第5話 嫉妬

相馬さんと働き始めて1週間経つ。


どれだけ仕事ができるのだろうかと思っていたが、想像以上に仕事が出来た。


スケジュール管理も各部署との連携もそつなくこなしている。


さすが大手で働いていただけはあると感心する。


ただ、面接初日に見た笑顔を見ることは無く、私とは雑談なども一切せずサイボーグのように仕事を裁いている。


スーツで出勤しなくてもいいと言ったが、一人スーツで出勤し続けている。


みんなラフな格好で仕事をしているので、きっちりまとめられた髪とスーツで働く相馬さんは職場で異質な存在で、サイボーグ感がより増してしまっているような気がする。


今日も相変わらず縮まることはない距離を感じながら仕事をするのだろうと思いながら、デスクに向かう。


「社長、おはようございます。」


相変わらず呼び方は社長だ。


ここまで頑固に社長と呼ばれると、これ以上指摘してもしょうがないと思い、最近は何も言わないようにしている。


「相場さん、おはようございます。今日、この資料目を通しておいてくれますか?」


資料を手渡そうと、相馬さんに差し出す。


男の人らしい大きい手と血管が浮いた手に毎回ドキッとする。


「承知しました。」


と相変わらずクソ真面目な回答と共に手が伸ばされれる。


受け渡す瞬間、私の手を相馬さんの手が触れる。


相馬さんの顔が一瞬引きつり、慌てて手を引っ込める。


そのせいで資料が床に散らばる。


「すみません。私が拾いますので社長はデスクに戻って下さい。」


大きな背を縮めて床に散らばった資料を集めている。


このまま席に戻るのも悪いと思って一緒に資料を拾う。


拾いながら、内心ショックを受けている。


顔を引きつらせて慌てて手を引っ込める程、私に触れるのが嫌だったのだろうか。


針でつつかれているかのように胸が痛む。


「凛と相場さん、朝から床に這いつくばって何してるの?」


「市川さん、床に這いつくばってるなんて失礼な言い方辞めて下さいよ。俺が社長から資料を貰おうとしたら、うっかりして落としてしまったんですよ。」


2人の会話を聞いていて、毎回もやもやする。


最初は真理の事も専務と呼んでいた相馬さんだったが、いつの間にか市川さんに呼び方が変わっている。


私のことはいつまでたっても社長と呼ぶくせに。


おまけに私と会話するときの一人称は私なのに、真理と話すときは俺になる。


私とはすごく距離をとってくるのに、真理に対しては随分距離を縮めている。


私と話すときはただのクソ真面目男なのに、真理と話すときは冗談めいたことも話している。


2人の会話を聞いているとイライラしてくる。


「後はよろしく。」


資料を拾うのを辞めて、デスクに戻る。


「すみませんでした。」


相馬さんの返しも気に入らなくて、わざと音を立てて椅子を引く。


「凛、朝からご機嫌斜めね。これ今日中に欲しい決済資料なの。目を通して戻してちょうだい。」


真理に罪はないのに、真理にすらイライラする。


「決済するからここに置いといて。」


真理の顔も見ずに答えると、パソコンに視線を移す。


「了解。いつまでも機嫌悪くしてないでね。」


そう言って、資料をデスクに置くと真理は席に戻っていく。


真理が席を離れた気配を感じると顔を上げてみる。


相馬さんの一挙一動に一喜一憂する自分が情けない。


後で謝ろうと、心の中で決めると再びパソコンに視線を戻す。


この日は朝から最低最悪なスタートだったのにも関わらず、仕事は順調に進んでいく。


ある程度仕事を裁ききったところで顔を上げると、真理が席にいない。


休憩室にいるのかと思い休憩室に目をやる。


長時間集中して仕事をしていたこともあって、大きく伸びをしてから休憩室に向かう。


真理に今朝の態度を謝ろうと思いながら休憩室に足を進める。


休憩室に入ると真理の姿はなく、見たくもない光景が目に入る。


相馬さんが若い女性社員と珈琲片手に談笑している。


「洋平さん、面白いこといいますね。あの店の店長がお笑い芸人に似てるなんて、今度行ってみようかな。」


若い女性社員に笑いながら肩を叩かれて、嬉しそうにしている相馬さんが目に入る。


私とは仕事以外の話をするタイミングなんていくらでもあるのに、仕事の話しかしない。


若い女性社員とは休憩室で会うぐらいしかないのに、そんな話をしていることが面白くない。


「若菜さんも今度行ってみて下さいよ。食事の味なんか分からなくて店長ばっかり気になるから。」


お互いに下の名前で呼び合っている現実に愕然とする。


どれだけ行っても私のことは社長としか呼ばないくせに。


おまけに聞いたこともないような砕けた口調でしゃべっている。


私だって年下だし、あの若い女性社員とそこまで歳は離れていないのに。


入口で立ち止まって2人の姿を凝視していた。


そんな私に気付いた相馬さんは慌てて休憩室を出ようと入り口に立っている私に近付いてくる。


いつもそうなのだが、相馬さんは休憩室に私がいるのを見ると部屋に入らなかったり、急いで部屋を出ようとする。


そんなに一緒にいたくないのかと地味に傷つく。


休憩するのは自由だし仕事はちゃんとしているので、そんなに慌てて休憩を切り上げなくても良いと声をかけようと口を開く。


「相馬さん。」


さっきまで若い女性社員としゃべっていることにイライラしてしまったのが、そのまま声にのってしまい、思っていたより低い声が出る。


「社長すみません。少し長めに休憩してしまいました。急いで仕事を仕上げますので。」


私が怒っていると思ったのだろう、顔も見ずさっさと休憩室から出て行く。


その後を追いかけるように若い女性社員も気まずそうに休憩室を出て行く。


2人の後ろ姿を見ながら、やっぱり若くて小柄で可愛げのある女の子の方がいいよなと胸が締め付けられる。


さっきの若い女性社員に比べ、私は背も高いし可愛げもない。


おまけに秘書という立場柄、相馬さんのことを顎で使っているのようなものだ。


そんな女と近づきたくもないし、しゃべりたくもないよなと悲しくなってくる。


怒ってもいないのに怒っていると勘違いされるということは、日頃から相馬さんは私の顔色を窺いながら仕事してるんだろうと、改めて認識させられた。


そんな女うんざりだろうなと心が重くなる。


本当は笑いながら仕事以外の話をしてみたいし、海で見かけたことを聞いてみたいが、そんなことを聞ける機会もない。


そんな自分がどんどん惨めに感じてくる。


真理もいなかったし休憩室に来るんじゃなかったと思い、デスクに戻ろうと思い

デスクに目を向ける。


このまま手ぶらで帰ったら、本当に相馬さんを怒りに来たと思われるのも嫌だったので、飲みたくもないジュースを買ってデスクに戻る。


デスクに戻る際に相馬さんの席の横を通る。


横を通るときはいつも緊張する。


心のどこかで呼び留めて欲しいと思いながら横を通るものの、一度も呼び止められたことはない。


相馬さんが腕まくりをしながら作業している姿が横目に入る。


手に浮く血管に目が惹かれる。


こんなにも相馬さんを気にしてしまう自分が嫌だったし、そんな自分のプライドを傷つける相馬さんが憎くもあった。


全ては自分の感情の問題であって、相馬さんには全く否がないのは分かっている。


自分の問題だと分かってはいるのに、相馬さんに私の気持ちに少しは気付いてほしいと思ってしまう。


そんな葛藤を毎日しながら仕事をしていたから、大きなミスをしていたことに全く気付かず、後々大変なことになるとはこの時は思いもしていなかった。

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