり爽快だ。


相馬さんの前で寝こけてしまったりしたことが悔やまれるが、今さらどうにもできないので、昨日譲ってもらったビーズを持って出勤する。


失態を晒して、相馬さんとどんな顔で会えばよいかと思ったが、昨日午後からの出勤でと言っておいたことが思い出される。


会社に着いて顔を合わせなくていいと思うと気持ちが軽くなる。


会社に着いて意気揚々とフロアに入ると、思ってもいない光景が目に入る。


既に相馬さんが出勤している。


昨日のことが一瞬で思い出される。


恥ずかしさもあったが、昨日の一件で少し距離が近くなったような気がしていることも気になる。


もしかしたら、今までなかった笑顔で挨拶をしてくれるかもしれないという期待もあった。


仕立て屋にビーズを持っていかなければいけなかったので、いつまでも入口に立っているわけにもいかない。


色々な気持ちが入り乱れているから、とにかく気付かれないようにと気配を消して外出先を記入するホワイトボードに向かう。


気配を消すなんて簡単に出来るはずもなく、私の気配に気付いた相馬さんがパソコンから目を上げる。


目が合うと、心臓が一気に騒ぎ始める。


恥ずかしさと期待で変になりそうだ。


「おはようございます。」


挨拶だけするとすぐパソコンに目線を戻してしまった。


いつも通りのクソ真面目男だ。


昨日少し近づけたかと思ったことが気のせいだったと思い知る。


自分勝手とはよく分かっているが、あまりにもいつも通りの態度に苛立ちを覚える。


「昨日は遅くまでお疲れ様でした。午後出社で良いと言ったかと思うのですが、何故出社しているんですか?」


苛立ちをぶつけるような口調で問い詰める。


「仕事ですから」


私の方を見ずに、一言で返事を返される。


相馬さんの態度にムカつきながらも時計を見る。


これ以上問い詰める時間もなく、昨日のビーズを持って仕立て屋に行かないと間に合わない。


ホワイトボードに外出先を記入して、仕立て屋に向かおうと足を進める。


相場さんの横を通り過ぎる時、再び声を掛けられる。


「今日は一人で大丈夫ですか。」


さっきのイライラも残っていたので


「近いから大丈夫です。」


とぶっきらぼうに答えると、


「承知しました。今日はやることが多いので、会社で待機してます。何かあれば連絡下さい。」


と言って、また直ぐパソコンに目線を戻す。


いつもよりつっけんどんな態度にますます苛立つ。


昨日距離が縮まったと思って、今日どんな感じで接しようかと悩んでいた自分が馬鹿らしくなる。


もう一度つっかかりたい気持ちを抑えて、急いで仕立て屋に向かう。


仕立て屋について、無事ビーズを渡すことができた。


なんとか新作発表会までには間に合いそうで一安心する。


今朝の態度は頭にくるが、相場さんの協力がなかったら今頃どうなってしまっていたかと思うとぞっとする。


もっと相馬さんのことを知りたいと思ってしまっている自分もいる。


発表会まで少し落ち着くこのタイミングで遅くなってしまったけど、相馬さんの歓迎会と今回のお礼も兼ねて食事に誘ってみよう。


あくまでも今回のお礼と歓迎の意味を込めた食事のお誘いで、それ以上に深い意味はないと自分に言い訳をする。


そうと心に決めると、早く相馬さんに声をかけたくなる。


急いで会社に戻り、メンバーに今回の経緯と反省を報告する。


「昨日は色々ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。相馬さんのおかげでなんとか新作発表会には間に合いそうです。今後、同じミスをしないように、決済待ちの書類はこのトレーに入れて下さい。」


同じミスを繰り返すわけにはいかなかったので、家にあったトレーを持ってきていた。


一通り報告が終わったので、デスクに戻り相馬さんを呼ぶ。


「今回、相馬さんのおかげで難を乗り越えられました。改めてありがとうございました。」


「自分の仕事をしたまでですから。」


相変わらずつれない回答で不満を覚える。


「新作発表会まで少し落ち着いたので、歓迎会と昨日も御礼も兼ねて食事でもと思うのですが。急な話ではありますが、今日の夜は都合どうでしょうか?」


断られるかもしれないという不安で、音が聞こえてしまうかと思う程、心臓が早鐘を打っている。


相馬さんは少し考えた後、口を開く。


出てきた言葉にがっくりしてしまう。


「お気遣いありがとうございます。今日は予定がありませんので、みんさんに声をかけてきます。お店はみなさんの意見を集約して、私が予約します。開始時間は19時でよろしいですか。社長はご希望のお店はありますか。」


みんなで行こうと言ったつもりはなく、2人で行くつもりだったのでがっくりしてしまう。


だけど今さら2人で行きましょうとも言えず、店の希望はないと回答する。


「相馬さんへのお礼と歓迎会ですし、店は私が手配しますよ。」


自分でもよく分からない感情に支配されながらも、辛うじて残っていたまともな判断で相馬さんへの配慮をする。


「いえ、社長は昨日できなかった仕事がたくさんあるかと思うので、そちらに専念して下さい。お気になさらずに。」


そう言うと相馬さんは席を立ってしまった。


その後ろ姿をみていると、早速みんなを誘っているようだ。


その姿を見て、自分の歓迎会を自分で誘って馬鹿みたいと心の中で悪態をつく。


先日休憩室で談笑していた若い女の子にも声を掛けている。


相変わらず私には見せないような笑顔で話をしている。


彼女がいるくせに女となると見境なくなるなんて最低だなと思ったが、そんな相馬さんに女扱いされていない自分が、情けなくも悲しくもなる。


これ以上、相馬さんの行動を見ていると惨めになるばかりと思って、昨日やり残した仕事にとりかかることにした。


思った以上に仕事が溜まっていて、やり始めるとすぐに相馬さんのことは気にならなくなった。


どれぐらい没頭していたのだろうか、相馬さんに声をかけられて顔をあげる。


「先程、今夜の手配が完了しました。駅前の焼き肉屋に19時集合でお願いします。総務の方にお店を聞いたので、間違いないかと思いますが、お店は問題なかったでしょうか。」


先程談笑していた姿が思い出される。


こんなことなら自分でお店を指定すれば良かったと悔やまれる。


「調整ありがとうございました。19時お店で了解しました。」


溜まった仕事を裁いていると、あっという間に歓迎会の時間が迫ってくる。


2人でいくつもりが結局、社員全員の参加となってしまった。


時間が近くなるについれて、みんな退勤の準備をし始める。


自分から言い出したことなので、時間に遅れる訳にはいかない。


中々仕事のキリがつかない。


2人で行きたかったという恨みも消えず、いつまでも帰りの準備をしていないでいると相馬さんが近づいてくる。


「俺の歓迎会と御礼の会ですよね。今さら行かないとか言わないでくださいね。早く準備して下さい。」


急に一人称が俺になっているし、どことなくイラついているような口調にドキリとする。


動揺しているのを悟られたくなくて


「自分から言い出したことなので、時間通りにお店に行きますよ。ちょうど今から支度しようと思ってたところです。」


急いでデスクの上を片付ける。


「遅れずに来てくださいね。」


と言って、相馬さんは先に部屋を出て行ってしまった。


既にほとんどの人がお店に向かっているのか、がらんとした部屋を見て私も慌てて会社を飛び出した。


お店の近くのコインパーキングが中々見つからなくて、駐車するのにひと手間かかってしまった。


時間前にはお店に着いたけど、既に全員が揃っていた。


空けられた席を見て、またがっくりしてしまう。


上座が空けられており、両隣はいつも通り役職者達が座っている。


相馬さんはどこに座っているかと見渡すと、一番遠い席に座っている。


しかも、総務の若い女性社員と談笑している。


普段私には能面顔しか見せないのに、若い可愛い女の子達にはヘラヘラ笑っているのが気にくわない。


相馬さんがこちらに気付き会釈されるも、気にくわないので睨みつけて空けられた席に向かう。


私が席に着くと、相馬さん自ら仕切り始める。


「今日は私のためにお集まり頂きありがとうございます。今日の会を主催してくださった社長にも感謝致します。まだまだ至らない点が多くあるかと思いますが、これからよろしくお願いします。」


挨拶を終えると、私の方を見て会釈する。


さっきの怒りがまだ収まらない私はすっと目を逸らしてしまった。


そんな私もおかまいなしに相馬さんは


「乾杯の音頭を社長にお願いします。」


と無茶ぶりをしてくる。


反応しないでいると、隣の席の部長から、グラスを渡され


「社長、みんなお腹が空いているから早く挨拶して下さいよ。」


と言われてしまう。


「相馬さんようこそわが社へ。今日は日頃の疲れを吹っ飛ばすまで飲んで下さい。かんぱーい。」


当たり障りのない挨拶をすると、みんな一斉にグラスを合わせ、思い思いに食事を始める。


相馬さんも同様に席の近い女の子達と談笑している。


私みたいに可愛げのない女と話すより、可愛い女の子と話した方が楽しいよなと思いながら、相馬さんを見てしまう。


隣の席の部長から仕事の話をされる。


こんなつもりで、この食事会をするつもりではなかったのでどんどん悲しくなってくる。


悲しくて惨めな気持ちを払拭するために、いつもよりハイペースでお酒が進む。


そんな私を心配して真理が声を掛けてくれる。


「昨日は大変だったね。出張で力になれなくてごめんね。今までだったら、直ぐ連絡くれたのに、今朝会社に来てびっくりしたわよ。」


真理に言われてはたと気付く。


今まで問題が起きたときは真っ先に真理に相談してたのに、今回は全く真理のことが頭から抜けていた。


そんな私を見透かしてか、真理はさらに続ける。


「相馬さんが救世主になってくれて、私のことなんかすっかり忘れてた?」


図星だったのでドキッとするも、肯定するわけにもいかないので


「本当に時間がなくて、連絡できずごめんね。でも何とかなったから心配しないで。」


「ところで、ビーズを譲ってくれた会社かなり遠いけど一人で行ったの?」


誤魔化したところで、直ぐに本当のことがバレると思ったので正直に言う。


「相馬さんが運転してくれて。その間に調整できて助かったわ。」


私の回答を聞いた真理は意味深な笑みを浮かべながら、私の耳元に顔を近づける。


「遅い時間に二人っきりでドライブして、何か心境の変化はあった?」


私にしか聞こえないぐらいの小声だったけど、周りに聞かれてないかと慌てて周囲を見渡す。


そんな心配も無用な程、みんなそれぞれ楽しんでいて、私たちの会話を聞いていた人がいなくてホッと一安心する。


真理を睨みつけながら、同じく小声で


「変な想像は止めて。仕事で行っただけなんだから、そんなことになるわけないでしょ。」


「その割には、ずっと相馬さんのことちらちら見てるじゃない。気になるなら声かけてこれば。」


「見てないし、こんなところでそんな事言わないで。誰かに聞かれて、変に誤解されたくないでしょ。」


再び真理を睨みつけると、流石の真理のバツが悪くなったのか


「ごめんごめん。ところで今日は私も飲んじゃってるから、送っていけないよ。ほどほどにしときなさいね。」


むしゃくしゃした気持ちから呑み過ぎてしまっている私を心配しているようだ。


「大丈夫、大丈夫。私お酒強いから、ちょっとやそっと呑んだだけじゃ酔わないから。」


と言ったものの、気付いた頃にはベロベロに酔ってしまっていた。


相場さんが若い女の子達とずっと楽しそうに話しているのが気に食わず、どんどんお酒が進んでいってしまったようだ。


流石に最後の方は真理に止められたけど、既に時遅しだった。


時間になり会もお開きになる。


みんなそれぞれ挨拶をして、帰って行く。


真理が代行を呼んでくれた。


だけど、真理は彼氏が迎えに来たので先に帰ってしまった。


友情より恋人が優先だよなと寂しくなりながらも、代行が来るまでの間風にあたっていようと店の外に出る。


既にほとんどの人が帰ってお店の外も静かになっている。


そういえば相馬さんの姿が見えないなと思い、辺りを見渡すも見つからない。


挨拶もせずに帰るなんて無礼な奴だと心の中で悪態をついていると、酔いが回ってきたのかふらついてしまった。


その瞬間、シトラスの匂いがふわっと香る。


この匂いは覚えがあると思いながら、誰かが腰を支えてくれて転ばずに済んだ。


直ぐに頭上からいつもの耳馴染みの良い声が降って来る。


「飲みすぎですよ。送って行きますので、キーを下さい。」


驚いて支えられている体を起こす。


目の前にクソ真面目な顔をした相馬さんが立っている。


一瞬、相馬さんが来てくれたことに嬉しくなる。


だけどすぐに、さっきまで若くて可愛い女の子と談笑している姿が思い出される。


「真理が代行呼んでくれたから、ほっといて。私に構わず、若くて可愛い女の子達と二次会に行って下さい。軍資金はちゃんと渡したので。」


さっき、二次会に行くというのを聞いたので、心づけを渡していた。


言ってしまってから、せめてもう少し可愛いことを言えばよかったと後悔が襲ってくる。


「さっき真理さんに会って詳細は聞きました。代行は断ったので、待ってても来ないですよ。」


勝手に断ったことと、真理を下の名前で呼んだことにも腹が立つ。


たった今後悔したことも忘れ


「勝手に断らないでよ。飲んで運転できないから家に帰れないじゃないの。」


相変わらず可愛くないことを言ってしまう。


「だから俺が送っていくって言ってるんですよ。早くキー出して。」


さっきまで仕事モードだった口調がイラついた口調にドキリとするも、ひがみ精神が溢れ出てしまい


「だから、私のことはほっといて。さっさと二次会に行って下さい。」


と言って、これ以上この場にいるともっと惨めな気持ちになるかもしれないと思い、駐車場に向かおうと歩き始める。


直ぐに腕を掴まれて


「何を怒ってるんですか。若い社員達より、今のあなたと話している方がよっぽど楽しい。早くキー渡して。」


イラつきながら相馬さんが手を出している。


今の言葉に一気に顔が熱くなる。


お世辞とは分かっているのに、心臓が破裂しそうだ。


これ以上、何も言えずおとなしくキーを渡す。


キーを受け取った相馬さんは満足そうにネクタイを緩め、髪をかき上げる。


普段見たことのない、髪が降ろされた相馬さんにノックアウト寸前になる。


「社長、駐車場の場所教えて。」


信じられないくらい自然にため口で話してきて、普段とのギャップに心臓が大騒ぎだ。


これはお酒のせいで私の心臓がおかしくなっているだけだと自分に言い聞かせる。


やっとの思いで口をついて出た言葉が、


「ついてきて。」


我ながら可愛くないと思いながら。


それを聞いた秘書はクスリを笑う。


夜なのに笑った顔に後光がさして見えるのは、やっぱりお酒のせいなのだろうか。


ふらふらしながら駐車場に着くと、相馬さんが駐車料金を払っている。


払い終えた相馬さんが丁寧に助手席のドアを開けてくれる。


相変わらず心臓が大変なことになっていて何も言えず、おとなしく乗り込む。


心臓が煩い。


相馬さんが運転席に乗り込むと、車内はシトラスの匂いに包まれる。


「住所は?」


エンジンをかけながら相馬さんが聞いてくる。


ここまできたら、どうにでもなれという思いで住所を伝える。


車が静かに発進する。


あまりに車内が静かだから、自分の心臓の音が相馬さんに聞こえていないか心配になる。


こんな状態でまともに話もできなさそうだったので、寝たふりをすることにした。


我ながら陳腐な方策だとは思ったが、今はこれ以外何も思いつけない。


顔を窓の方に向けて目を瞑る。


しばらく走っていると、相馬さんが


「ラジオつけていいですか?」


と低く心地の良い声で聞いてくる。


さっきまでため口だったのに、いつもの口調に戻っている。


「いいですよ。」


と答えると、


「やっぱり狸寝入りだったか。」


と可笑しそうに笑う。


今日はよく笑うなと思いながら、笑った顔が見たくて相馬さんの方を向く。


ちょうど信号待ちだったので、相馬さんもこっちをじっと見ていた。


驚いて固まっていると、相馬さんの顔が迫ってくる。


思わず目を閉じると、ふわっと髪に手が触れて、離れていく気配を感じる。


目を開けると、こっちを優しい目で見ている。


「髪に枯葉がついてました。」


といたずらそうに笑うと、手に摘まんでいる枯葉を揺らしている。


キスされるかと思って、目を閉じた自分が恥ずかしい。


からかわれたと分かると、恥ずかしくて顔を見られたくなくて、急いで顔をまた窓に向ける。


恥ずかしさを誤魔化すために、


「着いたら起こして下さい。」


と言って再び目を閉じる。


車内にはシトラスの匂いが充満し、心地の良い音量でラジオが流れている。


大量にお酒を飲んだこともあり、心地良い匂いと音と車の揺れでいつの間にか眠ってしまった。


またいつかの時のように、揺さぶられて目が覚める。


「今日は相馬さんの歓迎会だったのに、最後の最後まですみません。」


バツが悪くて相馬さんの顔が見られない。


急いで車を降りて、財布を取り出す。


「タクシーで帰って下さい。」


と2万円を渡そうとすると、その手をそっと戻される。


「女から金は貰わない主義だから。今日は俺が送りたくて送っただけだから、気にしないで下さい。おやすみなさい、社長。」


と言って、足早に行ってしまった。


今日はなんだかおかしい。


相馬さんがとにかくかっこよく見えてしまう。


結局、相馬さんのせいでよく眠れなかった。


オフモードの相馬さんを思いだしては、胸がドキドキする。


今日、会社でどんな顔して会えばよいのかと、もんもんとしながら会社に向かう。


会社の前に着くと深呼吸をして、普段通り普段通りと自分に言い聞かす。


予想に反して、その瞬間は早くやってきた。


エレベーターに乗って、フロアのある階のボタンを押して扉が閉まるのを待っていると、扉が閉まる寸前で滑り込んできた人がいた。


まさかの相馬さんだ。


相馬さんを見た途端に心臓が大騒ぎし始める。


エレベーターに二人っきりは、いきなりハードルが高すぎると挙動不審になっていると、相馬さんはいつも通りクソ真面目テンションで


「おはようございます。」


と言って前を向く。


いつも通りにセットされた髪と黒縁眼鏡に敬語。


昨日の相馬さんと同一人物かと疑いたくなるほど、いつも通り。


駐車場の代金とタクシー代を思いだし、


「昨日、駐車場代も立て替えてくれましたよね。やっぱり悪いので、タクシー代も。」


と言いながら鞄をごそごそしていると、降りる階についた。


相馬さんは下りながら、


「大した金額ではなかったので、お気になさらずに。」


と言って、フロアに入って行ってしまった。


いつも通りのクソ真面目に戻っていて、少し期待していた自分が恥ずかしい。


相馬さんにその気はないのに、自分ばっかり舞い上がって。


どうしても気になるけど、そんな気持ちを押し殺して普段通りに業務を行う。


休憩室で若い女の子達と談笑している姿を見かける。


何気なく私も休憩室に入って行って、話に混ざろうとしても、すっと休憩室から出て行ってしまう。


こんなことが何度も続いた。


だから休憩室で見かけても、入っていかなくなった。


あれっきり、相馬さんがオフモードになる姿を見ることはなかった。


あの日を最後に相馬さんとは仕事の話しかしていない。


何とかして、近付きたいと思っても、その方法が分からない。


悶々とした気分で何とか乗り切った。


ようやく、久しぶりの丸一日オフの休日がやってきた。


気分転換に海へ出かけることにした。


以前相馬さんを見かけたから、偶然会えるかもしれないという淡い期待を抱きながら準備をする。


スケッチブックを鞄に詰め込んで海へ向かう。


いつも通り、海で楽しんでいる人たちを眺めながらイメージを膨らませ、スケッチブックに筆を走らせる。


だけど、どこかに相馬さんがいないか気になり、中々集中できない。


ちっとも筆が進まないので、早めに切り上げて行きつけのカフェに行くことにした。


カフェに向かう途中も相馬さんとすれ違わないか期待するも、すれ違うこともなくあっという間にカフェに着いてしまう。


「マスター、おはよう。って、おはようの時間でもないか。」


とマスターに話かけながら、カウンターに座る。


「久々だね。仕事が忙しいのか?それとも男ができたか?」


「男なんてできるはずないでしょ。天から男が降ってこないか毎日お祈りしてるのに、全然落ちてこない。仕事が忙しいの。」


と冗談交じりにマスターと久々に話を楽しむ。


海で見かけたということは、このカフェに相馬さんがが来てるかもしれないと、ふと思った。


以前、スマホで撮った相馬さんの履歴書の写真を探してみる。


保存されている写真を見つけ、マスターに見せてみる。


「この人、ここの店に来たことある?」


マスターは掛けていた眼鏡を上にずらして、じっくりスマホの写真の男を見ている。


しばらく考えて、


「おー来た事あるぞ。つい最近も来てたような気がするぞ。背が高くて、がたいが良いにいちゃんだろ?」


「えっ、この店に来てたんだ。」


まさかマスターの店に来たことがあるなんて。


以前、美女と一緒に歩いていたのは間違いなく相馬さんだと思った。


その現実に気持ちが落ち込む。


「そいつがどうしたんだ?知り合いか?」


「そうなの。仕事が忙しくて、秘書を雇ったんだけど、秘書がその人なの。前に海で似ている人を見かけて、もしかしたらここに来てるかと思って。」


「そうだったのか。今度来たら、声掛けよう。めちゃくちゃ男前だよな。一緒に来てる女の人も、めちゃくちゃ美人だから。」


聞きたくもない現実をマスターの口から放たれて、落ち込んでいた気分がどん底になる。


これ以上聞きたくないはずなのに、マスターに問いかけていた。


「えっ、女の人と来てるの?」


「そうだよ。大概二人で来てるな。美男美女カップルでお似合いだなと思って見てたから、よく覚えてる。」


聞くんじゃなかったと後悔するも後の祭りで、その後、マスターと何を話したのか、全く覚えていない。


気晴らしに来たはずが、さらに最悪な気分になって店を後にすることになった。


店を出てから何をする気もおきず、そのまま家に帰る。


家に帰っても気持ちが落ち込んだままで、何も手につかなかい。


ぼーっとテレビを見て、夜ご飯は家に置いてあるカップラーメンを食べる。


後はひたすら見たくもないテレビを見て、気付いたらソファーで眠ってしまっていた。

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