銀のベナンダンテ

福来一葉

第1章・祝祭編

第1話 こんばんは、教会の方から来ました

「おおっ、やってるな!」


 その昔、芸術家気取りの放蕩貴族が道楽で建てたという悪趣味に尖った館は、1558年現在も設計者の意に沿う用途で使われている。


 ノッカーに悪魔がデザインされた扉を開くと、蒸発した汗と酒気の混じった、むっとする臭いが鼻を突く。


 広大な石造りのロビーの真ん中に台座が置かれ、上には水盆が1つ。

 その周りに怯え、あるいは絶望を瞳に宿した少女たちが8人、腰縄つきで並ばされている。


 白装束を着てフードを目深に被った怪しげな男たちに囲まれているため、彼女たちは逃げられない。そこかしこに退廃した酒宴の痕跡があった。


「…なァーるほど、教会から魔女狩り御一行様のお出ましってわけかァー」


 男たちの頭目と思しき、白装束を片肌脱ぎにした巨漢が振り返り、無粋な闖入者たちを見咎める。

 目測で身長3メートル、体重250キロはあろうかという大入道だ。

 ただしその体は奢侈しゃしに緩んでいるわけではなく、一部の隙もない筋骨の塊である。


 この体格で赤ら顔の額に一本角とくれば、もう人外でしかありえない。

 そして右手には小振りなナイフを握っており、刃先を哀れな少女の1人に向けている。


 いくらなんでも邪教の集まりに「おおっ、やってるな!」はご挨拶だと気づいたようで、教会側の代表者が歩み出て名乗った。


「その通りさ。俺が今回この場を仕切らせてもらう祓魔官エクソシストで、ウォルコ・ウィラプスという者だ。以後お見知り置きを」


 ウォルコは栗色の髪に浅葱色の眼の整った顔立ちの男で、先月で32歳になったこの部隊の最年長のはずだが、いくぶん若く見える。しかし、腕は確かだ。


 祓魔官エクソシストというのは、ここラスタード王国を始めとするユヘクス大陸諸国で国教の地位にある、救世主ジュナスを崇めるジュナス教会、その日陰に属す、下級聖職者を指す言葉である。

 異端や邪教を狩る戦闘者の集団だ。


 先頭に立つウォルコを含めて、この場に突入したのは8人。

 全員が神父服に似た揃いの黒い上下を着込み、胸に円環をあしらったロザリオを提げている。


 死神に等しい連中の訪問を受けているわけだが、背徳者たちの反応は鈍い。


「おいおォーい…勘弁してくれよ。お前ら、時代錯誤もいいところだぜェ?」


 隆々の両腕をどこか優雅に広げ、右手でナイフを弄びながら混ぜ返す巨漢に、周囲の白装束たちが同調のせせら笑いを漏らした。


 ウォルコは気にした様子もなく、事務的な口調で通告を始める。


「あー、いちおう決まりだから言っておくぞ。悪魔崇拝教団〈永久とこしえ産褥さんじょく〉、その分派の1つであるガミブレウ派の長、ギャディーヤ・ラムチャプ、以下諸兄に…罪状はまあ見たまんまの問答無用だな。諸々余罪もあるようだし、全員拘束して処刑の流れになるよ」


「聞いたか、処刑だとォ!? 俺たちをか?」


 大仰に囃し立てるギャディーヤに合わせ、白装束たちが大爆笑の渦を起こした。

 大音声に圧倒され、囚われの少女たちが身を震わせる。


「…………」

 一方で教会側の黒服たちは、意に介さず静観していた。


 その態度が気に食わなかったのか、すぐに笑いは小波のように引いていった。

 洗われた岩壁のように頭一つ抜き出るギャディーヤが歩み出て、ウォルコを睥睨する。


「神父様よォー、時代の趨勢ってあると思うんだわァ? あとお前、ほんとにこの状況正しく理解できてるか? お前の連れてる部下ども、ガキばっかりじゃァーねェか」


 確かにウォルコの後ろに控える黒服たちは全員が若く、服の上からでも小柄や細身なのが見て取れる。


 ギャディーヤはウォルコと眼を合わせたままにじり寄り、息がかかる距離で啖呵を切る。


「哀れうら若き冒険者たちは大鬼オーガの巣に踏み入り、返り討ちにされました、ってかァ?」


 その言葉を合図に、白装束たちが一斉にフードを外した。

 ギャディーヤに比べると小柄だが偉丈夫揃いで、爪や牙、肌や髪の色も多士済々だ。

 数は54。気づいたときには肉の山脈が祓魔官エクソシストたちを囲んでいる。


「さァて、景気よくド突き合いといこうか。神父様よォー?」


 しかしウォルコは即答した。

「いいとも。お望み通り心ゆくまでだ」


 涙ぐましい虚勢と受け取ったようで、大鬼オーガたちは下卑た笑いを浮かべた。


 それもそのはず。貧弱蚊蜻蛉の聖職者たちの頼みの綱といえばもちろん聖性の威力だ。聖火に聖水、聖歌に聖剣とよりどりみどりのはずである。


 だが残念ながら、200年前(1358年)に突如として起きた、〈恩赦の宣告〉という原因不明の怪異により、神の加護を根拠とした伝統的な祓魔術エクソシズムの手法群は、魔族にも魔物にも一切通じない、無用の長物と化している。


「くたばれや、腐れ祓魔官ども!!」


 興奮極まり、涎まで垂らす白装束たち。

 挨拶代わりとばかりに、ギャディーヤが体格に似合わない軽妙な動作で、手遊びしていたナイフを投擲した。

 狙いは寸分違わず、ウォルコの心臓だ。


 ウォルコはわずかに口元を緩ませ、棒立ちのままで動かない。

 その横を疾風が駆け抜ける。

 刃先がウォルコの、胸板に触れる寸前で静止した。


 飛んでくるナイフの柄を逆手で掴むという、常識外れの動体視力と運動精度を発揮した影は、そのまま肩の位置で構えて突進、ギャディーヤの脇腹に突き刺す。


「……ッ!」

 本能的に傷を庇い、背中が屈曲する大鬼オーガ。その下りてきた素首めがけて、影は体を半回転し、踵を落とす。

 ギャディーヤの雑な造作の顔面が石畳の敷き詰められた床に叩きつけられ、鼻骨の砕ける異音とともに、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。


 なにが起きたかわからない鬼どもへ、ウォルコが気さくに言い放つ声が聞こえた。


「ああ、ちなみに俺が連れてるこの子たち、若いのに少数精鋭で駆り出されてるのは…なんのひねりも面白みもなく、というだけの理由だぞ?」


「うおおおおらああああっ!」

 大男たちの総身に怒りが回り、沸騰とともに戦端が開かれる。

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