第5話 竜と猫、そしてひよこ


 4月30日。

 1358年(200年前)に〈恩赦の宣告〉が起き、すべての魔族が聖性の呪縛から解放された日である。

 別名を〈待ち侘びた審判の時〉〈ヴァルプルギスの夜明け〉などといい、多くの学校や職場が休みになる祝日に定められている。


 この日とその前日に行われる祝祭を〈恩赦祭〉という。本日・4月28日は授業も早めに終わり、子供たちが放たれた現在時刻は15時過ぎ。

 安穏とした陽だまりの中、デュロン、ソネシエ、ウォルコの3人はひとまず教室を出る。


「そうそう」とウォルコ。「もう1人、リュージュを誘いたいんだけど、どこにいるかわかるかな? 勤務を空けることに関しては、すでに勝手に許可取ってあるんだけど」

「手回し早えーな……でも実際、あいつの性格なら嫌とは言わねーだろ。居場所なら大体わかる、案内するよ」


 神学校の敷地を後に、デュロンたちは迷わず一方向へ歩いた。

 標準的な城塞都市としての外壁に囲まれたミレイン市の街路は、いくつかの広場を中心とした不揃いな賽の目状に入り組んでいて、鳥瞰ちょうかんでは巨大な鳥籠のように見えるらしい。


〈教会都市〉の統一感のある景観は伊達ではなく、まるで街全体が1つの教会であるかのように、円滑に連絡が行き届くというのも呼び名の由来だ。

 つまりどこにいてもだいたい誰かに見つかって叱られるわけだが、それで懲りるような奴は最初からサボらない。


 修道院の花壇の側でしどけなく寝そべるこの女に、そんなことを言い聞かせても馬耳東風なのだろうけれど。ひとまずデュロンは話しかけた。


「よー、リュージュ。調子はどうだ? なんで大地と同化しようとしてんだ」


 麗らかな極彩色に黒衣を添える春の花嫁は面倒くさそうに片眼だけを開け、一拍置いて応じた。


「いやー、働きたくないなーと思ってな……いっそキノコにでもなれればと」


 ざっくばらんすぎた。というか、なぜそれを無駄にキリッとした顔で宣言するのかがわからない。


 リュージュ・ゼボヴィッチは短めに整えた灰紫色の髪に琥珀色の眼の、竜の性質を持つ竜人族の女性である。

 東の高地地帯で栄えるラグロウル族という戦闘民族の出身で、故郷では日々鍛錬に明け暮れた。


 ……というのが演劇の配役設定に思える体たらくを晒している。

 だらしなく横たわる彼女を面白がり、蝶々くらいの大きさの小妖精フェアリーたちが、花壇から千切った花びらを振りかけて遊んでいた。


「うーん……だるーいのであーる……」

 花葬状態のリュージュがぼやきながら寝返りを打つと、ますます喜ぶ妖精たち。完全におもちゃだと思われている。


 修行時代に頑張りすぎて燃え尽きてしまったのか、あるいはどんな試練を受けても曲がらなかった自堕落な性根をむしろ称えるべきだろうか。

 出奔して山を下りジュナス教会の門を叩き、祓魔官エクソシストになった理由は日曜が休みだからだそうだ。齢は19歳。


「前から思ってたんだが、お前どうやって任官時の審問通ったんだよ……実技試験の結果が良かったのは聞いたよ。それでも目を瞑りきれねーだろって話で」


 かく言うデュロンも横で聞いているソネシエも似たようなものなので、あまりとやかくは言えないのだが。


「ふむ。しかしそれを言うならウォルコであろう。中東の某国から身一つで渡り、腕一つで周囲を認めさせた傑物だからな」

「それはどうも。お誉めに預かり恐悦至極だね」


 おどけて騎士風のお辞儀で応えるウォルコに、リュージュは億劫そうな視線を向ける。傑物というのは単なる客観的評価であり、特に敬愛しているわけではなさそうだ。


「恐悦? なんだそれは、食ったら美味いのであろうか? 恐悦するなら暇をくれ。

 明日と明後日が休日なのは一般市民であって、我々は普通に出勤なのだ。はーやれやれ、やってられんな!」


 いつにも増して脱力ぶりに磨きがかかっていると思ったら、幻と消えた休日を悼んでやさぐれているらしい。そこへウォルコが魔法の言葉をかける。


「そう、そしてその悲しい平日を、俺の金で遊ぶ日にしようという申し出なんだけど」


 リュージュの眼光に一瞬で生気が戻り、ウォルコの足下に跪いてこうべを垂れた。休むことに対してあまりに全力すぎる。

 もはや言葉すら必要とせず話がまとまったため、ウォルコは3人を先導し始めた。


「よし、じゃあ今からお礼と紹介を兼ねて、俺の家でティータイムと洒落込もう。うちの子も楽しみに待ってると思うから」



 ミレイン在住の祓魔官エクソシストはその多くが男女の別のない寮暮らしだが、結婚して子供を設けることも、ウォルコのように適当な家を借りて住むことも許されている。


 そういえば親しいわりに、3人ともウォルコの家を訪ねたことはなかった。この男のプライベートに関わるとろくなことがないというのも理由ではある。


 到着してみると普通の一軒家で、いつもそれと気づかず通る一角にあり、ここがそうなのかという感じだった。


 ウォルコが玄関を開けるが早いか、パタパタと軽快な足音が飛び出してきた。


「パパ、お帰りなさい!」


 現れたのは、ソネシエと同じくらい小柄な女の子だった。身長は150センチくらい、童顔で、16歳という実年齢より幼い印象を受ける。


 魔族にしても珍しい赤紫色の髪を肩のあたりまで伸ばし、大きな眼は翡翠ひすい色。

 ブラウスにカーディガン、ロングスカートというゆったりした服装で、手足を見れば華奢なのがわかるが、ふわふわ浮かぶ海月くらげを思わせるゆったりしたシルエットをしている。


 デュロンらの姿を認めると、笑顔で自己紹介してくれた。

「はじめまして、ヒメキアといいます! パパの娘になりました!」


 とにかくこの子が話題の養女なのは間違いなさそうだ。改めて互いに互いを紹介したウォルコは、居間の奥にある暖炉に向かい、火を起こす背中越しに言ってきた。


「ひとまずお茶を淹れるから、適当にお喋りしててくれ」


 そう言われても、勝手も知らない他者ひとの家だ。

 居間はちょうどよく手狭で暖かく、居心地はいいが、初対面同士というのは気まずい。


 向かい合うソファの一方に、デュロン、リュージュ、ソネシエは並んで座った。

 対面に腰を下ろしたヒメキアもにこにこしてはいるが、彼女にしても会話の糸口が掴めず焦っているのがわかる。どうしたものか。


 話題を探して部屋を見渡すデュロンは、問題なくそれを発見できた。

 入ってきたときから気づいてはいたのだが、この家には何匹か猫がいる。ミニテーブルの下や飾り棚の上、絨毯と毛並みがそっくりなものなど、そこかしこでもそもそ動く気配がする。

 結構広い家とはいえ、全部で12匹いた。


 ウォルコが旅先で見つけて連れ帰ってはヒメキアを驚かせているのか、この国では見かけない種類の猫ばかりだ。ここもまた親バカである。


「…………」

 そのうちのオレンジ色の1匹がデュロンらを警戒しつつも、ヒメキアの膝に跳び乗った。ヒメキアはその背を優しく撫でて微笑んでいる。

 デュロンは自然と声をかけた。


「ヒメキアは、猫が好きなんだな」

「あたし、ねこが好きだよ! ねこはかわいいから! 天使だから!」


 生まれたてのひよこみたいなオーラを出しているくせに、小型肉食獣を愛玩しているようだ。


「ああそうとも、猫は美しい生き物である。眠る姿など特に神の配剤を感じてならない」

「そうだよね! あのね、ねこはね!」


 リュージュの重々しい相槌を受けて、ヒメキアは猫について熱弁し始めた。

 それを横目に、デュロンはソネシエを盗み見る。このちび吸血鬼は基本的に人見知りなので、今はもの言わぬお人形さんモードに完全移行していた。緊張しすぎて、本当にまったく動きもしない。

 デュロンのときも初対面時はこんな感じだったので、気にしないでおく。


「やあやあ、お待たせ」

 やがてウォルコがティーセットを手に現れ、焼き菓子とともにテーブルに置いた。

 そして朗らかな笑みから、仕事の顔によく似た、精悍な面持ちに切り替える。


 ああやはり、とデュロンは予感した。親バカだけではなく、護衛には明確な理由があるのだ。

 果たしてウォルコはヒメキアの隣に腰を下ろし、真剣な表情で切り出す。

「さて……なにから話せばいいかな?」

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