第79話 ブラコンはブレない


 なぜ今、母の教えを思い出すのだろう、と、陽が昇り切ったミレインの街中に潜伏しながら、ギデオンは考えた。

 里へ帰れば、うるさいほど聞ける……というか、ちょうど今朝聞いてきたばかりだというのに。


 ねこねこ戦隊に敗北し、寮を脱したギデオンは、ひとまず休息を求めて、体が自然と一つの建物へ向かうに任せた。


 赤帽妖精レッドキャップの習性が、過去に惨事の起きた場所から最寄りのものを、自ずと探り当てたのだ。

 繰り返しになるが、これは必然的に誰も来ない薄暗がりを選択する能力となる。


 神の威光を恐れることがなくなっても、永劫日陰に生きるのがこの種族の宿命なのだ。

 別段恥ずかしいとは思わず、ギデオンはむしろ誇りに思っている。


 辿り着いた場所は、どうやら廃倉庫のようだった。いかにも良くない空気が漂っていて、実にギデオン好みだ。きっとここでも鮮血が流れたのだろう。

 しかし、いざ軋む戸を押して入ってみると、先客がいた。


「おや、来たのだね」


 乱雑に積まれた木箱の一つに脚を組んで腰掛けた若い女が、気さくに声をかけてきた。

 単なる事務職にしては、鉄錆の臭いにあまりにも馴染みすぎている。


 赤帽妖精は惨殺現場に現れる永遠の模倣犯にして便乗犯だ。ここで過去になにが起きていようと興味はないし、ギデオンは未解決事件の捜査を管轄としているわけではない。


 ではなんの専門なのかというと、ひよこの親権を巡って法廷闘争を繰り広げるような、こういう邪悪な女に仕置きを食らわせるのが、彼が自らに定めた使命の一環と呼べる。


 もうのような悲劇は繰り返さない。あのときの後悔に報いる必要がある。


「……どういうつもりだ、オノリーヌ・ハザーク」


 しかしそれはそれとして、闇雲に突っ込むほどギデオンは熱血でもない。

 慎重に距離を取ったまま発せられた問いに、彼女は平静に微笑んだまま答えた。


「おや、わたしを知っているのかね? 前に会ったことでもあったかな?」

「髪と眼の色が弟と同じだ、ならば一人しかいまい。それより、なぜ貴様がこんなところにいる?」

「別に。わたしだって休憩場所を選ぶ権利くらいある。ここがあまり穏当な場所ではないのは承知だけどね、わたしはわりと気に入っているのであるからして」


 なにか罠が仕掛けられていることだけは間違いないと確信し、ギデオンはオノリーヌから眼を離さず、周辺視野のみで庫内の精査に努める。

 彼女が持つ直接戦闘の実力は、弟より明確に下だと聞いていたし、実際に対峙してみて、ギデオンはその情報が正しいと理解していた。


 だからこそ無策で待ち構えているわけがないのだが、その内訳がわからない。


 そしてもう一つ、ギデオンは重要なことを思い出していた。

 市内にいくつか、彼ら〈銀のベナンダンテ〉の集会所が点在するはずだと、これもヴィクターが言っていたのだ。

 どうもその一つを引き当ててしまったようで、なおさら仕込みがないとは考えられない。


 ただ、黙ってお見合いしていても、なにも進展しないのは確かではある。

 この女に胸を貸すのも一興か。そう考え、ギデオンは一気に間合いを踏み越えた。


 種族能力を発動。ただし普段のように様子見から入るのではなく、一気に決めにかかる。

 右手で斧を抜き放ち、左手に杖を滑らせ、挟み込むように同時に振り抜いた。


「……ゥッ!!」


 余裕の笑みこそ崩れたが、オノリーヌはしっかりと防御に成功している。

 木箱の間に隠して持っていたのだろう、なんの変哲もない鉄パイプを二本携え、おそらくは純粋な反射神経・動体視力・運動精度により、彼女は両方を受け切ったのだ。


 腕力も技術もそれなりのものだが、やはりどちらも本職の戦闘屋であるギデオンとは大きな差があった。

 二合、三合と打ち合うが、オノリーヌは反応するのに手一杯、とにかく武器攻撃への対処に集中しており、その軌道以外への注意が疎かになっていた。


 ギデオンがそのガラ空きになった脇腹へ蹴りをくれると、やっておいて気の毒になるほど深く刺さった。

 彼女は木箱や樽を弾きながら吹き飛び、再起した顔には早くも狼狽が浮かんでいる。


「……ふふ……。やはり噂通りの実力なのだね。わたしではまったく相手にならない」


 そんなことはわかっていたはずだ。

 ……いや、少し違うかもしれない。


 ギデオンも世界最強には程遠いが、並程度の相手なら彼を前にして「ぎゃーやられたー」と叫ぶことすらできない。

 つまりこうして生き残っている時点で、ギデオンに勝てないにしても、彼に対して痛み分けや時間稼ぎを仕掛ける程度の戦闘能力は有しているということになる。


 20年前、まさにそんな女に出会ってしまった苦い経験を思い出し、ギデオンは内心で舌打ちした。もっともその件に関しては、あの女にとっても災難でしかないはずなのだが。


 ともあれ彼はひとまずの見解を口にする。


「囮にでも志願したか? 腐っても妖精族だ、俺はお前たちの生半可な手をすり抜け続ける。それとも、天網恢々疎にして漏らさず、とでも言ってみるか?」

「わたしがわんわん遠吠えをして仲間を呼ぶとでも思っているのだろうけれど、そんな甘いやり口が通用しないのはわかっているのだよ」

「ならなにをしに来た?」

「なんということはない。こういう場所で待っていれば、君に会えるかもと思ってね。なにせ一つだけ耳寄りな情報を伝えたくて」

「……言ってみろ」


 ギデオンの傾聴姿勢が嗅覚情報として伝わったようで、オノリーヌはようやく構えを緩めた。


「今、我々はちょうどお昼休憩に入ったところだ。わたしがここへ出るのとほぼ同時に、リュージュが市庁舎へ向かうところに行き合った。意味はわかるだろうね?」


 無論だ。ベルエフやイリャヒが見聞きしたことがヴィクターに伝わっており、彼が入手した情報も逐次ギデオンや黒幕に伝えられている。

 彼女が交代に入ったということは、つまりデュロン・ハザークが……どうするのだ?


「……奴の寝込みでも襲えと?」

「ああ、そうじゃない。最近のサイクルから言って、今のデュロンは結構体力が余っているはずと心得たまえよ。むしろもしかしたら市庁舎で筋トレでもしているかもしれない程度にはね」


 顔を合わせてすらいない弟の肉体状態をリアルタイムで詳細に把握しているのは、いくら知的金髪美女でも気持ち悪いものは気持ち悪いと、ギデオンは主張したくなったが、詮無いためやめた。


 アホなブラコン女は、そうとは思えないほど妖艶に唇を湿らせる。


「だからね、リュージュに言伝を頼んだ。『市庁舎に籠っていても息も詰まる、たまにはお気に入りの場所で息抜きでもしてはどうかね?』と」

「……その場所とは?」


 彼女が口にした答えを頭に留め置きつつも、新たな疑問をギデオンは俎上に載せた。


「なぜそれを俺に教える?」

「デュロンをさっさと排除しておきたいのではないかなと思って。それも、長引けば確実に増援を呼ばれる市庁舎の近くではなく、確実に一対一で戦える状況下でね。こんな真っ昼間でもなお、という追加条件も必要かね」

「答えになっていないぞ」

「君がそうすることが、うちの弟にとっても得で、かつ望むところだからなのだよ」


 どうも主導権を握られている気はするが、ここでこの女とじゃれているより有意義ではある。

 少し考えた後、ギデオンは踵を返すが、その背中をオノリーヌが呼び止めた。


「あ、そうそう。ヴィクターとつるんでいるのなら、彼に伝言を頼みたい」

「なんだ?」


 オノリーヌは様々な感情が綯い交ぜになった不気味な笑みを浮かべて、その想いの丈を吐き出す。


「彼はデュロンのことを、デュロン自身よりもよく知っていると言っていたけれど。

 当然、弟のことはわたしの方がずーっとよく知っている。そのことを努々ゆめゆめ忘れないようにと、そうよろしく頼むよ」


 ブラコンはブレない。弟を偏愛するその一念に敬意を表して、ギデオンは帽子の鍔を軽く押し上げることで返事に代え、廃倉庫から去っていった。

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