第200話 魔王めの腕に攫われてはくれないだろうか
一般市民でも魔族は魔族。彼らにも再生能力がある、どうせ死にはすまい。
それより今はソネシエだ。デュロンは硬直した彼女をほとんど掴みかかるようにして抱き寄せ、邪魔する神託者どもを吹き飛ばして、通りをひた走る。
自称救世主の声を聞く者たちはどんどん増えているようで、後から後から
しかしデュロンにはその終端が見えていた。神託者たちの何人かが言及していたように、おそらくこれは〈三番街の悪霊〉と同根の現象だ。
つまり効果範囲は、広くとも三番街全域である可能性が高い。
噴水を飛び越え、路地を駆け抜け、伸びる信者の手をすり抜けて、デュロンとソネシエは隣の四番街へ突入した。
「……異端、異端だ……!」「親殺しの魔女を許すな!」「と、神がおっしゃっている!」
「なんっでだよちくしょう!?」
しかし追撃は一向に止む気配がなかった。
もしやすでにミレイン全域が、こいつの支配下に置かれているのではないか……?
恐ろしい考えが浮かび、デュロンはそれを振り払うように、ますます撃退と逃走の足を加速させる。
「アハハハハハ! 神はこうおっしゃっているぞ! 聞こえますか? あなたの心に直接呼びかけています! その少女は没落した四大名家の一つ・リャルリャドネの末裔であり、いずれこの魔族社会の安寧秩序を乱す奸物だと! よって死すべし、慈悲はない! 天誅天誅天誅!!」
「うわーっ!? なんか一人、めちゃくちゃ元気に受信してるヤベー奴がいる!?」
しかもそのヤベー奴は市民にしては結構強く、ソネシエを抱えたままということもあってそこそこ苦戦させられた。
こんなの一人にかまけている場合ではない、だが対策など考えている余裕もない。
ソネシエに頭を回してほしいが、そうできる状態ではないのはわかっていた。
そもそもまだ陽も暮れ切らぬ夕刻に、こんな状況が発生していることがおかしいのだ。
誰か救援でも飛来していい頃だ……とデュロンが考えていると、横合いからまさしく救世主が現れたかに見えた。
「おいてめぇら、なにしてやがる!? いい加減にしやがれ! なにが神の声だ!? 俺にはそんなもんこれっぽっちも聞こえねぇぞ!!」
張り上げられた胴間声に、デュロンとソネシエだけでなく、自称神託者たちも意識を集められる。
視線の先には浮浪者と思しき、もじゃもじゃした黒髪の大男が立っていて、手にした酒瓶から喇叭呑みし、乱暴に口元を拭って呵々大笑した。
「なぜならぁ! この俺様こそがぁ!? 救世主ジュナス様なのだからぁ!!」
「違ったわ! 単にまた別種のヤベー奴ってだけだった! うるせーよおっさん!」
「失敬だぞ小僧! いいから俺の声を聞け! 一曲くらいなら選ばせてやる!」
「なんで歌おうとしてんだ!? この状況が見えてねーのか!?」
しかし別種のヤベーおっさんは、自分以外の神を騙る声を聞く連中が気に入らないようで、デュロンに加勢して半分くらいの神託者を捌いてくれた。
ミレインがヤベー街で助かったと、このときばかりは思わざるを得ない。
「わりーおっさん、助かったぜ! リサイタルには呼んでくれよな!」
「おいっ、今聞いてけや!? 今日はすっげぇ喉の調子が良くて……待て小僧!?」
おっさんを置き去りに、デュロンはソネシエを抱えてまた走る。
おっさんの喉とは逆に、彼女はまだ調子が戻らないようで、息遣いが浅い。
おそらく敵ではないはずの相手から罵られるというのが、冷静なようで繊細な彼女の心に堪えるのだろう。トラウマや弱点は、誰しもあるもので仕方がない。
そんな思考に意識を割いていたせいか、また神託者たちに追いつかれかけている。
そして間の悪いことに、正面からも一人来ている。
「……ん?」
しかしデュロンは鉢合わせしたその男に、どこか違和感を覚えていた。
豊かな黒髪を丁寧に整え、端正な顔立ちを優雅な口髭で飾った、身なりの良い三十代後半くらいの紳士だ。
「やあ、君たち。大変そうだね、手を貸そうか?」
そして気さくに……普通に話しかけてくるので、デュロンは思わず足を止めて返事をしてしまう。
「アンタは……どっちだ?」
「ん? ああ、これかい? 私にも聞こえているよ。ただねえ……」
そのとき背後に神託者が二人迫ってくる気配を感じたので、デュロンは慌てて振り返る。
しかし結局、対処する必要性は生じなかった。
「……
紳士がぼやきながら指を鳴らすと、極小の衝撃波のようなものが発生し、神託者たちを吹き飛ばしてしまったのだ。
そう、この紳士は神託者たちと同じで、瞳孔が散大した異様な表情でありながら……つまり神託を聞かされている様子なのだが、それでいて理性的な思考を保っているという、先程のヤベー奴とも別種のヤベー奴とも異なる、独自の振る舞いを確保しているのだ。
それどころか興が乗った様子で、景気の良い長広舌を垂れてくる。
「いや、君たちのことではないよ? いいかい、優れた名曲であるほど、それが作られたときや最初に演奏された時期における、組み立てられた理論や、動かされた心理、場合によってはそれを形成し得た作曲家の生い立ちまで遡る。
真に音楽を愛するなら、それを構造するより多くを理解し、自らの血肉とすることが求められる。
これは戯曲や絵画、料理、果ては魔術や錬金術……あるいはもはやすべての技能に通底するだろう」
紳士は講義を開く片手間で、攻め寄せる神託者たちを、彼の固有魔術と思しき謎の波動で昏倒させていく。
戦闘自体には興味がないようで、淀みなく話を続けた。
「そこへ来て、この……なんだろうね? 私の記憶では、救世主ジュナスは人類を見捨てると同時に、この世界を去ったというのが、他ならぬジュナス教会の公式見解だったはず。
つまり、神は死んだのだ。我々は新時代を受け入れ、そこに適合し、これと矛盾する詭弁や俗説、あるいは牽強付会に対して常に自由でなければならない。
だのに託宣? 啓示? 今さらそんなもの……」
最後の一人となった巨漢に、ついに至近へ迫られるも、冷静に弾いた紳士の指先から爆発的な魔力が迸り、巨漢はもんどり打って縦回転し、石畳に叩きつけられる。
これで神託者たちは全員地面に転がったが、意識を失い、魘されるだけの市民に戻った。
もはや暴徒と化していた彼らを一人も殺さず制圧してみせたことに、本職の祓魔官であるデュロンは驚くばかりだ。
「解釈違いだ、出直してくるがいい。
……おっと失礼、君たちを放置していた」
にわかに形成した安全地帯の中心で、紳士はきっちりと分けられた前髪を整えてから、デュロンの腕の中で呆然としているソネシエに手を伸ばし、柔和に微笑んでみせた。
地面に降りた彼女の眼前に、紳士は跪く。
「美しい淑女よ、私は君を守るために生まれてきたと言っても過言ではない。
どうかひとときだけでも無粋な神とやらの眼から逃れ、この魔王めの
やけに詩的でわかりづらいが、どうやらこの妙な状況を見るに見かねて、一時的に保護してくれるという申し出らしい。
普通なら渡りに船過ぎて怪しむところだが、この男からは嘘や悪意の臭いがまったくしない。
そして……魔力量から言っておそらく吸血鬼のようだが、それだけの根拠に留まらず、どことなくイリャヒに似た雰囲気を纏っている気がするのだ。
ソネシエも同じことを感じているようで、紳士をじっと見つめた後、振り返ってこくりと頷いてくる彼女に対し、デュロンも首肯を返す。
それを見た紳士はますます相好を崩し、二人に対して名乗ってきた。
「私はインディペ・ケヘトディ、しがない音楽家さ。以後、よろしく!」
差し当たっては、あくまで市民であるこの男に頼るしかない。
そして困ったことに、それはまったく悪い気分ではなかった。
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