第201話 メモなど取るな、リュートを掻き鳴らせ

 四番街の外れにあるケヘトディの棲家へ、三人は到着していた。


 三番街に面しているからか、その通りにも猫の子一匹姿はなく……つまり神託者たちにも出くわすことはなく、デュロンとソネシエは中へ招き入れられる。

 ケヘトディは外の様子を慎重に警戒しつつ、ゆっくりと扉を閉めて内側から施錠した。


 下り階段で半地下となっており、隠れ家的な雰囲気のあるケヘトディの自宅は、こんな状況でもなければロマンをそそる場所だった。

 あまり広くはないが空間が上手く使われていて、立体的な収納スペースには食器や酒類、そしてなにより多くの楽器が、半ば展示するように仕舞われているのが目につく。


 ケヘトディはデュロンの視線に気づきつつも、あえてまだ言及せず微笑み、優雅に両腕を広げて、二人にソファを勧めてくる。


「まっ、あまり綺麗なところではないが、ひとまずその辺にかけてくれたまえ」


 謙遜しているが、物がゴチャついていて雑多な印象はあるものの、掃除自体は行き届いているのがわかる。

 二人が隣同士に座るのを確認し、ケヘトディは壁の棚に向き直った。


「こんな状況だ、まずは気付に一杯……といきたいところだが、君らは齢が齢だからね。代わりに甘いものでも食べるといい、心が落ち着くはずだ」


 そう言って出されたお茶とお菓子に、特に頭の方が消耗の限界だったのだろう、デュロンとソネシエは遠慮も礼儀もなく手を伸ばした。

 温かく優しい香りがなにより心に染み渡り、回復を肌で感じる。

 隣を見るとソネシエが、ほっ、と一息吐いていて、パニック状態を脱した様子だったので、デュロンもひとまずの安堵を得た。


 二人の対面に腰を下ろしたケヘトディは、二人を安心させるためだろう、口角を上げてみせるが、それはやはりいくばくかの同情や憐憫を含んでいて、どこか渋みや苦みのある表情を形成した。


「こういう言い方もどうかと思うが……不幸中の幸いと呼ぶべきか、差し当たり連中を撒いたと考えていいはずだ。

 ……ああ、君らの考えもわかる。一般市民の中にも、感知能力に長けた者たちはいるはず。

 あの乱心状態にあっても、自前のそれらを発揮して、ここを割り出されるのではないか……その懸念ももっともではある。だが……」


 ケヘトディは自分用の紅茶には酒を入れ……というか割合的にほぼ酒になったものを一息で干したが、しっかりした足取りで立ち上がった。

 壁に飾るように仕舞ってある楽器群のところまで歩き、どこか自慢げな仕草でそれらを指し示す。


「さっきも言ったが、私はしがない音楽家だ。といっても演奏家としては半ば引退の身でね、今はもっぱら作曲で食ってる。

 ……これも下の世代の情操教育的には、あまり良くない表現だが……目障りな人間どもが残らずくたばってくれたのは、私が十七歳の秋のことだったかな。

 まったくあれから良い時代になったものだ。表通りに堂々と使い魔を飛ばしても、誰も見咎めやしない。

 おかげで今日のようにどうしても自分の眼で見たい展示会や演奏会などの場合を除けば……」


 ケヘトディが指を鳴らすと、彼の手元にどこからともなく、バスケットを提げた蝙蝠が現れた。

 キキ、と鳴いて自らの手に着地する有翼の小動物を、音楽家は優しく撫で、バスケットを受け取る。


 デュロンとソネシエにわかりやすいようにとの配慮だろう、ケヘトディが魔力によって双眸を紅に染めてみせると、連動して蝙蝠の円らな瞳にも同じことが起きた。


 吸血鬼の使い魔としてはポピュラーではあるが、デュロンは実際に見るのは初めてだった。ソネシエも驚きをもって見つめている。

 二人の反応に気を良くしたようで、ケヘトディは蝙蝠を手元で弄び、いかにもな吸血鬼然とした雰囲気を醸し出す。


「居ながらにして物資等の調達が可能というわけさ。普段はそこらにある小窓を通らせているが、さっきも見せたようにこの子は空間転移魔術を獲得していてね、痕跡を残さず帰還させることも可能というわけだ。

 当面はこれでいこう。私も引きこもり……もとい籠城には慣れている。今、外が実際のところどうなっているのかは、もちろん私にもわからない。

 ほとぼりが冷める……というのは語弊があるな。色々と落ち着いて打開の兆候が得られるまで、君たちさえ良ければだが、好きなだけ避難場所として使ってくれればいい。たまの客だ、歓迎するよ」


 過大な無償の厚意は怪訝に思えるが、ケヘトディから偽りの臭いはせず、漂うのは労りと慈しみだけだ。

 当然お茶やお菓子にも異物や呪詛など込められておらず、とても美味しい。


 改めて礼を口にする二人に対し、大したことではないと言いたげに、紳士は気障な指を振る。


「話の順序が前後した気がするね。そう、つまり、私は音楽家として……あるいはまあ、単にロマンを感じたとか、そういった複合的な理由で、この家に魅力を感じて買い取ったわけだが……。


 程なくして、例のやつが始まった。おぞましい怪音だよ、君たち。あれはどうにもいただけない。

 なにも集中力を欠いて仕事に支障が出るのは、鳴っている間だけというわけではない。


 頭の中にやたら残響するし、そいつが始まる時間のことを考えただけで憂鬱になる。


 確かに私も繊細な性質たちではあるが、私だけが格別そうというわけでもないのは、哀れな三番街の住民たちに話を聞いたであろう、君たちなら理解できるのではないかな?」


 その通りだった。騒音が生み出すストレスというのは半端ではなく、その時間だけ我慢すればいいという話ではない。デュロンとソネシエが揃って頷くのを見て、紳士は話を続ける。


「とにかくだ、このままではバカの音痴か、下手くそな演奏か、あるいは亡霊どもの大合唱か……いずれにせよ許し難く耳に余る。

 幸い私には、こと音に関しては注ぎ込む大義名分を伴う、それなりの蓄えがあった。有能な小鉱精ドワーフたちへの伝手もね」


 ケヘトディは室内をウロウロ歩いたかと思うと、棚や収納物で隠れていない部分を見つけて、拳で壁を軽く叩いてみせる。


「結果できたのがこの、結界でも張っているかのように秘匿された空間だ。材質なのか構造なのか、具体的な工法は彼らだけが知るところだが、いずれせよ高度な防音機能だけでも特筆すべきところを、それには留まらない。


 私が想定していたのは、こう、書いている譜面を外から覗き見されるとか……わかるだろう? そういう系統の不埒な行為だったのだが……。


 今は君たちを探して徘徊する、神の声とやらを聞いている連中を躱す、大きな一助となる。


 つまりは一切の感知能力を遮断する……具体的には、透視や千里眼系はもちろんのこと、嗅覚や聴覚に磁覚、そして我々吸血鬼が得意とするような魔力感知すら跳ね除ける、守りの家としての機能を果たすだろう。


 ただ魔力自体は通すようだがね。じゃなきゃさっきやったような、私の使い魔に空間転移で帰還させるとか、そういうこともできなくなってしまうから。もっともやはり、この特殊な壁の一番の恩恵がなにかと言われれば……」


 彼はおもむろに壁へ手を伸ばし、弦楽器の一つを掴み寄せると、気の向くままに弾き始めた。

 繊細な指先が美しい旋律を紡ぎ出すと、緩やかな曲調が凝り固まった二人の頭をほぐし、気分を穏やかにしていくのがわかる。


 演奏家としては半ば引退などと言っていたが、そうは思えない腕前をしている。

 おそらく作曲時の試し弾きで、自ずと鍛えられているのだろう。


「こうしていきなりリュートを搔き鳴らしたりしても、絶対に近所迷惑にならないという点かな。おかげで深夜に浮かんだ一節を、覚えておいたつもりで取り零すということがほぼなくなった! ……えー、つまりなにが言いたいかというと……」


 リュートを壁に戻し、自分の頭の上に移動していた蝙蝠を撫でながら、ケヘトディは二人を優しい眼差しで捉えた。


「もう陽も落ちる。今は後のことはひとまず置いて、ゆっくりしていくといい。それでなくても祓魔官エクソシストなら、日常業務で疲れているだろう。

 夕食を作っておくから、その間だけでも少し寝たらどうかな? ……あ、まだそこまで私を信用できないだろうし、交代で仮眠を取るというのは?」

「アンタが外へ告発に行くとか、そんなことは危惧してねーよ。悪いな、本当にありがとう。……じゃソネシエ、お前からでどうだ?」


 さっきからずっと黙りこくっているおちびに眼を向けると、いつものように人見知りが発動しているのとは異なるようで、ソネシエはデュロンの顔を見て頷いた後、ケヘトディに眼を戻した。


「ありがとう。お言葉に、甘える……」


 そう言うなり、お尻をデュロンから遠ざけるようにずらしたかと思うと、頭頂部をデュロンのお尻にくっつけるように上体を倒してきて、そのままソファの上で丸くなってしまった。

 仕方なくデュロンが、無造作に広がった長い髪を首元でまとめてやり、風邪を引かないように上着を脱いでかけてやると、おちびは「むむっ」と唸ったきり、眼を閉じて動きを止めた。

 あまつさえ、すぐに静かな寝息を立て始める。


 これはヒメキア以来の快挙だ、とデュロンは驚いていた。いつだったか以前イリャヒが言っていたことがあるのだが、ソネシエはとても警戒心が強いため、信用できない者がいる空間では、なかなか睡魔に負けてくれないのだという。

 ところが今は、初対面のはずのケヘトディに、完全に気を許している様子だった。

 直前に聞いた曲がものすごく効果のある子守唄だったとかでない限り、なにか他に理由があるとしか思えない。


 使い魔が運んできた買い出し食材を開け、料理を始めるケヘトディの背中へ、デュロンは躊躇いがちに声をかけてみる。


「なあ、旦那……一つだけ訊いていいか?」

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