第8話

「大丈夫だよ、深山くんは」

 何が大丈夫だって言うんですか。

「顔が負けてない」

「部長、それ、厚化粧だっていう意味でしょうか?」

 しっかりメイクはしている。

 もともと垂れ目気味な顔の作りだけれど、釣り目の方が舐められないからと、釣り目に見えるようなメイク。目元の印象を変えるために、かなり目の周りは厚塗りだ。眉もかっちり角を作ってぼやかさずに書いている。

 それから口紅も、リップやグロスでふんわりつやつやではなく、きっちり色のつく口紅を使い、紅筆でしっかり輪郭を描いている。

 目も眉も口もはっきりきっぱり強めのメイクだ。

「ママ、仕事に行くときの顔怖い」

 ……と、無邪気な息子に言われたことを思い出す。あれは、山崎さんに指導を受けて1か月ほどたったころだっただろうか。

 だから、家に帰るとすぐにメイクを落とすし、休みの日はまるっきり化粧はしない。

 まぁ、優斗の言葉がなくても、疲れるしめんどくさいし化粧は仕事以外ではしたくないんだけどね。

 コンタクトをはずした瞬間、ふはーって解放された気持ちになれるし。化粧を落とすと顔が呼吸を取り戻す感じもする。

「いや、いや、そういう意味じゃなくて、あれだ。あれだよ。セクハラだって言われるといけないからな。うん、それ以上は言えないが」

 ごほんと部長が咳ばらいをした。

 ああ、そういえば、府網建築の木頭専務に「容姿に関する発言はセクハラです」って言ったんだっけ。

 まさか部長がそれを覚えていて気を遣うなんてねぇ。と、驚いて部長を見ると、照れくさそうに部長が笑った。

「いや、あれはすっきりしたよ。よく言ってくれた」

 そうか。人のふり見て我がふり治せとはよく言ったものね。セクハラだと言われて押し黙った木頭専務の姿を見て、気を付けようと思い始めたってことよね。

「でも、なんでわざわざ東御グループのホテルの中でも、こんな超一流のホテルで打ち合わせなんですか?」

「ああ、このホテルの4階~8階はホテルじゃなくて東御グループの本社が入っているんだよ」

 なんと。この豪華なホテルに客室じゃなくて会社を入れちゃうなんて、勿体ない。

「宿泊客の求めていることを肌で感じるために、社員たちがホテル内を見て回れるようになっているそうだ。我々が、社員用エレベーターでなく、表を通って会議室に通されるのも、同じ理由のようだよ。ホテルというものを肌で感じるためだそうだ」

 肌で感じるって。

 豪華だ、すごいってことを?

「ありがとう、とても快適だったわ。一生に一度、来てみたいと思っていたの」

 老夫婦がフロントで支払いを済ませる様子が聞こえてきた。

 顔を見ると、とても幸福そうだ。

 ただ、寝る場所としてのホテルとは違うんだ……。

 新しく作る旅館、旅館での時間そのものを楽しめる旅館……か。

 このホテルもきっとそうなのだろう。ホテルで過ごす時間も特別なものになるようにと……。

 見上げると、吹き抜けの天井に大きなシャンデリアがキラキラと光を反射している。

 足元の絨毯は毛足が長くふかふかだ。靴を履いて歩くのだから、掃除が大変だろうに。目立った汚れもなく綺麗なものだ。

 行き届いた清掃。掃除の効率を考えれば毛足の短い絨毯の方がいいだろう。だけれど、あえて毛足の長いものにしてある。

 足に感じる感触。それまでも、普段とは違う、特別な感じがするのって、すごいことかもしれない。

 高級ホテルならではの役割……。

 そうだ、舞踏会に出たシンデレラのような気持ちになれるのかもしれない。特別な場所に来たと……。

 まぁ、普段からこういうホテルしか利用しないようなセレブであれば、また違った感想が出てくるのかもしれないけれど。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る