第43話 囚われの身の自由を


 とある夕暮れ。〈教会都市〉ミレインから伸びる、長い田舎道にて。

 デュロン・ハザークは胸に残った、一文字の傷痕に悩まされていた。


「あー、クソいってーわ……ジリ貧状態で変な挑発するんじゃなかったー……」

「うるさいね、いつまで騒いでるね? もう2週間も前のことだろーね」

「疼くんだよ、揺れるとチクチクすんだよ。アンタとは相憐れむ仲のはずだぜ」

「なら先輩からアドバイスね。じきに慣れる、以上ね」


 大打撃を受けた〈永久とこしえ産褥さんじょく〉はここしばらく大人しくなり、ジャゴビラ公国軍やその他の諸勢力も、結果的に大きな動きを見せなかった。なんとか大事に至ることは防いだ形である。


 そして今なんの因果か、デュロンとサイラスはほろ馬車の荷台に並んで納まっていた。

 それだけではなく、見知った大入道の姿もある。


「だァーっはっはっはァ、うるせェガキどもだァ! 俺やウォルコの仕置きがよほど効いたようだなァ、えェー? 敬え、崇めろ、奉れ! むしろ俺こそが神だァ!」

「おいおい、立場考えろ。これからはその手の発言は御法度だぜ、ギャディーヤの旦那」


 大鬼オーガの巨重はむしろ荷馬車に入ったのが奇跡なくらいで、彼の傍らに寄り添う小柄な女性など、質量としては端数扱いでいいくらいの身軽さだ。


「まあまあ落ち着いて。硬いのはこの前のあなたの股間だけで十分よ、オオカミさん♡」

「アンタもアンタでなに言ってんだ!? あれは状況的に不可抗力……じゃなくて、猥談を控えろ! ピリピリした空気を感じ取ってくれ!」


 どこから持ち込んだのか、レミレは華やかな扇を広げて煽ってくる。

 確保したはいいが、到底デュロンに扱える連中ではないというのを、改めてひしひしと感じる。


 この3人は邪教集団の主要構成員としてミレイン市内に侵入し、平和と安寧を大きく乱したかどで、秘密裏に処刑されたことになっている。

 だが本当にそういう処分が執られた他の連中と違い、彼らの犯した悪業は死罪を遥かに超え、また単純に始末してしまうにはあまりに利用価値が高すぎた。


 特に、生け捕りで連れ帰ったギャディーヤとレミレの身柄は、デュロンのを穴埋めする十分な手土産となった。

 先に捕縛していたサイラスの存在も大きな後押しとなり、本当はすべてわかって泳がされているのかもしれないが、少なくとも表面上は、デュロンへの罰は2週間の謹慎で済んだ。


 それが明けた今日、ベナンダンテとしての契約を交わさせるべく、〈聖都〉ゾーラへレミレ、ギャディーヤ、サイラスを護送している最中である。


 デュロンの他に2人の黒服が乗車しているが、彼らは教皇庁特務員であり、石のように沈黙を保ち、車内の前後に闇のごとく佇んでいる。

 囚人どもの危言のたびに剣呑な空気を放つ彼らを、あまり怒らせたくはない。


 デュロンは話題を変えるべく、無感情なアルカイックスマイルを保つレミレに話しかけた。


「アンタ一体、いつの段階でウォルコにコナかけたんだ? つーかひょっとして、ヒメキアが帰ってこないのをいいことに、ウォルコの家……下手したらヒメキアのベッドで寝てただろ?」

「さーて、いつかしら? ……というか、なぜ気づいたの? お姉さん、ミスはしてないはず」

「アンタの残り香を嗅いだ白猫のハーニーちゃんが、昼になっても起きてないもんで、ヒメキアが不思議がってたぞ。ただ、匂い自体はウォルコが、身辺整理と悪魔関係資料の処分のついでで、念入りに消してたみてーだけどな。姉貴の抜き打ち家宅捜索も、完全にウォルコに読まれてたわけだ」

「なるほどね。……ふふ、ひよこちゃんのベッド、とてもいい匂いがしたわよ。もっともわたしが出した変な粉で、もっといい匂いになったけど♫」


 いかがわしい発言を聞き取り、闇の1人がなにごとかをメモしている。怖い。純粋に怖い。

 なんとかシリアスな雰囲気にしようと、デュロンは必死で舵を切る。


「計画の詳細について詰める作業は楽しかったかよ? それともアンタはただ乗っただけか?」

「まあ確かに、わたしはいつも上に乗ってばかりだけど……不躾じゃない、坊や?」

「おいおい、なかなか大胆な質問をするもんだね。お前さてはスケベだね?」

「だっはっはァ! ガキはそうでなきゃな!」

「ちげーよ!? そうじゃなくて、アンタが利害の一致を見て、ウォルコの思惑に……」

「抱き込まれたのかって? 卑猥な表現ね!?」

「言ってねーんですけど!? 文脈に沿って質問の内容に答えろよ!?」

「でも残念、男女が同じ屋内で一夜を共にしたからといって、必ず変なことをするわけではないのよ。勉強になったかしら? 大人ってそうなの☆」

「おい聞けマジで」

「それに物腰の柔らかさより、わたしは筋肉を優先するわ。ウォルコやあなた、サイラスだって悪くはないけど、わたしのギャディには敵わないわね〜。ね、ダーリン?」

「おォよ、ハニィー? 俺たちの蜜月はまだまだ終わらないぜェー?」


 根本的に話しかける相手を間違えたことに、デュロンは今さら気づいた。

 闇黒服たちが手信号でなにごとかをやり取りしている。怖すぎる。もういいから早く着いてほしい。


 デュロンの願いが通じるのに、そう長くはかからなかった。


 故郷に程近い〈聖都〉の荘厳な外壁に、デュロンは様々な感情を喚起されるが、幻影のように儚いそれらを、下車する乗客たちが無遠慮に切り裂いていく。そして、それでいい。


「着いちまったかァー。国一つ離れりゃ、俺様の名声も及ばねェってのも複雑だがなァ。ところでサイラスてめェー、さっきからレミレをエロい目で見てんじゃァーねェ!」

「うるさいね。当然エロい目で見ているが、それがどうかしたね?」

「でしょうね、感じていたわ。とても感じてたわ」

「なんで2回言った!? もういいから、余計なこと喋らずに早く行けよアンタら! 復路で俺がめちゃくちゃ気まずくなるだろうが!」


 デュロンの苦情を聞き流し、連行される虜囚たちの顔はしかし、妙に晴れやかだった。


「じゃァなァー金髪小僧、機会があればまた会おうぜェー。それまで死ぬなよォー」

「お互い、刑期を全うできることを祈りましょう。……たぶん無理だけど、それでもよ」


 この2人も別れ際くらいはまともな口を利けるらしい。サイラスはというと前髪と筒襟で表情を隠し、無言のままで2週間前と同じように、デュロンの胸を小突いてきた。

 なにを言いたいかはわかるので、デュロンは多くを語らず、軽口で応えた。


「テメーら自分の心配だけしとけ。油断ぶっこいてると、あっという間に地獄行きだぜ」


 かわいくねェガキだなァー! という濁声を無視して、荷馬車は回頭する。売り払われた仔牛のように、デュロンと闇たちを元来た方角へ連れ去っていった。



 ゾーラから蜻蛉返りし、デュロンがミレインへ戻ったのは翌日の昼だった。

 ひとまず上司に報告ということで、聖ドナティアロ教会、ベルエフのオフィスに直行する。


「謹慎明けで護送ご苦労さん。しかしお前も、これから大変だね」

「ん? ああ、内部の風当たりは強くなるかもしれねーな。後日改めて監査とか追及とか……」

「そっちじゃねえよ。お前はいわばウォルコの代理として、ヒメキアの暫定的な『守護者』に就任したんだ。言ってみればこの世界を動かすロジックそのものみてえな存在のだぞ?

 彼女の噂を聞きつけて、あるいは良からぬことを企み、あるいは偏愛や妄想を抱く、奇傑怪傑変態狂漢の大展覧会が開催される運びになっちまうぞ、ここミレインで。巡礼地として踏み荒らされねえよう、せいぜい鍛え直せよ」

「……ウォルコやサイラス、レミレやギャディーヤみてーなのがワラワラ現れるわけか。下手な魔女より性質たちわりーな、ヒメキアは。異存はねーし、喜んで迎え撃つけどよ」

「聖女と悪女は表裏一体なんて言うぜ。尻に敷かれねえように気をつけな」

「安心してくれよ、旦那。俺はむしろ、女の尻に敷かれてる方が精神的に安定するんだ」

「そうだった、筋金入りのマゾの者だったなお前」

「いやちげーよ? 冗談だぞ?」

「でも心理構造は完全に猟犬のそれなんだよな……この仕事向きすぎて逆に心配になるぜ」


 ベルエフにとっても他者事ひとごとではないが、現状彼にもどうしようもない。

「気長にやろうや。幸か不幸か、俺らは消耗品ってわけじゃねえ。長期運用を見込まれ寿命まで使い潰される、替えの利かねえ一点ものだ。自分の利用価値を利用しなきゃな」

「それも限度があるけどな……じゃ、これで」

「おう。今日は早いとこ帰って寝な」


 退室するデュロンを待っていたかのように、扉の外にはオノリーヌ、リュージュ、ソネシエ、イリャヒが、なぜか各々かっこいいと思っているらしいポーズで、左右の壁に背を預けて佇んでいた。それにより廊下の一角に悪魔的な空間が形成されている。


「……どうしたお前ら、ついに頭をやっちまったのか?」

「いいや、別に。我々はこれから君とは別の任務があるからして、弟よ、君の後で呼ばれているだけと理解したまえ」

「じゃ、なんなんだその感じ」

「暇だったし、なんとなく?」


 どうもこのやたら格好つけたがるというわけのわからない習性はウォルコだけのものではなかったようで、魔族社会全体が心配になってくる。

 ……というのも冗談で、実際はデュロンが戻ってくるのを確かめに待っていてくれたのだろう。


 言葉はいらない。手振りの合図一つなく立ち去るデュロンを、4人とも無言で見送ってくれる。


 今回の〈夜〉も全員が生き延びた。しかし、次も上手くいくとは限らない。

 それでも、先の見えない戦いを続けていくしかなかった。だが問題はない。


 狼は群れでこそ強いのだ。彼らがいる限り、デュロンは敗ける気がしなかった。



 なんだかんだ言って、寮に帰ると安心するものだ。祝祭が終わって通常勤務へと戻り、同僚たちは今日のデュロンを含む数人の待機要員以外、全員が外に出ている。


 談話室のソファでうとうとしている、見知った小柄な少女を除けば。


 窓から降り注ぐ黄金の光の中で微睡まどろむヒメキアは、警戒心皆無で、デュロンが近づいても全然起きない。

 彼女に代わって、足元に侍る12匹の猫たちが騒ぎ出す。

 ウォルコによる仕込みが残っていないことを調べ尽くされ、3日前に解放されたばかりの、小さな騎士たちだ。


 ようやく眠りから覚め、ぱちくり瞬きした翡翠色の瞳が、デュロンの姿を認めて散大した。


「あっ、デュロンだ! おかえりなさい!」

「ヒメキア、もしかして俺を待っててくれたのか?」

「あたし、待ってたよ! でも途中で寝ちゃったみたい」


 悔しそうに言って手近な猫をいじくり回す彼女を見て、デュロンは改めて安堵を喚起された。


 ウォルコとの戦闘過程を報告するにあたり、ヒメキアが悪魔に血を提供し、さらに憑依の依代としてデュロンを指名したことは、どうあっても誤魔化すことができないため、デュロンが申告した。


 デュロンは徹底的な診察を受ける程度で済んだが、ヒメキアは非常時ということが斟酌されつつも、悪魔に与した罪として、ベナンダンテの1人となることを申し渡された。


 といっても具体的な処遇はこれまでと大差ないため、名目がついただけの大仰なお為ごかしとも言える。求められるのは従順と勤勉だけだ。


 結局はデュロンたちと同じだ。そういう星の下に生まれついてしまったら、そこで楽しく生きていくしかない。


 しかし、それでもふと思い出してしまうようで、ヒメキアの眼に、またしても涙が溜まった。

「パパ、元気かな? あたしのこと、もう忘れちゃってたりしないかな?」

「そんなわけねーだろ。今頃は懲りずに、また新しい計画でも立ててるさ」


 デュロンがそう言うと、ヒメキアはすぐに元気になってくれた。


「そっか……そうだよね! パパ、言ってたもんね! ねこみたいに、戻ってくるって!」

「そうだな。約束は守る男だぜ、あの人は」

「あたし信じるよ! それに、デュロンもゾーラから戻ってきてくれたし! ねこみたいに! これからは、デュロンもあたしのねこだからね!」

「猫判定が曖昧すぎるだろ、ほぼお前の気分じゃねーか」


 この笑みを守るために、主義主張の違いはあれど、皆が彼女を「救う」べく奔走していたのだ。そう思うと、ある種感慨深いものがある。


 例によって話題が尽き、談話室が名ばかりの無言空間と化す。

 だがヒメキアはときどき猫の相手をしながら寛ぎ、デュロンも沈黙が苦にならない。


 こんな時間が永遠に続けばいいのに、という居心地の良さは確かにあるが、それと相反するもう一つの想いが、デュロンの中で浮上した。なので潰れる前に、掬い、吐き出す。


「……ヒメキア、傭兵って知ってるか?」

「ようへい? うん、前にパパが教えてくれたよ。お金を払えば誰の味方でもしてくれる、ねこみたいな戦士のことだよね」

「まったく、お前はなんでも猫にするよな。まあ、お前に褒めてもらえるなら、うちの両親だって悪い気はしねーだろうけど」

「デュロンのパパとママ、ようへいだったの?」

「ああ。だからってわけじゃねーんだが……その、俺には、夢があるんだ」


 ベナンダンテの分際で、おこがましい話だ。ここから先を口にするには勇気がいる。

 なぜなら、まったく想像できない未来だから。

 しかしヒメキアの真剣な眼差しをまっすぐに受け止めていると、デュロンは自然と言葉が出た。


「俺たちの刑期があとどれだけ残ってるかはわからねー。だけどいつかベナンダンテの呪縛から解放されたら……俺は自分の傭兵団を作りたい。

 血生臭い罪人たちの〈しろがねのベナンダンテ〉じゃなく、ベナンダンテの軍勢を……つまり、御伽噺の英雄を再現するんだ。

 絵空事だってのはわかってる。何十年後に実現できりゃ良い方で、ヨボヨボのジジイになっても繋がれたままで、そのまま死んでいくのかもしれねー。

 でもよ……夢を見るくらいは、自由なんだよ。せめてそう思いたいんだ……」


「……そっか……」


 卑屈な告白を受けて、ヒメキアが押し黙る。失望するのが相場だろう。


「だったら……あのね、デュロン」


 しかし彼女が紡ぐのは、希望の言葉だった。


「だったら、あたしがデュロンを死なせないよ!」

「ヒメキア……?」


 猫を膝から下ろし、立ち上がった彼女の腰に揺れるのは、性懲りもなく紐をつけてぶら下げられた、薄汚い猫のぬいぐるみだ。

 暗渠の汚泥に落ち、広場の血煙に塗れても、なお手放されることのないそれは、持ち主のこだわりの強さ、こうと決めたら梃子でも動かない頑迷さを表している。

 それは幼さでもあるのだが、それが彼女の、そして彼女の養父ちちの、長所かつ短所なのだろう。


「あたし弱いから、戦いに割り込んで治すことは、あんまりできないけど……でも戦いが終わったら、勝っても負けても、生きていてさえくれれば、デュロンもみんなも、あたしがわーって治しちゃうよ! だから、大丈夫だよ!

 何十年かかっても、ヨボヨボになっても……そんなの、待てない理由にもならない! あたしも、みんなと外に行きたい! パパを探して、見つけて、これがあたしの新しい友達だよ、家族だよって紹介したい!」


「……ヒメキア……」


「な、なに、デュロン?」


「ありがとう……!」


 気づけばデュロンの視界は曇り、頰を雫が流れている。

 まったく、バカバカしいにもほどがある。彼女の前で弱みを曝け出すことを、なぜ躊躇ったりしたのだろう?

 魂の言葉を搾り出して泣き出す相手を、まさか彼女が貶したり、詰ったりするとでも思っていたのか? そんな懸念など、なんの意味もないというのに。


 嫌味に説教、侮辱に嘲弄、彼女にできないことは多く、そしてそれはあまりに尊い。

 不死の彼女は、優しさだけが不治の病だ。

 デュロンの溢れる感情を指先で拭い、ついに膝を折ってうずくまる彼を、そっと抱きすくめてくれる。


「デュロン、大丈夫だよ。あたしがいるからね。あ、あと、ねこたちもいるからね」

「ハハ……まったく、こんなに頼もしいひよこなんて、他にいねーよ……」

「そうだよ。……違うよ!? あたしひよこじゃないよ、ねこを司る神だよ!!」

「なんで勝手にランクアップしてんだよ……どこまで上り詰めるつもりなんだよ」


 訂正、やはりこんな時間が永遠に続けばいい。


 いつか終わりは訪れる。そんなことはわかっている。


 だが仮初かりそめだからこそ、今だけは、囚われの身の自由を謳歌おうかさせてほしい。


 いずれ籠など内から破る。

 せめて、それまでの間だけは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る