8・龍ヶ崎崇(りゅうがさき たかし)

 最先端科学の研究に従事している真っ当な学者が、幽霊に怯えているだと?

 無論、最初は信じられなかった。

 しかし、彼らは本気だ。しかも、この研究所には真剣に超能力を追求する部門があるという。何よりも驚いたのは、その研究に〝成果〟が上がっているらしいことだ。

 ここにきてからずっと、精神科医、犯罪精神医学の専門家として積み上げてきたキャリアを全否定された気分を味わっている。

 思い返せば、傍証はあった。

 隣接県にある大規模研究所でありながら、その実態は精神医療従事者にさえほとんど漏れ伝わってこない。警察庁が警備の一部を担っている事は公開されているのに、警察関係者に与えられる情報も公式サイトと大差はない。

 特に私は、緊急措置入院患者の何人かをこの研究所に送り出している。単純な精神疾患とは断定できない言動を見せた者たちだ。詐病の疑いがあったり、責任能力の判定に自信が持てない場合が多かった。

 この研究所では最新の分析装置と高次脳科学の定量的分析方法を駆使して彼らの精神構造を解析する。少なくとも、私はそう信じて患者を渡してきた。だが患者を委ねた後は、その結果を警察経由で知らされるだけだった。どのような検査が行われているのか関心があって見学を申し出たこともあったが、やんわりと断られたままだ。

 その秘匿性にかすかな疑問を抱いてはきたが、椎名所長の話を信じれば納得がいく。

 中央官庁の知り合いに尋ねたところでは、研究所にはかなりの税金が投入されていることは間違いないらしい。しかし真剣に調べようとすると、情報が遮断されてしまうという。その知り合いでは閲覧が許可されないレベルの〝機密事項〟らしい。

 しかも、研究所内でスタッフが惨殺されているというのに、警察の動きは乱れている。静岡県警を飛び越えて、いきなり警察庁から管理官が率いる集団が送られてくるという。いったん動き始めた県警本部は、あっさり派遣チームを解散したそうだ。

 初動から国家規模の対応が組まれているのだ。

 犯罪現場の特殊性と機密性から担当者を厳選する必要があることが、初期対応を遅らせているのだろう。我々に対しては『保安部と連携して現状の保全に務め、特にスタッフが姿を消さないように厳重に警戒して応援を到着を待て』と指示されている。言葉を変えれば、犯人を閉じ込めたまま警察庁の到着まで何もするなということだ。

 そういえば、ここに出向している田中警部補も警察庁の所属だ。

 これもまた、ここでの超能力研究が重要視されていることの証左だろう。高次脳科学の探求という設立趣旨が、テレパシー技術の機密性を確保するための煙幕だとさえ思えてくる。

 日本の科学者たちは、軍事研究を極端に嫌う。だが、国家と国民を守るためには、時に物理的なパワーも必要だ。彼らの過剰なアレルギーを払拭するためにも、学術的研究を前面に押し出すしかなかったのかもしれない。

 現実に、主要各国が超能力の実用化を争っているともいう。所長は〝超科学〟の民生品への波及を力説していたが、実際には日本でも軍事転用の方が重視されているに違いない。

 一介の医師に過ぎない私としては、それが人の死を防ぐ防御的テクノロジーとして成熟することを望むことしかできない。

 人類が積み重ねてきた、そして今も根絶できない虐殺の歴史を考えると、悲観的にならざるを得ないのだが……。

 当面の警察業務は田中警部補が行なっている。私には検視を行う権限はあるが、滝沢看護師の死亡を確認した以降は手を触れないように厳命された。田中警部補が警視庁に詳細を報告した結果だ。彼らは、全てを警察庁の手の中で処理しようとしている。

 警察病院の医師である私でさえ、もはや部外者扱いなのだ。それどころか、個室で待機して外に出ないでくれと命じられる始末だ。せめて、薬師寺氏の観察ぐらいは許してもらいたいと要請したが、それも却下された。

 警察庁が守らなければならない機密の中には、薬師寺氏も組み込まれているということなのだろうか? だとするなら、薬師寺氏が持っているように見える超能力を、警察官僚までが信じていることになる。

 そもそも薬師寺氏の調査が私の役目だったのに、事態はとんでもない方向に転がり始めている。

 何やら不可思議な騒動に巻き込まれてしまったようだな……。

 不可解なことは他にもある。

 椎名所長や大前氏の言動だ。

 彼らの間には、共通の〝秘密〟がある。それは私の直感に過ぎないが、そう考えなければ理解できない態度も多かった。しかもその秘密は、犯罪性を帯びている気がする。たとえ法的には犯罪と規定できないものであっても、道徳的には容認しがたい性質があるように思えてならない。

 おそらくは、この研究所の創設当初のトラブルがその根源だろう。初代所長の春日氏が猟奇犯罪の被害者になったことだ。一家惨殺の犯人がこの研究所の措置入院患者だということも、偶然だという気がしない。その上、取材対象者の人格を取り込んでいるらしい薬師寺氏は、春日氏にも長時間のインタビューをしているという。

 これも、たまたまだというのだろうか?

 何かが、あるいは誰かが、ジグソーパズルのピースをこの研究所に集めたとするなら……。浮かび上がる絵柄は一体、どんなものなのか……。

 空恐ろしい気がする。

 そんなことが可能なのは、神だけだろう。

 まずいな……私までが、超自然的な考え方に支配されつつある……。

 そんなことを考えていた時に、窓際に置いていたスマホが着信を告げた。停電で館内の無線LANがダウンしているために、携帯電波が届く場所は限られているのだ。

 出たのは、田中警部補だった。

『最上階の病棟で爆発らしい音がしたそうです。これから向かいますので、先生も来てもらえますか?』

 また爆発だと⁉ 一体何が起きているんだ⁉

「私が行ってもいいのかね?」

『お願いします。怪我人がいると困りますから』そして小声で付け加える。『ここのお医者さんたちは、どうにも信用できなくて……。迎えに行くように、保安部員に伝えてありますから』

 私は、非常灯までが消えた暗い廊下に出た。すぐに保安部員がやって来る。私たちは階段へ向かった。

「爆発って、場所と程度は?」

「携帯が繋がりにくくて詳しいことが分かりません。病棟がある4階なんですけど」

 階上にあがると、すぐに火災らしい臭気が漂ってきた。しかも、かすかな叫び声が数多く入り混じって不気味な様相を示している。はっきりと聞き取れない声ばかりだが、病室に隔離されている10人ほどの隔離患者が不安を訴えているのだろう。

 停電が続いている上に爆発まで起きたのなら、仕方のない事だ。宿直の医師やナースは個室で待機するよう命じられているということで、1人も姿が見えない。

 無人のナースステーションの先に、かすかな明かりと数人の人影が見える。駆け寄ると、田中警部補が待っていた。

「爆発でドアが吹き飛んでいます。大きな爆発ではありませんが」

 それでも病室のドアが外れ、廊下の反対側に突き刺さるようになっていた。

 まるでデジャブだ。つい2時間ほど前に見た滝沢看護師の部屋とそっくりの状況じゃないか……。

 まさか、中には……。

「中を調べたかね?」

「はい……死体があります。ですが医師でないと死亡の確認ができません」

 思った通りか。

「誰だ?」

「措置入院中の患者です。例の一家惨殺犯、南です、こちらへ……」

 背筋が寒くなった。

 またしても、春日という人物の関係者だ。もはや偶然などで片付けるわけにはいかない……。

 私は田中警部補の後に付いて個室に入った。

 クローゼットが開いていた。その中に、南がいた。一目で死体だと判別できる。

 全身血まみれで骨を砕かれ、あり得ない形に曲げられ、折り畳まれた人体。LEDライトの灯りで照らされたのは、その背中だ。しかし首は真後ろに捻じ曲げられ、光に向いている。

 まるで、私に助けを求めてでもいるように……。


        ✳︎ 


 田中が言った。

「このままっていうわけにもいきません。床に出して検視をお願いできますか?」

 龍ヶ崎は不安そうだ。警察庁が仕切る国家機密に関与するなど、一介の医師には荷が重すぎる。

「私で……いいのか?」

「窓際なら携帯が使えますから、本部とは連絡を取りました。まだ数時間は援軍が到着しません。やむを得ないだろうということです」

 背後に控えていた保安部の新垣が、ナースステーションから使い捨て手袋を取って戻る。

 龍ヶ崎たちはスマホで現場の写真を記録してから死体を廊下に引き出し、LEDライトで照らしながら調べ始める。

「脈動なし」目に光を当てる。「対光反射なし――」

 龍ヶ崎はそう言いながら型通りの死亡確認を行っていったが、もはや無意味なことは分かっていた。

 状況は、滝沢看護師と酷似している。全身の骨を砕かれ、首をねじ切られ、血まみれになった人体――それでも息があるなら、まさに奇跡だ。

 しかもこの死体には滝沢との共通点がもう一つあった。死亡後に着衣越しに切りつけられた傷が全身に数10カ所にも及ぶこと、さらにその傷が性器から肛門にかけて集中していることだ。排泄物の匂いも漂っている。死亡後の傷であることは、出血の少なさから見て取れる。

 殺すことだけが目的ではない。死体の姿そのものが、強い怨恨を主張している。正気の人間にできることではない。

 腕時計を見る。

「午前1時25分、南氏の死亡を確認しました」

 背後に立って作業を見守っていた田中が、両手を合わせて黙祷する。顔を上げるとつぶやく。

「とうとうこいつも仏様か……」

 と、龍ヶ崎たちの背後に、いつの間にか椎名が歩み寄っていた。

「南か……。いつ殺されたんだ?」

 龍ヶ崎が我に返って振り返る。

「所長、自室で待機をお願いしたはずですが?」

「保安部員から報告を受けた。ここは、私が管理する研究所だ。何が起ころうと、状況は把握しておかねばならない」

 椎名は威厳を保とうとしているようだが、わずかに電灯の光を受けた顔からは血の気が引いている。

 龍ヶ崎は仕方なさそうにため息を漏らす。

「しかし今は、警察の管轄下にあります。勝手な行動は慎んでいただきたい」

 椎名の後ろに立っていた保安部員がすまなそうにつぶやく。

「私がお連れしたんです。どうしても、と言われるので……」

 田中が保安部員に尋ねる。

「所長はそれまで個室にいたのかね?」

「はい。私が近くの廊下で警備していました」

 椎名が不満そうに言った。

「まさか、私が犯人だとでも疑っているのかね?」

 龍ヶ崎が言い切る。

「疑われているのは、ここにいる全員です。巨大な密室のようになっている研究所内に、犯人がうろついているんですからね。だから、勝手な行動は困るんです」

 椎名がさらに進み出て、南の死体を見下ろす。

「滝沢君と同じ犯人らしいな……。しかし、無残な殺し方だ……」

「それだけじゃなくて、力も必要だし、時間もかかります」

「年寄りの私には無理だな……」

 田中がうなずく。

「誰にとっても困難です。そもそも措置入院中の患者ですから、ドアは簡単に開かないようになっています。非常用の鍵は、通常ナースステーションで保安部員が管理しています。今はたまたま3階の警備に駆り出されていましたが、一部のスタッフ以外は鍵のありかなど知りません。中に入るためにドアを爆破したのだとしても、音がしてから私たちが着くまで数分しか経っていません。その間にこの暴力的な患者を制圧してここまで痛めつけ、逃げおおせるなんて……」

 椎名が後を続ける。声が震えていた。

「人間には不可能だ……とでも……?」

「少なくとも私は、こんな方法で殺された人間を知りません」

 椎名は言葉を継ぐことができなかった。

 龍ヶ崎が保安部の新垣に尋ねる。

「措置入院患者で、逃げ出した者は? まさかとは思うが、患者の誰かが犯人という可能性は……?」

 答えはすぐに返った。

「先程、病室にも入って確認を終えました。全員、自室にいました。全てのドアは閉まったままでしたし、中からこじ開けたような痕跡も一切ありません」

 椎名が死体を見下ろす。

「仮に誰かが逃げ出したとしても、こんな真似はできまい。入院患者の中で最も他害の危険性が高いのは、この南だからね……」

 龍ヶ崎が立ち上がって椎名に目を向ける。LEDライトの光を壁に当て、反射する明かりで椎名の表情を観察できるようにした。

「この南という男、研究所の初代所長の春日氏の一家を惨殺しているんですよね?」

「その通り。だが、それが何か関係があるのか?」

「殺されたナースも春日氏に関係しているんですか?」

「何が言いたい?」

 龍ヶ崎はしばらく考えてから言った。

「あなたなら、私が何を考えているか分かると思うのですが? 超自然的な現象に真剣に取り組んでいるんでしょう?」

 椎名の答えにも、わずかな間があった。

「超自然的な何かの仕業だと?」

「あなたの考えを聞きたいんです。春日氏の死の背景と、現在進行している事件との関連を、どう捉えていらっしゃるのか」

「そんなもの、あるはずがない。春日はすでに死んでいるんだからな」

「まるで、そうであることを望んでいるような口ぶりですね。過去の調書の概要は調べました。春日氏の家族の死亡は確認されていますが、本人の死体は発見されていません。もしも生き残っていて、南への復讐を企てたなら――」

「それこそありえない空想にすぎない。春日の家には春日自身の大量の血痕が残っていた。死に直結するほど大量の、だ。DNA鑑定でも確認されている。生死に関わるほど深く切りつけられたことは間違いない」

「南自身は、春日先生を傷つけていないと証言していました。初めて男を殺すチャンスだったのに、それが唯一の心残りだ、と」

「殺人犯の言うことなど信じられるか」

 龍ヶ崎が不意に話題を変える。

「薬師寺氏の人格、みんな取材対象が乗り移っていますよね」

「は? それがどうした?」

「彼は春日氏にも取材と称した治療を受けています。人格を取り込んでいる可能性があるんじゃないですか?」

「だからなんだというんだ⁉」

「何に苛立ってるんですか?」

「人が死んでるんだぞ! 2人もだ! 普通でいられるか!」

 龍ヶ崎は椎名の表情をじっと見つめる。

「苛立ってるんじゃありませんね……怖がっているんだ」

「馬鹿な! 所長の責任として、事態を憂慮しているだけだ!」

 龍ヶ崎は穏やかに言った。

「春日氏は、確かに死亡しているでしょう。それが警察の公式見解でもあります。車が落下した場所は波も潮の流れも激しい。水深が急激に深くなる場所で、大量の出血があればサメなどに食われる危険もある。実際にダイバーの事故が何件も報告されている地域ですから」

「ならばなぜ、こんなことを……」

「薬師寺氏が他者の人格を取り込む性質を持っていることが検査数値で証明されているからです。しかも、肉体まで変容させてしまう特性を備えている。その点では、彼の超能力は認めざるを得ない。ならば、彼の中に春日氏の魂が生きていてもおかしくはない」

「隠れた人格があるという検査結果は出ていない!」

「まだ姿を見せていないだけかも。すでに知られている人格が偽装している可能性もある。現にあなた方は刑部の人格が嘘つきの詐欺師だと判断しているじゃありませんか。彼の中にさらに春日の人格が隠されていることだってあり得るんじゃないですか?」

「だったらなんだ⁉」

「答えはあなたが知っています」

「なんだと⁉」

 2人のやりとりを、田中たちはじっと見守るばかりだった。普段温厚な龍ヶ崎が、椎名を追い詰めるような言動を続けることが理解できずにいたのだ。

 龍ヶ崎はまさに椎名を追い込もうとしていた。今だに姿を見せない、事態の核心部分を暴くために――。

「私にはまだ信じられませんが、どうやら薬師寺氏は超自然的な力も使えるらしい。その彼の中に春日氏の人格が姿を隠しているなら、自分を殺した南に復讐したっておかしくはない。南の無残な死体からは、家族を殺された怨念が感じられます」

「春日の幽霊が犯人だと言いたいのかね?」

「あなたはそう思っている。そう感じるから、尋ねているんです」

 椎名が不意に小さな笑いを漏らす。

「残念だな。だったら、ナースはなぜ殺された? 彼女も春日に恨まれていたと言うのかね?」

「それを知りたい。ナースと春日氏の関係は?」

「ゼロだ。一切の関係はない。何しろ彼女がここに来たのは、私が所長になった数年後だからね。春日のことは、噂でしか聞いたことがないだろう。なのに、惨殺されている。つまり、この件は春日とは関連がないと言うことだ」

 龍ヶ崎は不意をつかれたように、新垣を見る。

「そうなのか……?」

「確かに。私も春日氏の事件の後にここに着任していますから」

 椎名が勝ち誇ったように言った。

「すべて君の思い過ごしだよ。死んだ春日君と今回の事件には関連はない」

 だが、龍ヶ崎の目には確信が満ちている。

「あなたのその言葉がおかしいんです。薬師寺氏の多重人格も、超能力の存在も、あなたは心から信じている。だったら、春日氏の人格が何かしらの行動を起こす可能性だって考慮しない方が不自然だ。なぜ、春日氏との関係を否定しようと躍起になるんですか?」

「躍起になどなっていない! 君こそ、なぜ春日にこだわる⁉」

 龍ヶ崎は椎名の目をじっと見つめた。

「あなたは何か隠そうとしている。そしてその秘密には、おそらく大前先生も絡んでいる。あなた方2人の態度は、薬師寺氏の調査が進むほど不可解なものになっていきましたからね。何を隠しているんですか?」

「何も隠してなどいない!」

 龍ヶ崎は、決定的な一言で切り込んだ。

「あなた方は、春日先生に何をしたんですか⁉」

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