2・第2の人格=刑部真司(おさかべ しんじ)

 俺は詐欺師だ。人を騙して金を巻き上げるのが仕事だ。

 なのに、他人の頭の中に湧いて出た人格だという。肉体を持てるのは、俺の意識が表面に出ている間の短い時間に限られるらしい。だから、記憶も断片的だ。いや、俺の中では切れ目なく繋がっているんだが、外の世界の方が繋がらない。いつも不意に眠りに落ち、目を覚ました時には全てが変わっている。

 日時が不連続であることはもちろん、自分がいる場所、話していた相手、やっていた行動までもが馬鹿馬鹿しいほどにつながりを持たない。

 世間には異世界へ飛ばされる物語が氾濫しているらしいが、俺は目を覚ますたびに見知らぬ環境に放り込まれる。

 なんの冗談だよ。

 しかも、この体の〝所有者〟は別の人間だという。だったら俺は、一体誰なんだ。そもそも、人間だといえるのか?

 なのに、なんで自分が詐欺師だと分かっている?

 目を覚ましたら、またこれだ。

 俺は軽く拘束されているようだ。仰向けに横たえられている。暗くはない。VRゴーグルのようなものを付けられているらしく、目の前には青空が広がっている。ただし、投影されている画像の外側は真っ暗だ。ゴーグルはヘッドフォン一体型の感触で、かすかに聞こえるクラシック音楽に混じって機械音が伝わってくる。

 メンデルスゾーン……だったかな。

 MRIの中だな。脳波を測る馬鹿でかい機械だ。ドーナツを立てたような形の本体の穴に体を入れ、強力な磁場を当てるらしい。

 何度か突っ込まれたことはあるが、これまでとは印象が違う。何億円もする装置らしいから、同じ大学にいくつもあるとは思えない。今までの大学病院とは違う場所だと考えた方がいいな。

 いつの間にか、移送されていたわけだ。いよいよ本格的な取り調べの開始か――いや、とっくに開始されていたのに、俺は知らなかったってことだ。

 と、ヘッドフォンから声がした。女の声だ。

『刑部さん、目が覚めましたか?』

 意識が戻ったことは脳波を見ていれば分かるかもしれない。だが、なぜ刑部だと断定できる?

 詳しくは聞かされていないが、この体には何人かの人格が同居してるんだろう?

 習慣的に、言ってしまった。

「いや、私は薬師寺だが?」

『えっと、そうですか。あれ、おかしいな? あなた、本当に薬師寺さんですか?』

 失礼な女だ。まあ、無意味な嘘をつく俺もまともだとはいえないが。

 詐欺師なんだから、許せ。

「君は誰だね?」

『あ、すみません。ナースの滝沢です』

「よろしく頼むよ」

『これから何日か、いろんな検査を続けますけど、わたしともう1人のナースが補佐します。彼女とはまだ顔を合わせていないと思いますけど。こちらこそ、よろしくお願いします』

 ということは、薬師寺と滝沢は面識があるのだろうな。記憶しておこう。カードは多くて困ることはない。詐欺師には、こんな些細な情報が切り札になる局面が訪れることもある。

 滝沢の声は若そうだが、恐れは現れていない。薬師寺が殺人犯だということは、知らされていないのか?

「君がこの機械を操作するのかね?」

『とんでもない。ああ、頭を動かないでくださいね。画像がうまく撮れなくなるそうなんで。あたしは検査手順に書いてある通りにアナウンスするだけです。操作は専門の技師が行います。別室で大前先生たちがそのデータを見ています。リアルタイムで分析しますから。今、先生たちと代わりますね』

 わずかな間があってから、声が男に変わる。こいつも若そうだ。

『あ、失礼しました。私、担当医の大前です。薬師寺さんでしたら、ついでに先ほどの続きを。簡単な質問です。山崎書房の担当編集さんの名前をおっしゃってください』

 残念だが、知らない。知っているのはこの体の本名とペンネームぐらいで、作品を読むという面倒なことをしたこともない。薬師寺の頭の中を覗く能力もない。

 あっけなく見破られたな。

「悪い、俺、刑部だよ」

 かすかな笑い声がした。

『分かってましたよ。あなたがこんな風にとぼけるだろうこともね。これまでも担当医を随分困らせていたようじゃないですか』

 今までの資料は引き継がれているようだな。ならば、そのつもりで対応する。

「なぜ俺だと?」

『ちょっとした手品です。種明かしはいずれ。いくつかの検査に協力してください』

「縛られてるんだぞ。協力する他ないだろうが」

『まあ、そうふて腐らずに。まず、音楽を流しますので、じっと聞いていてください』

「演歌はやめてくれよ」

『クラシック、ジャズ、ヒップホップで、歌詞はありません』

「踊れ、ってか? だったら、縛るな」

『じっとしたまま聴いてくだされば構いませんから。というか、くれぐれも動かないでくださいよ。データがうまく取れないと、取れるまで繰り返すことになりますから。それ、面倒でしょう?』

 なるほど。逆らう気も失せるな。

 目の前が暗くなって、音楽の音量が大きくなった。

 音楽が終わったら、次は映画やアニメのシーンを色々と見せられた。

『スターウォーズ』『ローマの休日』に、見たこともないホラー映画の血みどろの場面やバトルシーンのあれこれ、そして『ガンダム』や〝美少女〟たちが歌って踊るアニメ……だが、なぜ俺はいくつかのタイトルを言い当てられるのだろう? はっきりとした記憶はない。なのに、〝知って〟いる。しかも、知っているのは古い映画ばかりのようだ。

 これは、薬師寺の記憶なのだろうか?

 俺は一体、どうしてこの体に宿ったのだろう?

 こんな検査で、それが分かるのだろうか……。

 映像の後は、また視界が暗くなって朗読を聞かされた。聞いたことがある文章だ。漱石か、鴎外か……。なぜ、そんな名を知っている? 当然、読んだことなどない。ないはずなのに、知っている。

 なぜだ?

 やはり、俺の心は無意識の部分で薬師寺と繋がっているのか?

 そんなことを考えているうちに、眠くなってきた。退屈だからな。

 と、朗読が止まる。

『刑部さん、寝ないでくださいね。ヘッドホンの声に集中してください。もう少しで終わりますから』

「そう言われても、この体は俺のものじゃないらしいからな」

『いや、今はあなたのものです。画像にはっきり表れていますから』

「何が違うんだ?」

『それも検査が終わってからご説明しますよ』

 その後はまた、視界が明るくなった。

「終わりか?」

『次は計算問題です』

「苦手だ」

『速さを競うわけじゃありませんから。考える努力をしてくれればいいんです』

「だったら、なぞなぞとかにしろよ。騙そうとする奴の裏をかくのは得意だからな」

『その問題も用意していますよ。お楽しみに』

 ため息が漏れた。ふざけただけなんだがな。

「勝手にしろ……どうせ、モルモットだ」

 俺自身には、人を殺したなんて自覚は一切ない。本当にやったなら、犯人は別の人格だ。あるいは、この薬師寺本人か。

 だが、そんなことはもう関係ない。3人を惨殺すれば、死刑になってもおかしくはない。その時は、俺もこの世から消え去る。

 逃げることを考えるべきだろうな。

 だが、どうやって?

 この病院みたいな場所から逃げられたとして、その先は?

 だいたい俺は、この体の持ち主じゃない。逃げたところで、俺の立場はどうなる……?

 は? それがどうした?

 俺らしくもない。

 結果なんて、やってみなくちゃ分からないだろうが。

 まずは始めてから考えりゃいいさ。

 なに、騙すことは得意だ。嘘発見器やら音声解析でも掻い潜る自信はある。俺は生まれついての病的な嘘つきらしいからな。

 だから、必ずチャンスは来る。アンテナの感度を上げてじっと待っていればいい。それでも来なければ、作るまでだ。騙しのテクニックで牢獄を破るゲームだとでも考えりゃいいんだ。

 失敗のペナルティは?

 多分、それもない。多重人格者の中の1人が殺人者だとしても、無関係な人格まで殺すわけにはいかない……はずだ。

 どれだけ暴れようが、死刑にはできないってことだ。

 多分、だけどな。

 ただの暇つぶしさ。危険があるなら、その方が真剣になれる。楽しめる。なかなかエキサイティングな退屈しのぎじゃないか。


        ✳︎ 


 大前たち4人はデータ解析室に併設された5号カンファレンスルーム――小規模な会合用の会議室のテーブルを囲んでいた。テーブルには臨時にパソコンと大型モニターが置かれ、館内データベースに直結されている。大前のアクセス権によって、最高度の個人データの閲覧が許されていた。

 モニターに表示されたファンクショナルMRIのデータが注目を集めていた。

 3種類の脳の輪切り画像が白黒で表示されている。上、前、横から見たデータだ。その中で、活発に活動している部分が赤く表示され、脈を打つように蠢いている。逆に低調な部分は青く着色されている。

 サラが言う。

「もう一度朝比奈さんのデータを見せてもらっていいですか?」

 大前がうなずく。

「丁寧に比較したいですよね。4人のデータを並べましょう」キーボードを操作すると、画面が4分割されてそれぞれの人格のデータが並んだ。「同じ音楽を聞いている状態のものです。音楽再生を開始してからの時間も同期してあります」

 龍ヶ崎が感嘆したように言った。

「見事に違ってるね……」

 大前も目を見張っている。

「改めて比較すると、たまげますね。ここまで違う結果が出るとは……」

 ファンクショナルMRIは、多様な刺激を与えられた際に脳のどの部分が活発に活動するかを視覚化する装置だ。例えば視覚を処理する部位を測定したい場合なら、映像を見せながら脳全体の血流を測定してどこに血液が集中しているかを計測する。同様に聴覚や触覚を刺激しながら脳の活動の全体像を解明していく。人間の脳の活動部位はおおむね決まってはいるが、個人差が現れやすいデータでもある。

 その〝個人差〟が、たった1人の肉体の中に現れているのだ。

 サラがモニターを食い入るように見つめる。

「思考問題のデータを出せますか?」

「ええ……この辺りがいいでしょうかね」

 画面が切り替わる。同時に、着色された範囲も大きく変化した。

 サラが身を乗り出す。

「朝比奈さん……思考問題に関しては極端に反応薄いですよね……」

 龍ヶ崎がうなずく。

「考えるの、面倒臭いんでしょうね。っていうか、4人の人格それぞれが個性を露わにしているじゃないですか。私は解離性同一性障害の検査に初めて立ち会いましたが、この目で見ていなかったら同じ人間のデータだなんて絶対に信じませんよ。正直、多重人格なんてほとんどは狂言に違いないと思っていました。九州で起きた自称6重人格の殺人犯の鑑定書は取り寄せて熟読しましたが、私としては詐病だと結論づけた医師に全面的に賛同します。ですが、ファンクショナルMRIを騙すなんて不可能ですからね……。なんか、これまで学んできたことをことごとく否定された気分です……」

 大前がキーボードを操作して別のデータを表示させる。

「生化学データまで、これですからね……」

 何行にも並んだ検査項目とその数値を比較した龍ヶ崎は、困り果てたようにうなずく。

「改めて比べてみると、一目瞭然ですね……。逃げ出したくなってきます」

 サラも目を丸くしている。

「わたし、本国では何人か解離性同一性障害の患者を見た経験がありますけど、これほどって……」

 大前は言った。

「どれも、それぞれの人格が現れてから1時間後に採取した血液の検査結果です。検査自体は数時間置きに行っていますから、食事内容などによる影響があっても仕方ないでしょう。ところがこの偏差は、そんな外部要因で説明できる範囲をはるかに超えています。まさに、別人のデータとしか思えません」

 龍ヶ崎がため息をもらす。

「人格の変容が肉体まで別人に変えたということですよね。そんなこと、あり得るんですか……? まるで、超常現象じゃないですか……」

「その実例を今、僕たちは見ているんです」

 龍ヶ崎が振り返って大前を見つめる。

「このデータ、本物ですよね」

「僕が入れ替えた、とでも?」

「だって、あまりに極端じゃないですか……」

 大前はまっすぐに龍ヶ崎の目を見返す。

「そうだとして、一体なんのために? この研究所は人間の秘められた可能性を探求しているんです。これほど貴重な研究データに出会えたのは奇跡です。そのサンプルを毀損するなど、たとえ誰から圧力をかけられようとも、絶対にしません。科学者として、できるわけがありません。薬師寺氏の脳は、まさに人間への理解にブレークスルーをもたらすかもしれないんですから」 

「しかし彼は犯罪者でもあります。あなたにとって猟奇殺人は世俗的な些事かもしれませんが、警察としてはサンプルの取り違えなどには気を使わざるを得ないんです。わたしは警官じゃありませんが、単に科学的な興味からだけここにいるわけでもない」

 それまで口をつぐんで彼らを見守っていた椎名が断じる。

「どんな理由があろうと、我々の目前で行われてきた検査の全てを偽装するトリックなどありえない。ファンクショナルMRIの結果はリアルタイムでモニターに表示されていたし、血液や細胞の採取には必ず我々が立ち会っていた。それでも偽装や差し替えが可能だというなら、私はイリュージョニストに転向するよ」

 大前は、冷静に言った。

「確かに僕個人は、薬師寺氏の犯した殺人になど関心はない。大事なのは、薬師寺の脳の構造をどこまで解明できるだけです」

「それじゃ困るんです。私は――」

 大前が手のひらで龍ヶ崎を制する。

「僕は科学者としての興味しか持っていません。だからこそ、絶対に試料を取り違えたりはさせない。この研究所のスタッフ全員が、同じ考えでしょう。だからとことん詳細に、徹底してフェアに検査を進めてきました。その結果がこれです。そこは理解していただかないとね」

 龍ヶ崎は大前の目に、科学者としての矜持を読み取った。

「失礼しました。申し訳ないことを言ってしまいました。しかし……」

「お気持ちは分かりますよ。なにしろ、これほど常識外の結果が出てるんですからね」

 サラが2人の間を取り持つように言う。

「アメリカの多重人格者の中には、習ったはずのない言語に習熟していたり、前世の記憶を持っていたりする人格が発生したという事例があります。その大半は詐欺まがいのもので、わたしも何人かの虚偽を暴いたことがあります。ですが、本当に他者の人格が憑依したとしか考えられない実例も存在します。チベットではダライ・ラマの生まれ変わりが信じられていて、何100年も国家の根幹として受け継がれてきました。ですから、このデータを否定する気にはなれませんね。むしろ、本物に出会えた可能性に興奮しています」

 大前が、分厚いファイルを開く。過去数年間にわたって薬師寺を診察してきた担当医から譲り受けた調査資料だ。

「薬師寺氏が真正の解離性同一性障害であることは徹底した検査で確認できました。しかし、人格交代の奇妙な特性までが本当だったとは、驚きでしたね。この点だけは、半信半疑だったんですが……」

 龍ヶ崎もうなずく。

「同感ですよ。各人格の〝出現スイッチ〟が四肢に分散されているとはね……。サラさん、アメリカではこのような事例を見たことはありますか?」

「いいえ、聞いたこともありませんね。むしろ、薬師寺氏を研究した論文が関心を持って見られていました。わたしも実際にこの目で見て、驚きました。多分に眉唾ものだと疑っていましたので……」

 大前が資料を確認しながら独り言のように言った。

「右前腕が刑部、左前腕が朝比奈、右ふくらはぎが城、左ふくらはぎが岩渕……それぞれに一定以上の衝撃が加わると、必ず薬師寺氏は意識を失うように眠り、別人格となって目をさます……。初めて論文を読んだ時には、何かの冗談かと思ってました。でも実際に目の前でこうして人格の交代が起こり、それも何度も決まった通りに再現されると、信じないわけにはいきません。データの裏付けがなければ、完全に演技だと決めつけていたでしょうね」

 サラが不意につぶやく。

「これって……2つのスイッチを同時に押したらどうなるんだろう……」

 大前がニヤリと笑う。

「それ、気になりますよね。実験する必要があると思います。性格が極端に変わったり、粗暴化するといった事態だってあるかもしれない。逆に、神経を遮断した場合はどうなるのか……安全な方法を考えて試みたいとも思います。四肢への刺激が伝わらない場合、その人格が出現できるかどうか知りたいんです」

 サラが小さく声を上げる。

「あ……! 特定の人格の出現を阻止できるなら、殺人犯を消すことも……?」

「不可能ではないかもしれません」

「実験方法、練らないとね……」

 龍ヶ崎がたしなめるように言う。

「薬師寺氏は研究対象ですが、実験動物じゃありません。あくまでも本人の意思を尊重して――」

 大前が遮る。

「当然です。実験の前には目的と方法を充分に説明します」そしてわずかに声を落とす。「しかし、小耳に挟んだところでは、殺人事件の被害者たちはずいぶん不思議な方法で殺されていたそうじゃないですか。具体的に何が〝不思議〟なのかは僕らには知らされていませんが、あなたは知っているんでしょう?」

 龍ヶ崎がわずかなためらいを見せる。

「ええ、まあ……」

 サラが興味深げに身を乗り出した。

「不思議? 具体的にどういうことですか?」

「それは警察の秘匿事項で……」

 大前がうなずく。

「犯人しか知り得ない秘密――ってやつでしたよね。なるほど、あなたはそれを知った上で僕たちに薬師寺氏に人格を解析させ、どの人格が犯人か特定させようとしたわけだ。でしたら、無意識のうちに妙な誘導をさせないために、担当医師にも知らせないという判断は分からないでもない。しかし殺人が行われた時に複数の人格スイッチが入っていなかったという確証はないでしょう?」

「それはそうですが……」

「だったら、その場合に何が起きるかも調査すべきでしょう。それが〝不思議〟な現象を解明する鍵になるかもしれませんよ」

「確かに……」

 サラがうなずく。

「では改めて、今後の検査方法を考えましょうよ。わたしの印象では、薬師寺さん自身が自分の正体を知りたがっています。本人を交えて検討したって構わないんじゃないですか?」

 龍ヶ崎はさすがに賛成しない。

「本人が別の人格に話すとまずい。まだ、人格間でどのような情報交換がなされているのか、あるいはなされていないのか、全く解明されていないんですから」

「でも、薬師寺氏が殺人現場の写真を見た反応は極めて冷静でしたよ。まるで他人事のように。別人格との双方向のアクセスはないものと考えられませんか?」

「逆に、既に知っていることだから動揺しなかったのかもしれない。私には、冷静すぎて不自然だと思えるんですが」

「そういう考え方もできますね。でも、生体反応の計測値には嘘をついている兆候は一切現れなかったじゃないですか」

「仮に本人が他人格に知らせる気がなくても、別人格の側からは薬師寺氏の知識を覗き見ることはできるかもしれませんし……」

「わたしが見る限り、計測データはそれを否定していると思いますが……」

「いや、わずかながら反応が出てるように見えます。特に朝比奈さんは、古い映画なんかで脳波が活発になっています。ほら、この辺り」龍ヶ崎がモニターを示す。「他の人格でも、顕著ではありませんが、変化はあります。これって、無意識のレベルでは各人格が薬師寺氏と結びついているってことではないでしょうか」

 サラは納得できないようだ。

「この程度で、有為な反応といえますかね……? 微妙すぎませんか?」

「その辺は解釈次第でしょうね」

「もっと精度の高い検査や詳しい面談が必要だと思います。一応それぞれ独立した人格のようですし、登場時の声のストレスを計測していますから嘘も発見できるでしょう。ちょっと卑怯ですけど、罠をかけてでも各人がどのような関係になっているか厳密に特定するべきだと思うんです」

 大前が言った。

「ですね。まずは、本人を含めて5つの人格がどう絡み合っているのか解明したいですね。その上で、どうすれば殺人事件の〝不思議〟さを実現できるか特定すれば、自ずと〝犯人〟の正体は明らかになるでしょう」

 サラがうなずく。

「本当に各人格が連携できるとしたら、かなりの脅威ですものね。四肢に配分された人格には、それぞれ特技があるようですから。彼らの技能を組み合わせれば、一見不自然な殺人も可能なんじゃないんですかね。詐欺師に時計職人、そしてプログラマー――売春婦が特技と呼べるかどうかは、微妙ですが」

 龍ヶ崎が応える。

「彼女は売春婦といっても、頭が悪いとはいえません。むしろ、人心掌握の手練手管に優れているようです。これって、ソーシャル・エンジニアリングの基本的才能ですよ」

 ソーシャル・エンジニアリングは、人間の心理的な隙や行動のミスを誘って秘密情報を奪う手段だ。例えば、ATMの暗証番号入力を後ろからのぞき見ることもその範疇に入る。ハッキングの常道であり、古典的な方法なので逆に盲点にもなりやすい。売春婦であれば、色仕掛けで情報を聞き出す可能性も広がる。

 サラも考え込む。

「刑部の詐欺スキルと補完し合うと、確かに恐ろしいですね」

「被害者3人に対しても、警戒心を弱める力になったかもしれない。彼らは皆、自宅で殺されていた。騙して部屋に入ることさえできれば、脱出時に様々な偽装を施すことも可能かも……」

「他の2人の能力もあれば、できることはもっと広がりますよね。時計職人の精密さがあれば鍵も開けられるかもしれないし、ハッキングで警報類を解除できるかもしれないし」

「それをしたのだとすれば、彼らを協調させる統率力を備えた人格があるってことですよね」

 大前が疑問を口にする。

「しかし、刑部はなぜ自分は詐欺師だと認めたんですかね……? 犯罪的スキルを知られたら、殺人犯だと疑われかねないのに……」

 サラが言った。

「わたしもずっと考えていました。類似症状の過去の資料も当たりました。薬師寺氏の場合、架空の人格が自身の存在を確認したがっているように思えます。存在があやふやなことに苛立っているというか……ですから、嘘をつく余裕もないんじゃないでしょうか」

「たとえ詐欺師であろうが、正体不明の曖昧さよりは受け入れやすいってことですか……」

「まず腕の2人、刑部さんと朝比奈さんを同時に起動してみませんか?」

 大前が身を乗り出す。

「方法は?」

「電気刺激が妥当かと。双方に電極を貼り付けておいて、同時に微弱な電流を流していきます」

「なるほど。興味がありますね」

 龍ヶ崎が加わる。

「実行するとして、薬師寺氏にはあらかじめ知らせるんですか?」

「できれば、今回は内緒にしておいたほうがいいと思うんですけど。彼が全人格を制御している可能性もまだ否定できませんから」

「具体的にはどうやって?」

 大前が言った。

「睡眠導入したうえでの脳波検査だと説明すればいいのでは?」

 サラがうなずく。

「電極を貼る程度の刺激では人格起動は起きないでしょうからね。そのまま電流を流していけば、2つの人格が同時に目を醒ますかもしれません。状態が変わっていく過程の脳波も計測できますしね。どうですか、龍ヶ崎さん。試しても構わないでしょうか?」

「その程度の検査なら、問題はなさそうですね。調査を進めるためにはやむを得ないでしょう。薬師寺氏の人権は、すでに大きく制限されているわけですし」

 サラが大前を見る。

「で、お願いがあります。朝比奈さんには今まで女医が対応したことがないということで、過度に刺激しないようにわたしは姿を隠してきましたけど……」

「一度、女医に過剰反応を起こしていますからね。極めて暴力的になったということです」

「それでも、今回はわたしに面接をやらせていただけないでしょうか? すごく興味があるんで」

「大丈夫……ですか?」

「暴力的な患者の対応には自信があります。それに、安全対策はちゃんと取られているじゃありませんか」

 大前がわずかに考える。

「そういうことでしたら……」椎名に目を向ける。「僕からもお願いしたいですね。そろそろ同性への反応も知りたいし、サラ先生はもはやオブザーバーとも言い切れませんからね……」

 サラは言った。

「所長のご意見は?」

 椎名がため息をもらす。

「患者の検査については君たちの判断に任せるよ。私はそっちの専門家ではないんでね。それにしても、薬師寺氏の存在は、まさにオカルティックだな……」

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