第6話 値千金の血


 ウォルコの思わせぶりな問いに、デュロンは即答した。

「そりゃアンタ、ヒメキアについて詳しく教えてもらわなきゃ困る」


 養父の意味ありげな視線を受け、養女は困り顔で申告する。

「あのね、あたしは謎の種族なんだよ」


「……そういうことにしておけってことか」

 デュロンがウォルコに顔を戻すと、彼はミニテーブルの上で両手を組んで首肯した。


「うん。なんというか、簡単に言うと、存在自体が機密事項のような扱いになってしまってるんだな、この子は。

 もちろん今回の依頼については上の許可も取ってあるから、お前たちが偶然知ってしまうくらいなら問題化されないんだけど。

 大々的にバレちゃうと、絶対が涎垂らして掻っ攫いに来るからね」


 ソネシエが第2の弱点(たぶん全部で20個くらいある)である猫舌を発揮し、紅茶に焼かれた舌を冷ましながら尋ねた。


「……具体的な仮想敵があるということなの」

「ずばり〈永久の産褥〉だよ」


 デュロンらが昨夜一部に手を入れた、国内最大の邪教集団の名だ。

 兼業講師の職業病なのか、ウォルコは授業のように後輩を指名する。


「リュージュ、奴らの基本情報をざっくり頼む」

「うむ。要するに奴らは人間の殲滅を、魔族全体の原罪と捉えている。そこまでは面倒臭いがまあよいものとするぞ。

 その原罪をそそぐために悪魔を召喚し、夜の住民である魔族としての正しい洗礼を受けようという。これもまあ好きにすればいい。

 だがそのために市民から生贄を集めるという実害を出されては黙っていられん。問題は……」


「血液。悪魔召喚に使う魔力を含む触媒を調達するため、ヒメキアの血液を目的に、連中が彼女を狙う恐れがあるということ」

 血の専門家だからか、吸血鬼であるソネシエが指摘した。


 人魚や吸血鬼など、なにもしなくても生来の莫大な魔力が血液に溶け込んで循環し、肉体の再生能力までも勝手に担ってしまう種族がいくつかある。

 魔力含有量、つまり触媒としての価値も高い。

 ヒメキアもそういった性質を持っているということだ。


「と、いうわけなんだけど、あくまで可能性の段階だからな。正式な部隊なんか動かしたら、無意味に目立って墓穴を掘りかねない」


 弱気な笑みを浮かべるウォルコに、デュロンは3人を代表して答えた。


「事情はわかった。そこまで明かしたのも、俺らを信用してくれてるからだろ」

「そう言ってくれると嬉しいよ。じゃあ、最後に2つだけ注意事項を提示するから、これらを聞いて請けるかどうかを決めてくれ。

 一つ目、ヒメキアをけっしてミレイン市内から出さないこと。

 二つ目、ヒメキアをできるだけたくさんの猫に会わせること。

 どうだろう?」


 デュロンはリュージュとソネシエに視線で了解を取り、ヒメキアの無邪気な笑みを一瞥して、期待顔のウォルコに首肯してみせる。

 契約成立を祝福するように、ヒメキアの膝の上で猫が鳴いた。



 ミレインの春は、夜が早い。ティータイムを終えると午後4時で、すでに陽が傾きかけていた。

 ウォルコがカップを片しながら付け加える。


「それで、もう1つだけ頼みがあるんだけど」

 なんのことはない。やり残した仕事があるので、今からヒメキアを預かり、食事なども共にしてやってほしいということだった。


「じゃあとりあえず、寮に戻るか。旦那、それでいいよな?」

「もちろんさ、よろしくな。ヒメキア、お行儀よくするんだぞ」

「はーい。パパ、行ってきます! おやすみなさい!」

「おやすみヒメキア。あったかくして寝なさい」


 養父と養女は、にこにこ手を振り合って別れた。血の繋がりはないが、物腰や表情はそっくりだ。

 このあたりは一緒に暮らしていると似てくるのだろうか。


 さてそれでは、とデュロンが目的地に足を向けると、ヒメキアが嬉しそうに後をついてくる。本当に生まれたてのひよこのようだ。

 デュロンはふと思いつき、そのままを口にした。


「そうだヒメキア、俺の姉貴に会ってみてくれよ。たぶんお前のこと気に入るから」

「デュロン、お姉ちゃんいるの? どんな人なの?」

「彼の姉は」リュージュが勝手に答えた。「美人で胸が大きい。あとは、わかるな?」

「わかるな? じゃねーんだよ、なにを誤解させようとしてんだよ」

「デュロンは実の姉に対して……いや、ここで言うのはやめておこう」

「おいそういうのマジでやめろ」


 きつい冗談を間に受けたようで、ヒメキアが率直に尋ねた。

「デュロンは、お姉ちゃんのこと大好きなの?」

「そういうわけじゃ、かと言って…まあその、そうだな、ヒメキアがウォルコを好きな程度には、俺も姉貴を好きってことだ。いやほんとそれだわ」

「なにを焦っているの……」


 ソネシエのジトッとした視線を避けて、デュロンがヒメキアに眼を戻すと、答えを気に入ったようで納得顔だった。

 それを見てデュロンの方も頰が緩む。


「ヒメキアは、旦那……ウォルコのことを信頼してるんだな」

「うん。あたし、パパの言うことならなんでも聞くよ」

「じゃあもしあの人が、猫を飼うのやめなさいって言ったら?」

「そ……それはそれとして、聞こえないふりをして駄々をこねるよ!」


 なんでもというのは嘘だったらしい。ヒメキアはふと眼を伏せ、ぽつりと言った。


「いつもはパパ、あたしにあんまり外に出ちゃダメって言うよ。でも明日と明後日は目一杯遊んできていいって。嬉しいけど、なんでなのかな?」


 デュロンにはその理由がなんとなくわかったが、口にするのは面映さがあった。リュージュも同様だが、一番以外な奴が答えを表現する。


「……つまり、こういうこと」


 ソネシエが行動を言葉に代え、おずおずとヒメキアの手を握った。いきなりでびっくりしたのか、ヒメキアの肩がビクリと跳ねる。


「ソネシエちゃん、手が冷たいよ! 氷みたい!」

「ご、ごめんなさい……慣れないことをするものではない」

「こんなに冷たくて、寒くないの? よかったら、あたしがあっためるよ!」

「……ヒメキア、とても嬉しい……」

「ソネシエちゃん、すき……」


 どうやらよほど波長が合ったようで、1発で打ち解けてしまった。人見知りのソネシエが初対面の相手に、ここまで急速に懐くとは珍しい。


 つまりウォルコはデュロンたちに、ヒメキアの友達になってほしいのだ。祝祭中の警護というのも、方便の部分もいくらかあるのかもしれない。


 だいたいの事情は察したので、デュロンはもう一歩踏み込んでみることにした。


「なあヒメキア、旦那に内緒で、お前の能力だけでも教えてくんねーかな?」

「ごめんね。それは、使うまで言えないの。パパはこの力は使わずに済む方が幸せだなって言ってた」

「こえーよ、どんだけヤベーんだよ。……ん? 今、使うまでって言ったか?」

「あたしが使ってもいいと思ったら、使ってもいいって言われたよ」

「こえーよ! 大丈夫なのかそれ!?」


 魔族はあまり見た目で能力を測れないので、このあどけない顔からどんなゲテモノが飛び出してくるのかわからない。

 最後まで拝みたくないものだとデュロンが祈っていると、眼前に小さな影が現れた。


「あっ、ねこ!」

 細い声で鳴く小柄な黒猫に、ヒメキアが素早く駆け寄り、さしたる抵抗も受けずに抱き上げた。


「ヒメキアは猫が好きだが、猫もヒメキアのことが好きみたいだな」

 デュロンが半ば呆れつつ声をかけると、ヒメキアはやたらキリッとした顔で振り返る。


「あたし、ねこにスーパーもてもてだよ!」

「猫に対する自信スゲーな……浮気は良くないぞ。家の猫たちが嫉妬するぞ」


 そんなことを言っているうちに、ヒメキアの腕の中で黒猫のまぶたが徐々に落ち、やがて金色の大きな眼が閉じられた。


 平和な光景を見てヒメキアもふにゃーっと笑って眼を細めるが、両脇から覗き込んでいたソネシエとリュージュが一転、警戒を浮かべる。


「……これは野良猫。いくらなんでも無防備すぎる。なにかおかしい」

「えっ? あたし、なにも変なことしてないよ」

「いや、ヒメキアのせいではない。だ。デュロン、いつからだ?」

「悪い、普通にいい匂いなんでスルーしてた。出どころは……」


 夕暮れの街並み。通りの向こうに、影が1つ。

「……あいつか?」

 答えを訊くまでもなく、明らかに場違いな女が、落ちかけた陽を背に立っていた。

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