四、「・・・真心です」

「おやっさん・・・世話んなっただよう」

 最後まで残っていた弟子が、先刻、この工房に見切りを付けた時、おやっさんの周りには誰も居なくなっていた。


 かつては「名工」と呼ばれていた。

 それがいつしか「妖刀を打つ鍛冶師」へと変わった。

 名声が地に堕ちるのは、あっという間であった。


「もう二度と打たん」


 刀を打つことを完全にやめてから、どれほどの月日が経っただろう。

 かくして弟子は一人もいなくなった。

 工房の周囲には誰も近寄らなくなった。

 蓄えはあったが、働かず酒ばかり飲んでいては、何年も続かない。

 残った僅かな財産を切り売りして暮らす日々だった。


 そんなある日の昼下がり。

 一人の若者がおやっさんの元を訪ねてきた。


―――ドンドン

「御免下さい。どなたかいらっしゃいませんか?」

 ドンドン、何度も扉を叩く音がする。

「御免下さーい!」

「・・・いねえよ」

「なんだ、いるじゃないですか」

 笑いながら扉を開けたのは、六尺 (百八十センチメートル) はあろうかという大男であった。

「包丁を一本、所望したいのですが」

「包丁なら、通りを出て二十余軒先の金物屋に行くがよい」

「そうではなくて。腕利きの鍛冶師と聞いてやって参りました。特別な包丁を一本・・・」

「帰れ帰れ! ワシはもう打たん!」

 みなまで聞かず、おやっさんは大声を出すと、驚いた表情を浮かべる若者を押し出すようにして扉を閉めた。

 ドンドン。

 それから暫く、扉を叩く音と、何やら外で声がしていたが、おやっさんは布団に包まってそのまま寝てしまった。



―――夢を見ていた

 トンカンカン

 鍛冶場に鳴り響く鎚の音

 たくさんの弟子たちが所狭しと鎚を振るう

「おやっさん! 見てくれよう。良い出来だろう? 傑作だよう」

「なあに、まだまだじゃあ! もっと精進せい」

「ちぇッ、たまには褒めてくれても良いだよう」

 笑い声が響き渡る―――



 目を覚まして身を起こす。

 変な時間に眠ってしまったせいで、外はまだ明るかった。

 かわやへ行こうと扉を開けると、すぐ外で、あの若者が座っていた。

 若者は、おやっさんの姿を見るなり、姿勢を正して頭を下げた。

 額が地面に着きそうなほど深く。

(まだ居ったのか)

 その目の前を、内心では驚きながらも、おやっさんは知らん顔で通り過ぎた。


 日が落ちて真っ暗になっても、若者は帰る気配がない。

 窓からそっと覗き見れば、家の前にどっかと座り込んだまま、目を閉じてうつらうつらしているようだ。

 夜は冷える。

 このままでは熱を出して倒れかねない。

 手を差し伸べるべきか?

 いや、勝手に来て、迷惑も考えずに人の家の前に座り込んでいるのだ、あの若者の方が悪いに決まっている。

 そう結論を出すと、行燈あんどんの火を吹き消して布団に入った。

 外の様子は気になるが、明りも消えたことだし、そのうち帰るだろう。



 二日。三日。

 若者は時々、どこか用を足しに行くか、飯でも食べてるのだろう、不意に居なくなる時はあるが、それ以外はずっと家の外で待ち続けていた。

 おやっさんが通る度、黙って頭を下げて、声がかかるのを待っている様子。

 それでも声をかける機会を逸したおやっさんは、無言でその目前を通り過ぎた。


 四日。五日。

 若者の目の周りには真っ黒な隈が浮かび、寒さのあまり小刻みに震えている。

 死相。

 そう呼んでも良いほど、顔は土色になった。


 六日目の夜。

 小雨が降り、寒さは一段と増した。

 雪になるほど冷え込みはしなかったが、家の中に居ても凍えそうなほどである。

 編み笠のようなものを持っていない若者は、冷たい雨に打たれながらも、家の外でずっと座り込んでいた。


「この雨じゃあ。入りなさい」

 おやっさんは遂に根負けすると、寒さに震える若者を招き入れた。

 半刻ほど囲炉裏の前で震えていただろうか。

 濡れた着物が渇き、若者が落ち着くのを待ってから、おやっさんは優しく声をかけた。


「そこまでして、包丁を欲する理由は何かね?」

「私的な、理由です」

「聞こう」

「・・・言えませぬ」

「何故じゃあ?」

「・・・話したら、包丁を打って頂けますか」

「理由に依る」

「そうでしょう。ならば話せませぬ」

「どういう事じゃあ?」


 男は、暫く考え事をしている様子であった。

 おやっさんは湯を啜りながら、若者が話すのをジッと待った。

 やがて若者は、ポツリ、ポツリと話し始めた。

「・・・真心です」

「真心とな?」

「・・・はい。包丁は、真心を以って打って頂きたく」

「どういう事じゃあ?」

「・・・理由を話せば、打つかも知れぬと」

「ああ、そう言った」

「・・・なればこそ、話せませぬ」

「じゃから、どういう意味じゃあ?」

「・・・同情で打って頂く訳には参りませぬ」

「話を聞けば、同情するやもしれぬと、それを危惧しておるか」

「はい」

「ふむぅ・・・」


 それきり、二人は黙り込んでしまった。

 囲炉裏の火だけが、時折パチパチと音を立てた。

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