第168話 あとは祈りを捧ぐだけ

 左腕と両脚をソファの上で元気いっぱい伸ばして叫ぶアホのヴィクターに、エモリーリは水晶玉が映す未来を確認しながら尋ねる。


「あんた、そいつのことそんなに好きなわけ?」

「いーや? むしろ嫌いだよ? でもね、強いんだ、あいつは。同世代を相手にそうそう負けるとは思えないから、全額突っ込んでみたのさ。だから外したとしたらあいつのせい!」

「典型的な破滅型ギャンブラーの張り方じゃないの……たまたま当たることを願うばかりだわ。ところで、今はなにを観てるの?」

「あー、ドヌキヴちゃん。僕の一推しの子」

「ニンジャの子だっけ?」

「そう、ニンジャの子。かわいいんだよね」


 ドヌキヴ・ナバリスキー、っと……。ちょうど水晶玉の映像の中で、灰黒色の髪の少女が、灰藍色の髪の眼鏡男に、チョーカーの珠を破壊されるところだった。

 エモリーリが若干ワクワクしながら待っていると案の定、少しのラグを経て、ヴィクターが叫び声を上げながら脚をバタバタさせるので、エモリーリは声を出さずにクスクス笑った。


「あっ、ちょ……おおーいっ!? やられちゃったじゃん、ドヌちゃん!? ちくしょう!」

「それは残念。でもヴィクター、別にその子が優勝すると思ってたわけじゃないんでしょ?」

「戦法や能力的に、この形式じゃ有利とは言えないからね。

 でも僕はむしろ、負けそうな子の方を好きになっちゃうのさ。

 単なる判官贔屓で応援したくなる、というのも、少し違う気がするな。

 強いて言うなら、共感かなあ。僕はお世辞にも、常勝無敗の半生とは言えないんでね」

勝利者ヴィクターで敗北主義者って、あんた究極の名前負けよね」

「あれあれ? エモちゃん、もしかして僕のこと嫌い?」


 エモリーリは少し深く息を吸い込み、この数週間で得たヴィクターへの色々な印象をすべて混ぜ込んだ、悪戯っぽい、甘めの声音で囁いてみる。


「あんたのことなんか、嫌いよ。き・ら・い♡」

「えっ!? なに今の、僕プロポーズされた!?」

「耳に南京虫でも詰まってるのかしら。それより、推してた子が負けちゃったんなら、さしものあんたでもそれはそれで悲しいんじゃないの?」


 弾かれたように体を起こしかけていたヴィクターは再度脱力し、一層深くソファに沈み込んだ。


「そうなんだよね。このブレントとかいう眼鏡マジムカつくわー……ていうかさ、リュージュがなんか仕掛けようとしたように見えたんだ。ドヌちゃん、もしかして余計なことしちゃったんじゃないの? 無駄に敗退しちゃったのでは? なんだかなー」

「うーん、そうでもないんじゃないかしら。むしろ、結構ファインプレーだったというか……」


 そこでようやく気づいたようで、ヴィクターが右手を外して両眼を開いたので、エモリーリは思わず吹き出してしまった。


「ちょっと!? エモちゃん、未来見てんなら言ってよ!? リアルタイム映像で満足してる僕がバカみたいじゃん!?」

「あはは、ごめんって! でもどうせこれも未確定だし、最終結果まではまだわかんないわよ?」

「いいんだよ、それで! 見せてよ見せてよ! ケチだなーエモちゃんは!」

「ちょ、押さないでってば! あと誰がケチよ!?」


 水晶玉の前で二人してぎゅうぎゅうになりつつ、エモリーリが映し出した限定的な未来を確認すると、ヴィクターは納得した様子で頷いた。


「あー、なるほどね……これがこうなって……やるじゃん、ドヌちゃん! やっぱこれからも僕はこの子を推そうっと!」

「いや、敗退しちゃった子を推し続けてもしょうがないでしょ……ていうか今さらなんだけどさ、ここ本当に大丈夫なの?」


 ふと周囲に眼が及んだエモリーリが言及すると、ヴィクターはとぼけた顔で反問する。


「なにが?」

「友達の家とか言ってたけど、あれ嘘でしょ?」

「本当だってば。そして問題はないさ。イリャヒもソネシエも今まさに〈ロウル・ロウン〉に参加しているから、開催期間中はまず帰ってこないでしょ。仮に敗退した後もさ、残ってる子を現地で応援するわけじゃん?」

「結局無断は無断なんじゃない!? どうすんの、急に親戚の人とか来たら!?」

「来ない来ない。だってありえないでしょ、よりによって今このタイミングにピンポイントでなんて、僕らどんだけ日頃の行いが悪いんだよ?」

「日頃の行いなら普通に悪いから、そう言われると不安になってく……ちょっと待って?」

「え? なになに、冗談やめてよ」

「いや……これマジで来てるわ」


 言うが早いか、玄関の錠がガチャガチャ鳴り始める。


「「ヒイッ!?」」


 管理が悪いので鍵穴が錆び気味なため猶予ができたが、それもあと数秒しかない。

 ちなみに二人の戦闘能力は揃ってゼロだ!


「どどど、どうするの……? とりあえず、どっかその辺に隠れ……」

「待って、隠れなくていい。僕に任せて」


 こういうときのヴィクターはやけに頼もしいが、そもそもこういうことにならないようにしてほしいというのがエモリーリの本音であった。

 しかし文句を言う暇もなく、開け放たれた扉から光が射し込むと同時に、ヴィクターは努めて快活な声を上げた。


「あっ……どうも、お邪魔してますー!」

「ど、どもですー……」


 調子を合わせて隣で愛想笑いしてみるエモリーリだが、相手の双眸に明らかな疑念が宿っているのを見て取り、滝のような発汗を自覚した。


「え、えーと、あなたたちは……?」


 勝手知ったる様子で入ってきたのは、やや波打つ長い黒髪と、闇のように深い黒眼が特徴的な、驚くほど美しい長身痩躯の女性だった。

 年格好は三十代前半といったところで、シンプルな白のシャツと黒のスラックスに包まれたスレンダーな体のラインは、同性であるエモリーリから見ても芸術を感じざるを得ない。


 彫刻のように端正な顔立ちにも臆せず……いや、むしろ全力で揉み手をしながら、ヴィクターが得意の口八丁で誤魔化しにかかる。


「僕はヴィクター、この子はエモリーリといいまして、イリャヒくんとソネシエちゃんのお友達をやらせていただいてます! あなたのことも聞いていますよ、シャルドネ叔母様!」


 これはちょっと信憑性的にどうなのかとも思われたが、女性……シャルドネ叔母様はかなりあったはずの警戒を一瞬で解いてしまい、白磁の頬を紅潮させて微笑んだ。


「えっ……あの子たち、私のことも話してくれたの? そっかー、嬉しいなー……」


 なんだこの人、ちょっとかわいすぎないか? と、エモリーリはいきなりだいぶハートをキュンっとやられてしまった。

 微妙に右眼にかかっている前髪が、なんとも言えない色気を醸し出している。


 というか、十代二十代の甥姪を持つには若すぎるように見えるが、きっと歳の離れた末っ子なのだろう。

 一方でヴィクターは動じた様子もなく、営業スマイルで平常トークを続けている。


「ええ。あの二人が互い以外で唯一、親族としての存在を認めているのがあなたなのだとか」

「そ、そうかな? 私、信頼されてる? 優しい叔母さんだと思ってもらえてる?」


 頬を両手で挟んでクネクネする姿はどうしようもなく魅力的なのだが……いや待て、とエモリーリは自らを律した。もしかしたら甥っ子や姪っ子が大好き過ぎる変態美女なのかもしれない! ……それはそれでアリな気がしてきた! 興奮する!


 と彼女が混乱している間に、ヴィクターは円滑に話を合わせていく。この男のそれは話を合わせるというレベルではないので、エモリーリはむしろシャルドネ叔母様に警告を送りたくなったくらいだ。


「ソネシエの人見知り、治ってないでしょ〜?」

「あー確かに、あの子とはほとんど喋ったことないですねー。でも意外と僕とも普通に喋ってくれますよ、用件があるときだけですけど」

「そうよね〜。でも良い子なのよ〜」

「それはわかってます、僕だけじゃなくね。彼女、最近結構友達増えてる様子ですよ」

「ほんと? 良かった〜。イリャヒも最近は精神が安定してるみたいだし、私としても嬉しいわ。ヴィクターくん、エモリーリちゃん、できればこれからも、あの子たちと仲良くしてあげてね?」

「もちろん!」「ひゃいっ!」


 思いっきり噛んでしまい頰が熱くなるエモリーリに、シャルドネは優しく笑いかけ、ヴィクターに目配せしてから、屋敷の奥へ歩いていった。

 二人が手持ち無沙汰に待っていると、なんらかの作業を終えたシャルドネが戻ってきて、そのまま帰ろうとしたが……最後にひょこりと顔を覗かせて、困ったような笑みを残していった。


「じゃ、私はこれでお暇するけど……あの……いちおうあの子たちもたまには来る場所だから、あまりその、汚し……あ、でも、掃除してくれればいいかなみたいな……な、なんでもないです!」


 ゴニョゴニョ言いながらフェードアウトする叔母様を見送っていたエモリーリは、なにを言われたのかしばらく気づかなかったが、ようやく自分たちがここをアレ用の別荘扱いしていると思われたことに思い至った。


「わたしが、あんたと!? ないわー!」

「ちょっとやめて、そういうこと言うと逆になんか実は? 的な感じ出ちゃうから」

「ないないない、ないアンドないオブない! ……ていうかさ、あの人……」


 ヴィクターも固有魔術〈履歴閲覧ヒストリセンサー〉で察知していたようで、神妙に頷いてみせる。


「うん……結構ヤバい状態みたいだね……ま、僕らには関係ないんだけどさ……」


 エモリーリにも、具体的なビジョンには至らないが、ぼんやりと彼女の行く先に待ち構えている運命のようなものが見えた。

 端的に言って、シャルドネには死神が憑いている。早晩、彼女に向かって黄泉へと誘う魔の手が伸びるだろう。


 しかし同時にエモリーリは他の誰よりも、未来は変えることのできるものだと知っている。

 気にしても仕方ない。この屋敷の主である、リャルリャドネ兄妹に任せるしかない。

 ヴィクターも同意見のようで、すぐに頭を切り替えて叫んだ。


「あっ!? どうしよ、ちょっと眼を離した隙に、戦局が大きく動いてるかも!?」


 そう言ってソファにダイブする彼を、エモリーリは呆れて苦笑しながら見守った。

 今は他者ひとの心配などしている余裕はない、自分たちのことに集中だ。


 ……しかし、予見される未来が訪れ、その結果がどうなるか確認するために、もう一度ここを訪れてもいいかなと思えた。

 ヴィクターのことも、あまり悪くは言えない。

 準備し、対策し、あとは祈りを捧ぐだけという点で、生涯に起こるほとんどの出来事が、ある意味でギャンブルと呼べるのだから。

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