第315話 その名はウーバくん
デュロンはヴェロニカのラボへ入るのは初めてではなかったが、戸棚やら木箱やら樽やら培養槽やらに、わけのわからないものが雑多に詰め込まれていて、その圧迫感に改めて驚かされる。一方ヒメキアは物珍しげに眼を輝かせていた。
「わー、すごい! おたからいっぱいだね!」
「おっ、ヒメキア、キミは見る目がある……けどそれは触っちゃダメだよ!」
「あっ、ごめんなさい!」
「すまんヴェロニカ。ヒメキアは初めての場所に来ると、ひとまずウロチョロする習性があるんだ」
「やっぱりひよこね」
「あたしひよこじゃな……うーん、もしかしてひよこなのかも……?」
「そこは自信持てよ」
デュロンたちのやり取りに苦笑するヴェロニカは、いつも見かける通りの白衣姿だが、癖の強い緑色の髪はなぜか左側の一部がオレンジ色に染まっており、眼鏡も左のレンズにヒビが入っている。どうもなにかの実験に失敗したばかりらしい。
「そうだ、荷物を届けてくれて、感謝するよ! 早速中身ちゃんを封印から解き放とう!」
「荷解きってそんなアクティブなもんだっけ」
しかし意外とアクティブだった。ヴェロニカが荷車の布を取っ払い、露わになった肉の塊のようなものを、投石器を改造したと思しき謎の装置にセットすると、びよんと飛ばされた肉塊が、培養槽の一つに見事ダイブする。
かと思うと、元気にビチビチと泳ぎ始めた。さっきヒメキアが言っていた「生きてる」というのは本当だったのだ。
「なんねあれ、動き気持ち悪っ!?」
「
そうだ、この前キミたちが平定したガルボ村で、ジェドル・イグナクスくんが残したという『肉の畑』を視察したのだけど、あれもなかなか役に立ったよ。
ところでデュロンくん、キミの嗅覚ではあれがなにかわからなかったのかい?」
ヴェロニカは思考が散漫で、自分にだけわかるロジックで過程をスッ飛ばして喋るタイプの、本人が口癖として言っているように、天才であることは間違いない。
とりあえず訊かれたことだけ答えておこうと、デュロンは口を開く。
「アンタにこんなこと言わなくても知ってるだろうけど、
「なるほど。ちなみに、あのレッグスティックくんはどんな臭いがするんだい?」
「なんだその呼び方……なんつーか……酒場のゴミ箱? って感じだな」
「あはは、そんななんだ! 確かに種類まで特定なんて……アッ! ちょっとごめん!」
いきなり声を高めるのでなにかと思ったら、ヴェロニカの眼鏡は左のレンズに入っていたヒビが一気に広がり、割れ落ちてしまったのだ。
ヴェロニカはデュロンたちを手で制して、左眼を閉じたまま作業机に歩み寄り、教会の鐘にそっくりな形をした、お洒落なハンドベルを静かに鳴らした。
「はーい、どしたのヴェロちゃん?」
途端に隣室から目隠しメイドのパルテノイが現れて、しずしずと歩いてくる。
「パル、ボクの眼鏡のスペア取ってきて! あとクーポちゃんの手が空いてたら、彼女も連れてきてほしい!」
「おっけー、まーかせて! あっ、ヒメキアちゃん、デュロンくん、サイラスくん、ようこそ! あとでお茶を淹れるから、ちょっとだけ待っててね!」
手を振りながら退室するパルテノイの後ろ姿を、ヴェロニカとサイラスがデレっとした顔で見送る。
「パルちゃんかわいいよね。趣味でメイド服を着せている猊下には感謝しかないぜ」
「まったくだね。ハロウィンを待たずしてイタズラしたくなっちまうね」
「なんだとう!? サイラス、キミはボクに殺されたいのか!?」
「だから沸点低い奴多すぎるね、あと殺すとか気軽に言い過ぎね!?」
なんとか気を治めたヴェロニカは、レンズの欠片を掃除しようと伸ばしたヒメキアの手を、再度身振りで制しつつ話しかける。
「ごめんね、騒いでしまって……そうだ、ヒメキアちゃんとサイラスくんには、まだちゃんと自己紹介をしていなかったっけ」
白衣の裾を翻し、左眼を掌で覆う格好つけたポーズで、ヴェロニカは高らかに名乗りを上げる。
「ボクはヴェロニカ・ゲーニッハ、言わずと知れた生体研究の天才さ! 種族はこれだ!」
「わっ!?」
ヒメキアがびっくりするのも無理はない。ヴェロニカの緑色の髪が、何百匹かの生きた蛇の群れに変貌したからだ。
うねうねと無秩序に蠢くそれらは、伝承に聞く不気味さよりも、生々しさの方が先に立つ。
獣人・竜人・鳥人などと同じように、彼女のような
ヒメキアに対してだけはどうせ効かないのだが、やはり無駄に被害を振りまかないよう、能力を遮断する専用の眼鏡が生活必需品となっているのだ。
ヴェロニカとパルテノイの仲が良いのは、邪眼を持つ者という共通点も、その理由の一つではあるのだろう。
しかし彼女独自の能力、すなわち固有魔術として〈
それが証拠に彼女がサッと掌を向けると、床に散らばっていたレンズの破片がパッと消えてしまった。
「識別名は〈
「なんね、結構便利に聞こえるけどね」
「便利なもんかい! 今キミらに運んできてもらったように、ボクの研究では『生体サンプル』を『お取り寄せ』したいことが多いんだ! 一番重要な機能を満たせてないじゃないか! だからボクは固有魔術が当人の願いを具現化するものだという説に、一貫して異議を唱えているんだ!」
「まー確かに、意図して練り上げたやつとか、なんでそんな能力になったのかわかんねーやつとかあるみてーだからな。パルテノイやイリャヒみてーなケースが目立つだけで、実際一概にそうとは言えねーんだろうぜ」
戻ってきたパルテノイから新しい眼鏡を受け取り、スチャリと装着しながら、ヴェロニカの興奮はまだ治まらないようで、髪の蛇たちがワサワサ荒ぶっている。
「そうなんだよね! ボクもたまにはフィールドワークとかするから、出先からこのラボへ送るぶんには役に立つといえば役に立つんだけど……あっ、パルちゃんありがと! クーポちゃんはいた?」
「いたよ! 怯える様子を無視して、強引に捕獲してきた!」
「獣人愛護に努めてくれ……クーポごめんな、変なとこだけど怖くはねーから」
「い、いえ……」
拉致実行犯であるパルテノイの後ろから顔を出す
「変なとこじゃないやい! ようこそクーポちゃん、我が城へ! 解剖とかはしないから安心してね! ヴェロニカのラボは健全なラボなのさ!」
「ひゃ、ひゃいい……!?」
「しねーんならなんでわざわざ言うんだよ!? クーポめちゃくちゃ震えてんじゃねーか!?」
「ほんとだから! ハァハァ……お姉さんなにもしないから!」
「だからこえーよ、血走りすぎなんだよ!」
普通のティーセットもあるそうだが、雰囲気重視で謎のガラス容器に注がれたお茶を嗜み、ようやく落ち着いた様子のヴェロニカに、デュロンは尋ねてみる。
「つーかそもそもなんでクーポをこんな場所に呼んだんだよ」
「こんな場所って言い方はひどくないかな!? いいかいデュロンくん、キミはアホだから天才脳すなわちボクの考えはわかんないかもしれないけど」
「ストレートに失礼ぶつけてくんなこいつ」
「まあ聞きなよ。メモってのはしないと忘れちゃうんだけど、すると覚えられるって言うじゃない? 要するになにかに書くというプロセスが記憶の紐付けに必要なわけだから、書いたメモ自体は残しておく意味はあまりないんだ」
「後で読み返したりしねーの?」
「だーかーらー、書いた時点で頭に入るから、書く動作だけが要るの! もっとも天才のボクが記した膨大なメモは、後世で資料的価値が出るんだろうけど、なにか閃くたびに増えていたら邪魔でしょうがないんだよね! そこで」
「なるほど、クーポちゃんの〈
「サイラス〜、天才の台詞を取るなよ〜っ! ま、まあしかし、その通り! アクエリ会の書記として、クーポ、キミにはこの貴重なミーティングの『残らない議事録』を取ってもらおうじゃないか!」
「は、はい……! わかり、ました……!」
勝手に役割を作られたクーポを、ヒメキアが撫でているのを眺めながら、デュロンは指摘した。
「ヴェロニカ、お前の発言はなんでそうも適当三昧なんだ。アクエリ会ってなんだよ、初めて聞いたぞ」
「そりゃそうさ、今考えたもの。猊下をトップとする、ジュナス教を良くしていくための少数精鋭グループだよ」
「要するに姐さんの親衛隊のことだな」
「そうとも言う! 会長はもちろん猊下! 彼女を支える副会長がメリクリーゼさん! 書記はもちろんクーポちゃん、会計担当シャルドネさん。監査職がパル」
「もがっ!? わ、わたし!?」
「そう、本質を見通す眼を持つ、お菓子を頬張っているそこのキミだ。そしてギデオンが下っ端の使い走り、庶務の雑用、寝取り間男、カスでクズ」
「私怨が半端じゃないね!?」
「ふん! ボクが先に好きだったんだぞ! あいつのことは許してないからな!」
「ヴェロニカ、お前も親衛隊の一員なんじゃねーの?」
「もちろんそうだとも! ボクはこう見えて広報担当!」
「本当にそうは見えねーな……」
「うるさいやい!? ほっとけ!? 天才のボクにはね、アクエリカ陣営がいかに素晴らしいかを知らしめる、啓発的な研究成果を世間に発表するという役目がある! たとえば……」
「……なー、ヴェロニカ……さっきから気になってたんだが……」
デュロンの言わんとすることを察したようで、ヴェロニカはニヤリと笑ってみせる。
「そう、まさに……ボクからの依頼というのはね、彼に関するものなんだ」
けっして見逃せない位置に、無視できない大きさで、培養槽の中に浮いている姿があった。
まだ意識はないようで瞑目し、全裸で
顔立ちや骨格は完全に男だが、股間に生殖器はない。
明らかに模造生命体の類である。
人間時代なら、神の領域に踏み込む禁忌とされるのだろうが……今は魔族時代、神はいないものと
蛇は倫理を嘲笑い、ただ誇らしげに謳う。
「紹介しよう。彼の名はウーバくん。すべての魔族がひそかに夢見る、器用万能の最強無敵に到達し得る存在だ」
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