第2話 採用

待ちに待っていた朝がやってきた。


軽い足取りで会社に向かう。


意気揚々とエレベーターを待つ。


「凛、昨日は珍しく早く退勤したわね。今日の面接に来る人が楽しみ過ぎて仕事が手につかなかった?」


からかうように声をかけてきたのは、起業当初から一緒に仕事をしてきた真理だ。


「そんなわけないでしょ。最近仕事を詰め込み過ぎてたから、疲れてたのよ。昨日はゆっくり撮り溜めたドラマ見れて心も体もすっきりよ。」


図星だったかが動揺しているのを悟られたくなくて、無理に明るく言ってみる。


「無理しなくていいわよ。楽しみで仕方がないって顔に書いてあるわよ。私も履歴書見たけど、あんたのタイプど真ん中の顔してるじゃない。」


「ちょっと変なこと言わないでよ。顔で選ぶわけないでしょ。さっ、エレベーターきたから乗ろ。」


ちょうどいいタイミングでエレベーターがきて、他の人たちでいっぱいになったエレベーター内でこれ以上話すことが出来なくなった。


真理の言う通り顔はものすごくタイプだけど、経歴も含めて選んだだけであって、顔で選んだんじゃないと心の中で反論する。


デスクの脇に荷物を降ろしてパソコンを開く。


うんざりする程のメールが届いている。


昨日早く帰るんじゃなかったと後悔しながらも、仕事モードに切り替えるために休憩室で珈琲を入れて再びデスクに戻る。


届いたメールを確認して返信する作業を繰り返す。


途中、始業のチャイムが鳴ったので朝礼を挟んでひたすらメールと格闘する。


「社長、お客様です。応接でよろしかったですか。」


受付の子に声を掛けられるも、約束をした覚えがない。


「誰がきてる?約束はなかったかと思うんだけど。」


「相場様という方が面接に来られたということですが。」


今日の朝まであんなに気にしていた面接だったのに、あまりにヘビーなメールが山のように届いていたので、すっかり頭から抜けていた。


「そうだったわ。応接に案内をお願いします。このメールだけ片付けたら、すぐ行くわ。真理にも一声かけておいてもらってもいいですか。」


急いで処理途中だったメールを片付けて、応接室に向かう。


応接室に入ると、ふわっとシトラスの香りがする。


男性がつけている香水の匂いだろう。


既に真理は応接室にいて、面接にきた男性と談笑している。


応接室のソファーに座る男性は、履歴書の写真とは少し雰囲気が違った。


黒縁眼鏡をかけて、髪の毛はきっちりセットされている。


座っていても体格がしっかりしているのが分かる。


背も高そうだ。


やっぱり何かスポーツでもしていたのかな。


「社長、座りもせず、そんなところで突っ立ってないで座ったらどうですか。」


真理に声をかけられて、はっと我に返る。


部屋に入ってから男性を観察するのに忙しく、座りもせず突っ立っていた。


男性も不思議そうに私を見ている。


「失礼しました。相場さんですね。本日は急なお願いにも関わらずご来社頂いてありがとうございます。社長の高梨で本日はよろしくお願い致します。」


「こちらこそ、ご連絡頂き光栄です。相場洋平と申します。本日はよろしくお願い致します。」


耳障りの良い低音な声が耳を擽る。


「こちら専務の市川です。本日同席させて頂きますので、よろしくお願いします。」


相場さんに真理を紹介する。


そこから和やかな雰囲気で面接が始まる。


実際に面接をしていくと、予想に反しクソ真面目な男だった。


もっと面白い人間かと思ったが、仕事人間だったのが伺える。


前職ではマーケティングもやっていたということだったので、今後の市場開拓にも一躍買ってくれそうだとも思った。


待遇面でも話をしたが、特に不満そうな様子も見せなかった。


私の心では不採用にする理由がなく採用しか選択肢はないかと思っていたが、独断で決定する訳にもいかず真理に相談しようと思い声をかける。


「市川さん、少しいいですか。相場さん、申し訳ないのですが、少し席を外させてもらいます。珈琲を持ってこさせますが、アイスとホットどちらが良いですか。」


「お構いなくと言いたいところですが折角のお気遣いなので、ホットコーヒーでお願いします。」


相場さんの答えを聞くと、真理を部屋から出す。


受付の子に声をかけて、ホットコーヒーを持って行ってもらう。


「凛、面接途中になんで外に呼ぶのよ。」


「もう採用でいいかなと思って今日言っちゃえば、色々楽でしょ。」


私の話を聞きながら、真理は意味深な笑みを浮かべながらも同意してくれた。


「そうね。スペックとしては全く問題ないわよね。むしろ、うちの会社にはもったいないぐらいの人材ね。凛が焦るのも分かる気がする。新作のマーケティングでも力を貸してくれそうだしね。」


真理が私と全く同じことを考えていたのは嬉しかった。


「じゃぁ、決定で。戻って色々調整が必要ね。真理、総務の子に後で来てもらえるように言ってくれるかな。後は、私でやっておくから。終わったら内線入れる。」


「了解。内線貰ったら、総務の子を行かせるわね。男性の力が必要な時も多いから、これで安泰ね。じゃぁ、後は頼んだわよ。」


と言って真理は総務のデスクに向かっていく。


再び応接室のドアをノックして、入室する。


ちょうどホットコーヒーを飲み終えようとしているところだった。


「離席して失礼しました。市川は別の業務があるので、退席させて頂きます。あっ、珈琲ゆっくり飲んで下さい。」


そうは言ったものの、相場さんは急いで珈琲を飲み干してカップを元に戻す。


「本日はありがとうございました。採用ということでお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。」


この場で採用を言われるとは思っていなかったようで、驚いた顔をするも、すぐ笑顔になる。


笑顔になった時にエクボができるのが印象的だった。


その笑顔も一瞬の出来事で、直ぐに真顔に戻る。


「ありがとうございます。まさかこの場で採用頂くとは思っていなくて。これからよろしくお願いします。」


「うちにはもったいないぐらいだと思ってますし、期待してます。新作のマーケティングでも力を貸して頂ければと思ってます。出勤ですが、いつから勤務できますか。」


「来月からお願い出来ればと思います。期待を裏切らないように頑張る所存です。」


相変わらずクソ真面目な回答で少し笑える。


「それでは来月から勤務をお願いします。このあと総務の子が来て、色々手続きをこのまましたいのですが、お時間大丈夫でしょうか。」


「時間はたっぷりあるので問題ありません。」


「ありがとうございます。このまま手続きをさせて頂きます。勤務条件等に付いても説明させて頂きますので、総務の子が来るまで少しお待ちください。」


と言って、総務の子に内線をかけてから応接室を後にする。


部屋を出る際、相場さんが立ち上がってお辞儀をする。


思っていた通り身長が高く、すらりと伸びた手足が印象的だ。


既に来月になるのが何故か待ち遠しかった。


私と入れ替わりで総務の子が応接室に入っていく。


いつまでも部屋の前で立っているわけにもいかず、自分のデスクに戻り仕事を再開する。


応接室の方が気になりながらも仕事を進めていく。


お昼間際に内線が鳴る。


出てみると総務の子からで、全ての手続きと説明が終わったという連絡だった。


真理に声をかけて、応接室に再び戻る。


部屋に入ると今朝感じたシトラスの香りが鼻を擽る。


「長時間に渡りありがとうございました。何か不明な点はありますか。」


「丁寧に説明頂き、ありがとうございました。」


「待遇面も問題なかったですか。」


「十分なぐらいで光栄です。働くのを楽しみにしております。」


再びエクボが浮かぶ笑顔を向けられると、胸がドキンとする。


このドキドキに気付かないふりをしながら、


「それでは来月お会いできるのを楽しみにしてます。本日はありがとうございました。」


「ありがとうございました。期待を裏切らないように働くつもりですので、今後ともよろしくお願いします。」


席から立ちあがり一礼している相馬さんを見て、再び心臓がドキドキする。


スラリと伸びた手足に加え、上品なスーツを着ており、まさにいい男そのものだ。


エレベーターの前まで見送り、相場さんと別れたところでちょうどお昼の時間になる。


「凛、この後お昼一緒にどう?」


「そうね、いつもの喫茶店でいい?」


そのままエレベーターに乗って、行きつけの喫茶店に向かう。


席に座ると早速真理が、


「相馬さん、マジでいい男だね。スーツも上品だし、香りも上品ね。」


私と全く同じことを思っていたんだと驚くも、誰が見てもいい男に見える人なのかとも思った。


「そうだね、いい男だったね。それ以上に秘書というにはもったいない存在よね。マーケティングも含めお願いしてみようか。即戦力になるのは間違いなさそうだし。」


直ぐにいい男から話題を逸らす。


「確かに秘書にするにはもったいないわね。凛の意見に賛成よ。だけど、しばらくは秘書にしておいて様子を見た方がいいんじゃないかな。仕事の出来栄えによって、マーケティング専属にさせた方がいいんじゃない?」


「しばらく私ののマーケティングの仕事の一部をやってみてもらって、また相談するわね。」


「それが一番いいと思う。仕事の話はさておきで、ほんとにあんたのど真ん中タイプじゃない?イケメンだし背も高いし、筋肉質な体も」


真理が再び話題を戻してくる。


「ど真ん中じゃないし、あんなクソ真面目な男つまんないだけよ。それに社内恋愛はしない主義なの。」


「男はクソ真面目なぐらいがちょうどいいわよ。私の旦那さんを見てごらんなさいよ。真面目で私一筋じゃない。」


真理は昨年結婚したばかりで、事あるごとに惚気てくる。


「そうね、真理の旦那さんを思うと霞んでしまうぐらいの男だわ。」


「うちの旦那様にはかなわないけど、相馬さんも相当いい男でしょ。帰ったら、さっき説明してた総務の子が大騒ぎしている絵が想像できるわ。」


なんだかんだ話しているうちに注文していたのものが運ばれてくる。


食べながら話題はいつの間にか仕事の話になっていた。


真理は企業当初から一緒に働いていて、頭の回転が速くかなり仕事ができる。


色々なところで助けられている。


あっという間に午後の仕事の時間が迫ってしまい、会社に戻る。


デスクに戻る前に珈琲を入れようと、休憩室に寄ると予想していた通りの展開が繰り広げられている。


「社長、今日来てた方めちゃくちゃイケメンですよね。何歳なんですか?」


「個人情報だから私からは言えないから、本人に聞いて。」


「来月から来るって聞いたんで楽しみだねって、みんなで話していたところなんですよ。」


真理と目が合うと、予想していた通りでしょと小声で言うと、さっさと休憩室から出ていってしまった。


誰が見てもいい男ってことは、もちろん彼女だっているんだろうなとぼんやり考えながら、珈琲を入れてデスクに戻る。


午後からも怒涛のメールと調整事があり、どんどん時間は過ぎていくものの、ふとした瞬間に相場さんのことが頭をよぎる。


いい男だったから、頭をよぎるんじゃなくて、この忙しさから私を救ってくれる救世主になるから、思い出されるんだと自分に言い聞かせる。


この日は昨日早く帰ったツケが回ってきて、かなり忙しい一日を過ごすことになった。


くたくたで帰宅するも、やはり相場さんのことが頭をよぎる。


この状況が相馬さん初出勤日まで続くとはこの時は思ってもいなかった。

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