第47話 こんばんは、アイツらとは別の場所から来ました


 戦闘を終えたソネシエは、いまだノチェンコに殴られ続けているデュロンを横目で見て、迷惑そうに言葉をかけた。


「……タリアートが厄介なのは、魔術の性能だけ。余計な心配をしなくてよいと言ったのに」

「なんだよ…見守っててやったのに、その態度はねーだろ……」

「手も足も出ねえくせに、ずいぶんと余裕だなクソガキ!?」


 ノチェンコは振りかぶった巨大な拳が……まるで赤子の手でも払うように、容易に逸らされた。


「……あ?」


 なにが起きたのか理解できないノチェンコは、自分の上腹部に減り込んだ小さな靴底を眼にしても、なお実感が湧かないようだった。

 そのまま不思議そうな顔で彼自身の身長よりも高く吹き飛び、仰向けで地面に叩きつけられる。

 遅れてやって来た痛みとダメージに内臓を掻き回され、吐瀉物を撒き散らしてのたうち回る。


「オオオオゲェエエエエ!? はっ、あっ、えばっ!? ごえあああ!!」


 脂汗を流して這いつくばる彼は、冷酷な笑みを浮かべて睥睨へいげいしてくる小柄な同胞と目が合い……その段階でようやく、自分が置かれている状況に理解が及んだようだった。

 あまりに遅い。現時点における彼我の力の差を正確に把握するという、動物として生き抜くための、最優先にして必須の作業を、後回しにしすぎだ。


「な、ん……だ、その、テメ、ガキ……? さては、ズルでもして……」

「いやいやいや、本当に勘弁してくれよ、ノチェンコの旦那。なにが一番頭に来たって、テメーみてーな雑魚に小突き回されてた、小さい頃の俺自身にだよ。

 ……まあ、昔のアンタは本当に強かったのかもしれねーが、少なくともここ10年は暗黒産業の運営にかまけて、ろくな鍛錬をしてなかったようだな。腹が弛んでるぜ」


 まだ現実を受け入れられないようで、パクパクと動いたノチェンコの口がようやく言葉を取り戻す。


「なんのクスリだ……!? てめえが俺を蹴飛ばすなんざ、ドーピング以外ありえねえだろうが! いいご身分だな、聖職者様よお!」

「なんにもやってねーよ。むしろ最初は様子見のつもりで、精一杯手加減してたんだが……正直、予想外だ。失望したぞ、ノチェンコ」

「ナ・マ・イ・キ・な、クソガキがァァアア!!」


 積年のプライドが暴発したようで、ノチェンコは全力で突撃する。

 しかし彼の拳は、もはやデュロンに掠りもしない。逆にデュロンの蹴り技はすべてが深く刺さる。

 涙と鼻水まみれの形相を見返し、デュロンは再度宣告した。


「ベルエフの旦那から二つ目の伝言だ。『そのクソガキに負けちまうようなら……』」


 ノチェンコの顔面を横薙ぎに踏み潰し、骨伝導で残響を聞きながら、デュロンは伝え切る。


「『……お前マジで悪党辞めた方がいい』だってよ!」


 修道院宿舎の壁に叩きつけられ、気を失ったノチェンコには、もはや届いていなかった。

 対象制圧完了を確認し、額の血を払った人狼少年は、誇らしげに笑んだ。


「いやー、っはは……余裕だったな!」

「相手のいない虚勢は虚しい。複数の意味で早めに撤収すべき」

「遠回しに俺が痛い奴だって言うのやめろ……」


 デュロンは失血と溢血いっけつで痛む頭を振った。やはり新月の夜は再生が遅い。

 いずれにせよ任務は達成したので、あとは例によって首謀者の身柄を持ち帰るだけだ。


「今夜は回収要員が来る手筈だったな。……あっ、噂をすれば影だ」


 近づく気配に振り向く2人だったが……どうも様子が違うことに気づき、即座に警戒を強めた。


 修道院跡の静謐な中庭に降り立ったのは、見覚えのない、中肉中背の若い男だった。

 羊飼いのような胸当てつきズボン(サロペット)を身につけ、ブーツを履いた、いかにも裏方仕事といった風情の、特に険のない出で立ちである。


 しかし唯一、髪と目元を隠す帽子の、その色だけが眼を引いた。


 血のごとき赤。それは頭部を装飾するアイテムに過ぎないはずなのに、なぜだか男の全身どころか佇む背景までもが、その禍々しい鮮やかな彩りで染め上げられたように、デュロンは錯覚した。


 ソネシエも同じようで、双剣を精製し構える。

 黙りこくって殺気だけを放つ彼女に代わり、デュロンが誰何すいかした。


「アンタ何者だ? せめて顔を見せてくれねーか?」


 意外にも、男は要請に応じ、おもてを上げた。

 星明かりに晒された左頬に、火傷のような大きな傷跡がある。それ以外は特筆すべき容貌ではない。暗褐色の髪に暗緑色の眼をしている。


 だが、デュロンがその瞳を視認した瞬間……男の体は、デュロンの至近にまで至っていた。


「なっ!?」


 呼吸や拍動、体重移動、なに一つとして行動の前兆を読み取れなかった。

 痛恨の不覚を取ったが、男は特にその隙を突いて殴ってくるわけでもなく、デュロンとソネシエの間を普通に跳び越えて通り抜け、夜の庭から駆け去っていった。

 なにをしたくて来たのだろう?


「……やられた」


 答えはソネシエが口にした。

 目にも留まらぬ早業とはこのことである。

 確保していたノチェンコとタリアートの胸郭が、それぞれ容赦なく破壊され、両者ともに絶命していたのだ。

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