第517話 凍殺天使ソネシエル

 不意に背筋の寒さを覚えたオスティリタは、自分がやや薄着であることを思い出した。

 恐怖ではない。実際に一帯の気温がガクンと低下したことがわかる。


 原因は明らかで、物陰から出てきたちびっ子吸血鬼は、先ほどまでとはずいぶん様子が変わっている。

 ちびっ子を中心とする一定範囲内に、膨大な魔力が冷気として放射されているのだ。


「まだわたしからヒメキアを奪える気でいるのなら、やってみるといい」


 デカくなったのは態度だけではない。元からちびっ子にしてはまあまああった魔力の量が、さらに数段階膨らんでいる。

 彼女自身の髪に霜が下り、上半分ほどが真っ白く輝いている。


 魔力構築物である背中から伸びる翼は、逃げ回るときに使っていた普段の黒から、そちらも真っ白に変化して巨大化。

 さらに頭の上に白銀の光輪ヘイローを戴いており、手には螺旋状の長槍を握っている。その姿はまるで……。


「……裁きの天使……にでもなったつもりですか……!? このわたしを差し置いて、よりにもよってこの〈聖都〉の街中で!?」


 これにはさすがに温厚なオスティリタもバチギレである。わなわなと両手を震わせながら、彼女は絶叫した。


「断固ッ許すまァァじ! 万死に値します!!」

「死ぬのはあなた」


 端的な宣言とともに、ちびっ子は軽く手をかざした。

 キリキリキリ……と不快な異音を奏でつつ、なにもない空間から螺旋状の氷柱が形成されたかと思うと、オスティリタに向かって発射される。


 大した速度ではないので躱すと、石畳に突き刺さって穿孔し、その下の土が爆発したように凍裂を起こした。


「…………」


 これはまともに食らうと結構まずいかもしれない。でもまあ言ってもこんなん一発では死んだりしませんけどね、とあくまで余裕でオスティリタが顔を上げると、先ほどの不快音が何重にも鳴り軋み、頭蓋内に反響する。


「え」


 ちびっ子の背後に無数の氷柱が形成されて、すべてがオスティリタに照準されている。

 氷柱の大きさは一つ一つが一メートル程度。こいつバカなんじゃないのか?


「さよなら」


 唐突にお別れを告げられたオスティリタは、真っ白い殺意の飽和攻撃に遭遇する。

 どういうことだ。さっきまでこのちびっ子が使っていたのは、氷の剣で斬った対象に冷気を伝播させるという感じの、平凡な凍結魔術であったはず。


 おそらく本質は変わっていない。単純に攻撃規模が大きくなったと考えるのが妥当だろう。

 今は冷気が届く百メートルか二百メートルくらいの範囲内が、ちびっ子に把握できる掌中という扱いになっていると見える。


 とにかく対処が優先だ。オスティリタはその強大な念動力で、すべての氷柱を束ねて掴み取り、制動をかけて自分の鼻先で止める。


「ふんぬぐぐぐぐ!」


 次いで軌道を反対方向へ捻じ曲げ、ちびっ子自身に差し向けた。

 だがすべての氷柱はちびっ子に触れた途端、粉微塵に砕けダイヤモンドダストと化して舞い散る。


 構築だけでなく破棄も自在らしい。オスティリタは相手の攻撃をわずかに逸らして、自分の斜め後ろへ着弾させる方針に切り替えた。

 だが着弾地点から冷気と凍裂が広がるため、多少避けても徐々に寒さに苛まれていく。飛翔して場所を変えても、おちびもついてくるので同じだ。


「ぐぬぬぬ……!」


 なによりも先ほどから防戦一方になっているのがまずい。ジュナス様の第一使徒であるこのオスティリタがだ、沽券に関わる。

 とはいえそうせざるを得ないほど、おちびの魔力出力が、誤魔化しの効かないほど明確に、四騎士級まで伸びているのも事実である。


 オスティリタの念動攻撃は、ちびっ子が手に持っている螺旋槍の一振りによって、放たれる凍気で相殺されてしまう。

 瓦礫を叩きつけても螺旋槍で斬られるか弾かれるか、飛んでくる氷柱で砕かれるので同じことだ。


「生意気な!」

「わたしはいつもなまいき」


 なにが腹が立つかというと、この強化状態のちびっ子の戦法が、ジュナス様が主にオスティリタの相手をさせるために直々に鍛えられたという、〈白騎士〉マキシルのそれに似ていることだ。

 オスティリタと戦うための収斂進化的な最適解として、同じ結論に至ったのだとしたら、ずいぶん安く見られたもので、なおのこと腹が立つ。


 そこでふとオスティリタは、おちびが周囲に展開する氷結領域は、おちびを中心とした球を成しているわけではなく、おちびの背後がやや薄い、前のめりな形になっていることに気づいた。

 背後から狙えばいい、という意味ではない。おちびは背中を見せないが、正確に言うと常に一定方向に背中を向けて戦っている。


 オスティリタは危うく、当初の目的を忘れるところだった。ここへ来たのはあの不死鳥人ワーフェニックスの身柄を確保し、ジュナス様に捧げるためだ。

 こっちのちびっ子は無視すればいいし、なんだったらこっちのちびっ子を振り切るために、あっちのちびっ子の魔力をつまみ食いしてもいい。


 相手がズルをしているのに、こちらはそうしてはならないという法もない。

 吸血による強化には時間制限があるはずだ、長引けばどちらが優位に立つかは、論を待たない。


「はっはあ! 隙を見せましたね!」


 魔力感知を全開にすると、ひよこのおちびの隠れている場所がはっきりとわかる。

 念動の手を繰り伸ばし、対象を捕捉しようとしたが……途中で止まった。


「あれ……!?」

「……今、ヒメキアを狙おうとしたの」


 極低温により運動そのものを抑制されたのだと気づいたときには、その効果はオスティリタ自身に及んでいる。

 空中に凍りついたように釘付けにされたオスティリタは、今度こそ恐怖で身震いした。


 氷結結界の範囲がさらに拡張する。領域内の濃度を増した冷気が吹雪と化す。

 吸血鬼の霜の下りた長髪が逆立ち、真っ黒い双眸が憤怒で紅色に輝き始めた。


「やって良いことと悪いことの区別がつかない理由を教えてほしい」


 間違いない。あと十年も鍛えればこれがこのちびっ子の地力となり、教会の体制が変わっていなければ、〈黒騎士〉の座はこのちびっ子が占めることとなるだろう。

 気圧され縮み上がり、歯の根が合わなくなるオスティリタは、それでもなけなしの啖呵を切った。


「みみみみ、みと、認めない……あああなたの潜在能力がどれだけあろうと、ジジュナス様の右腕はわたじ以外ありえないんでずっ!」

「認めてもらわなくても構わない。席を空けてもらう必要もない。わたしはヒメキアの騎士」


 感情の昂りで出力を上げながらも、あくまで表面上は冷静な態度を崩さない吸血鬼は、容赦なく大量の氷塊を背後の空間に生成する。


「こんな魔力任せの雑な戦い方、師匠が見たら笑われる。もとよりわたしにさしたる矜持などない」


 しかし、今度は氷柱ではない。巨大な豪腕を模した彫像が無数に作られ、拳を握ってオスティリタへ伸びてくる。


「なのでであなたを倒す」


 言うが早いか、オスティリタの五体は甚大な衝撃群に見舞われ、打撲の嵐で揉み潰された。

 直後、全身の骨肉が軋み、凍った自分の血で内側から串刺しにされる紅蓮地獄を堪能する。




 自分の体に宿っていた仮初の力が使用期限を過ぎ、雲散霧消していくのをソネシエは感じていた。同時に激しい疲労と虚脱も。

 ヒメキアが彼女の血に持つ権能は鮮烈だが、ソネシエが未熟なためだろうが、体にかなりの負担がかかる。おいそれと使えるものではないと改めてわかった。


「う……うう……」


 呻き声に眼をやると、氷結領域が解けた靄の中で、金髪の女が蠢いていた。

 ミンチより酷い状態にされたはずだが、再生能力で凍った血を溶かし、裂傷もどんどん自己治癒していっている。


 いまだにどういう存在なのかわからないが、ジュナスの天使を自称するだけあって、尋常な生命力ではない。

 頭が爆散しても再生してみせた、高位吸血鬼であるイリャヒと同じか、それ以上だ。


「うわあああああん!!」


 そして、女が大声を上げて泣き始めたので、ソネシエはびっくりした。

 存在年齢はいくつか知らないが、外見年齢や肉体年齢はせいぜい二十歳前後だ。精神年齢はそれ以下かもしれない。


「ごめんなさい。やりすぎたかもしれない」


 なにか悪いことをした気分になり、謝ってみるソネシエだったが、女の気は治まらない様子だった。


「ひ……ひどいです! 汚されました! 体の中がぐちゃぐちゃです! この借りは絶対に返しますから、覚えていなさい! この変態暴力吸血鬼! あなたは清廉な一角獣ユニコーンでなく、不純を司る二角獣バイコーンです! 次に会ったら絶対絶対やり返してやるんですから!」


 言うだけ言って踵を返し、いずこへか飛び去っていった。

 覚えた安堵は体の重みを増し、仰向けに倒れかけたソネシエの体を、柔らかい感触が受け止める。


「ヒメキア……」

「へへ……ソネシエちゃん、お疲れ様。すごくかっこよかったよ!」

「あなたのおかげ。わたし一人では絶対に勝てない相手だった」


 そのまま彼女の温もりに抱きしめられていると、自称天使が消えたのと入れ違いに、リュージュが現れ近寄ってきた。


「だ、大丈夫か、お前たち!? ずいぶん派手にやったようだな、とんでもない有様だ」


 まずは周囲に目が行ったようで、彼女自身も戦闘直後と思しきリュージュは、一足早い冬の訪れといった様相を見せる街の様子を眺め回した後、ふと首をかしげる。


「ところでさっきそこで、ほぼ全裸の金髪女が啜り泣きながら飛び去っていくのとすれ違ったのだが、あれは……」


 尋ねながら、ふとソネシエとヒメキアを正視したリュージュは、二人の着衣が微妙に乱れているのと、妙に親密さを増した二人の様子を見て、なにか遠い目と半笑いで納得を示してきた。


「あっ……ふーん、ああ、そういう、ね。ずいぶん激しくアレしたのだな。横恋慕に激怒する気持ちはわかるが、さすがに街中でお仕置きというのは、ちょっと公序良俗がな……」

「ちょっと待ってリュージュ、あなたはなにか誤解している。わたしはただヒメキアの」

「いやいや、みなまで言うな。お前たちの愛を茶化すつもりはない。ギデオンに詳しく話してやるといい。しかしこんな事態の最中にそんなお前……色んな意味で大胆になったものだ」

「わたしはいつも真面目。ヒメキア、あなたからこの馬鹿竜になにか言って」

「り、リュージュさん……あたしね、ソネシエちゃんに優しくしてもらったよ。ちょっと痛かったけど、き、気持ちよかったです……」


 ヒメキアが頬を赤くして断片的な告白をしたことで、いよいよ真顔になったリュージュは、しかつめらしく叱責してくる。


「いくらなんでも堂々とサボりすぎだ馬鹿者! そのドギツい性癖を晒すのは猊下が無事見つかってからにしろ! まったくお前のムッツリぶりには困ったものだな、ほら行くぞ!」


 反論するのもリュージュをしばくのも後回しだ。ソネシエはヒメキアとしっかり手を繋いで、アクエリカの捜索を再開した。

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