第46話 紅蓮相克


「おおおおおおっ!!」


 雄叫びを上げたのは、狼男ノチェンコだ。

 鈍色の体毛を膨らませ、大木のような筋骨がさらに隆起する。

 滾る血潮に力が漲り、右上腕に果実大の瘤を形成した。


「ぐ……!」


 肉弾の重爆が、音の速度で放たれる。

 風切音と衝撃を感じたデュロンは、まともに腹で受けた。

 内臓が潰れて弾け、口から出て行こうとしたが留める。


「はっは!」


 ノチェンコは哄笑し、追い打ち。

 吐き気を堪える悪人面を横殴りに叩きのめし、吹っ飛びかけた体を脇腹への蹴りで押し戻す。

 脊柱がひしゃげ、腸が捏ね回される。


「どうだ、ドチビの頃に可愛がってやったのを思い出したかよ!? 教会に飼われてなにを勘違いしてるのか知らねえが、二度と忘れねえように刻んでやらなきゃな……持って生まれた力の差ってやつをよ!」

「……そう、だな……正直、勘弁してほしいぜ……」

「余所見してんじゃねえ!」


 視線の動きを読まれたのだろう、ノチェンコは少年の顔面を思い切り蹴飛ばした。


 デュロンが見ていたのは、ソネシエだ。

 しかし吸血鬼の少女は同僚の苦境に目もくれず、眼前の同族に意識のすべてを傾注している。


 こちらはこちらで、余所見などしていい相手ではないからだ。


「我が固有魔術〈煉巌工房ブリックヤード〉、とくと味わえ!」


 タリアートが跪き、地面に掌で触れる。

 魔力が発動し、魔術が土の状態に作用。

 突如、灼熱してドロドロに崩れた熔岩の池から、真っ赤な巨人の腕が差し伸べられた。


 高温で半液状にした鉱物を、自在に操るという能力のようだ。


「…………」

 頭上に覆い被さる死の愛撫を、ソネシエは横へ回避する。

 直前まで彼女のいた地点に発煙とともに大穴が開き、融解した土壌がさらに熔岩の巨腕と同化する。

 そして灼熱の雫を垂らし、再び襲いかかった。


「むっ」

 正面からの掌握攻撃に対し、今度はソネシエも魔力を練って対抗する。


 彼女の固有魔術は〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉、氷の武器を精製して、その先端から凍結の魔力を伝播させることができるというものだ。


 氷の剣の切っ先が燃える掌を迎え入れるが、ソネシエ自身ごと熔岩の指に包まれてしまう。

 閉じた拳は檻となり、少女の小柄な体を繭のように封じ込めた。


 タリアートは勝利を確信したようだったが、そのしたり顔がすぐにピキリと硬直した。

「!?」

 彼の攻撃魔術が停滞を見せたからだ。


 赤々と燃えていた熔岩の掌は、ソネシエを捕縛して閉じた形で冷え固まり、オレンジに変色している。

 その脆化した岩塊を白い刃が一文字に斬り裂き、次いで縦に断ち割って、砕けた破片の雨の中から、長い黒髪の少女がまったくの無傷で現れた。


 熔岩は氷河を溶かしうるが、逆に冷気によって凝固もする。タリアートとソネシエの魔術は互いが互いを弱点とする、相反する属性同士だと言える。


 ならばその優劣を決定する要素は、地の利を除けば、魔力の量と質以外にない。


 ソネシエが熔岩の波濤に呑み込まれたように見えたのは、すべてを凍らせるのに多少の時間がかかっただけだ。

 そして彼女の〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉は、鉄のように硬い氷を精製する。ならば逆に、対象を硝子ガラスのように脆く凍らせることも可能なのだ。


 もたらしてしまったその成果に対し、少女は嘆息した。


「とても残念。練度が足りない」

「ぬかすな、小娘!」


 タリアートは地に触れ、熔岩製の擬似生物を次々生成、マグマの表面から顔を出した無数の燃え盛る蛇がしなだれかかる。

 だがソネシエの剣はもたげた鎌首を片っ端から斬り飛ばし、無害な火成岩の塊たらしめる。


「なにっ……!?」


 吸血鬼の肉体は鍛えなければ「絶滅種・人間」と同程度でしかない。イキリ倒して薄暗がりに突っ立ち、眼の色を変えておけばなんとなく勝てるわけではないのだ。


 眼の覚めるような天与の武才を持ち、魔術剣技を修めたソネシエとの近接戦闘力の差は歴然で、タリアートはすぐさま距離を詰められ、両脚をまとめて腿の高さで切断された。傷口は凍結で塞がれる。


「ぐおふっ!」


 スカートの丈でも詰めるような気安さに怖気が走るが、タリアートはまだ諦めない。

 吸血鬼が持つ膨大な魔力による不随意の再生能力は、その肉体の脆弱さを補うに余りある。

 四肢の切断程度なら、正味2秒で生え変わる。


 もっともそれは、普段の月夜であるならばだ。


「う……な、治らん……!!」


 残念、タリアートは巡り合わせが悪かった。今夜の光源は星明かりのみ、雲で隠れているならまだしも、よりによってそもそも見えない新月である。

 吸血鬼や人狼の力がもっとも弱くなる夜であり、同族同士で戦うなら、先に重傷を負った方がほぼ必敗とすら言えるのだ。


 加えて、相手も悪かった。ソネシエが切り口を凍らせたのは拘束のための優しい止血措置などではなく、再生の魔力を司る血液の流動を止めるという、遠回しな死の宣告に過ぎなかった。


「くそ……血さえ飲めれば、こんな傷……!」


 求めよ、さらば与えられん。両脚の断面を抱え込んでいたタリアートは……ふと、自分の肩を濡らす泉水に気づいた。

 吸血鬼にとって食料であり回復薬である血液が、紅蓮の瀑布となって注がれている。


「や、やった! 神よ、まだ我を見捨ててはおられなかったのですね! ……ん? ところでこの血はいったい誰の……」


 ようやく恍惚状態から我に返ったタリアートは、自分が汲み取り口にしている赤き恵みが、彼自身の頸動脈から漏れていることに気づき、声もなく詠嘆した。


 ソネシエは精製した氷の剣から凍結の魔力を伝播させる、つまりそうしないこともできる。

 無慈悲な刃で首筋を撫でられたタリアートは喉笛を掻き毟り、血泡を吹いて昏倒した。

 再生限界を迎えた証拠に、両脚の断面は凍りついたままだ。しかし腐っても夜の王の末裔である、放っておいてもしばらくは死なないだろう。


「確保完了」


 あまりの早業ゆえ返り血もつかなかった氷刃を、ソネシエは即座に破棄する。

 凛冽だった凶器は真っ白なダイヤモンドダストと化して舞い散り、新月の夜を彩る光の一条となる。


 さて、あとは人狼どもの野蛮なド突き合いを見届ければ、この場は状況終了だ。

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