第26話 決着

 森から坂道に出るまでにかかった時間は僅か三十秒。しかしその僅かな時間の間に日はすっかり暮れていた。西の果ての空に覗く僅かな朱色が、辛うじて夜になりきっていないことを証明している。


 冥月は坂道を見上げる。そこには九音が呆然と空を見上げていた。彼我の距離は百に満たない。


「……どういう事?」


 冥月を見下ろす九音の表情に困惑が浮かぶ。それを見た冥月は口元に薄い笑みが浮かべる。


 刀を大きく上に振り上げ、冥月はありったけの霊力をその刀身に注ぎ込んだ。その卓越した霊力操作技術によって、一点の光すららされる事無く刀は膨大な霊力を蓄えていく。


「これを防ぐことが出来たなら、解説して差し上げます」

「――――!!」


 ただ振り上げられた刀から赤い光が巨大な刃を形づくるのを見た九音は驚きに目を見張り、慌てて作業服のポケットから何かを取り出した。それが何なのか、瞬時に武は看破する。


(赤い手鏡!)


 夜闇の中、九音が手鏡を突き出す。同時に冥月が刀を握る両手に力を込めて――


葬奏そうそう――――『神威かむい』!!」

「『ぜつ』!!」


 かつて武が放った空間をも断ち切る一撃には及ばないまでも、膨大な霊力と緋剣の力が混じり合った紅い光刃が言霊と共に振り下ろされた刀から放たれ、地に亀裂を入れて九音の元へと迫る。


 そして武はその瞬間を感じた。九音の持つ手鏡の前方の空間が歪み、直進する光刃の進路を無理矢理捻じ曲げさせようとしている。事前にしゅが込められていたであろうその手鏡は、鏡面にひびを入れながら遂に紅の刃を空間の歪みに巻き込み、そしてその軌跡を捻じ曲げた。


 光が収まり、荒い息をつく九音と冥月。二人の間には一直線の広く深い溝が生まれていた。


 カラン、と冥月の手から刀が落ちる。そして冥月は自らの体より噴出した白い霧のような何かに包まれた。その霧は内側に引きずり込まれるようにして消えていき、霧の中から冥月の代わりに武の姿が現れる。


「御疲れ様、冥月」


 武は地面に転がる刀を一瞥いちべつし、視線を九音に向ける。荒い息をつきながら身構える九音を見て、武は両手を上に上げた。


「…………?」

「約束だったよね。質問があるなら答えるよ」


 きょとんとする九音。しばらく息を整えてから、おもむろに彼女は口を開く。


「タケルは何をしたの?」

「それは、この空間のこと?」


問い返す武。九音は静かに頷いて見せる。


「自分を中心に一定の空間を切り取って、空間内部の時間進行を速めたんだ。それが僕の異能ちから、『加速するファスト・フォワード』」

「……もっと分かりやすく言って」


不機嫌そうに武を見る九音。その反応に苦笑して噛み砕いた説明をする。


「僕達は時間という船に乗って、川をくだっていると考えてみて。この時間という船の速さは一定だ。だけど僕はその船を加速させて、より早く下流――未来に辿り着かせることが出来る。僕が切り取ったこの空間は、外の何十倍も時間が速く流れているんだ。簡単に言うと、この中で体感時間が十分じゅっぷん過ぎる間に、外では何時間も経っていることになる」

「……!」

「浦島太郎の竜宮城って言った方が分かりやすかったかな。なら、僕達の狙いは当然――」

「――時間稼ぎ」


 オンッ――!

 九音が呟くと同時に空間が戦慄わなないた。ドーム状のもや――時間のずれによって出来た壁が消えていく。


 九音がそれを理解してしまう前に武は動いた。日が沈んだ今、夜の魔人ヴァンパイアとしての力を使うことに不自由は無い。全身に霊力を循環させて身体能力を跳ね上げる。九音に一瞬で肉薄した武は、九音の右腕を取り、足を払って尻餅をつかせた。


 いきなりの事に呆然とする九音を武は押し倒し、腹の上にまたがって両手の手首を抑え込んで動きを封じる。


 ちょうどその時、坂の上から幾人もの足音が聞こえてきた。懐中電灯に照らされ、増援の到着に武は安堵あんどの息をき――


「た、武が女の人を襲ってる!!」


 武は盛大に噴いた。つばが散って九音が迷惑そうな顔をする。叫び声を上げたのは右手に木刀を、左手にライトを持った愛音だった。


 次いで命と何人かの異族、六花とクリスまでもが坂道をくだってきた。


「武。合意の上でないと犯罪だぞ、それは」

「武さん。今なら間に合います。自首しましょう」

「ふむ。こういう女子おなごが武の好みじゃったか」

「何で皆そんなに息ぴったりなんですか!」


 六花、クリス、命に追撃を受けて武が大声を上げる。『真血ブルーブラッド』に血を使ったせいか、それとも魔法を使った代償か、武は軽い目眩めまいに襲われた。その次の瞬間、視界が真っ白になる。


 それが雷撃を受けたのだと気付いた時には、武は九音の上に倒れ込んでいた。


 九音は武ののどを右手でつかんで体を起こし、殺気立つ周囲をにらみつける。


「動かないで。動いたらタケルののどにぎつぶす」


 武の首を掴んだまま立ち上がる九音。それを取り囲む者達は一歩後ろに下がり、異族の何人かが低い唸り声を上げる。膠着こうちゃくする場を破ったのは、人質にされた武だった。


「……やって、みろ……」


 のどつかむ九音の手を引きがそうとしながら、武が蚊の鳴くような声を出す。


「僕は、吸血鬼だ……そのぐらいじゃ、死な、ない……」

「――!」


 愛音がライトを落として木刀を、六花は拳を構え、異族達は爪や牙をあらわにし、中には空中に猛火を生み出すものまでいた。空気が張り詰め場が一触即発となる。


 最初に動いたのは九音だった。左腕を振るってごうふうを生み出し、取り囲む異族達の半数を吹き飛ばす。次いで六花と愛音が九音に襲い掛かり、九音は武ののどから手を離して二人の攻撃を両手でガードする。


 だが、九音に出来たのはそこまでだった。背後から跳びかかってきたクリスに九音は首元をみつかれる。刃をも通さぬ肌が吸血牙にけい動静脈どうじょうみゃくを食い破られることは阻止したが、それでも首元から血がにじむ。


 ――――そして、それだけでクリスには充分だった。


 九音はクリスを振りほどき、二歩、三歩よろめいて地に倒れ伏す。そのまま九音はピクリとも動かなかった。むせながらその様子を見ていた武はクリスの顔を見る。


「……『侵血コールドブラッド』。血を媒介ばいかいに他人を操る、それが私の能力ちからです」


 そう言って小さくクリスは笑う。だが、武にはクリスが無理をして笑っているようにしか見えない。


 ふと以前クリスが言っていた言葉を思い出す。


『何となく出来る気になって、実際にやってみたら出来た、というのが私の感想です』


 クリスが能力ちからを発現した際に何が起きたのか、武は聞かなかった。だが、何が起きたのかは容易に想像がつく。


 ようやくむせるのが止まった武はクリスに精一杯の笑顔を向けた。


「クリス、ありがとう」

「……ふぇ?」


 ほうけたような声を出すクリス。思ってもみない反応に武も首を傾げる。


「あ、あの、武さんは怖くないんですか?」

「怖いって、どうして?」

「だって、私にまれたら私の言いなりになっちゃうんですよ!?」

「……それがどうかしたの?」


 必死になって言いつのっていたクリスが目を丸くして言葉をくす。その様子が可笑おかしくて、武は思わず忍び笑いをらした。


「な、なんで笑うんですか!」


 半ば本気で怒ってくるクリス。その剣幕に押されて、武は困ったように苦笑を浮かべる。


「だって、怖がってるのはクリスの方じゃないか」

「あ……」


 クリスが息を呑む。武は立ち上がると放心したクリスの頭をそっと撫でる。


「だから、僕はクリスの事を信じてる。安心して。僕はクリスを怖がったりしないから」


 クリスの目尻から一滴の涙が零れ、頬をつたう。次いでクリスは武に抱きつき、その肩に額を当てて嗚咽おえつを上げ始めた。


「約束してくれたよね。ずっと隣で支え続けてくれるって」

「はい……っ、……はいっ!」


 一層強く抱きしめてくるクリスの背中を撫でる。やがて嗚咽おえつが聞こえなくなり、クリスがそっと顔を上げる。


 そして次の瞬間。クリスの顔が武の視界を埋め、唇に柔らかい感触が当てられた。クリスの抱きしめてくる力が強くなり、胸元に温かく柔らかいものが押し付けられる。


「あああぁぁ!?」


 愛音の絶叫が響き渡る。だがクリスはそれに構わずキスを続け――突如、力づくで二人の間に割り込んできた者がいた。小さな背丈と雪のように白い髪。六花だ。


 クリスを押しのけた六花は爪先立ちになり武の首に両手を回して唇を重ねてくる。更に、以前と同様口の中に舌を割り込ませてきた。武の口内で二人の舌がねっとりと熱く絡み合う。


 武が目を白黒させていると、今度はクリスが六花と武を引きがした。そして武の唇をクリスと六花が交互に奪い合い――


「むっきゃああああっ!」


 その様を見ていた愛音が壊れる。雄叫おたけびを上げた愛音はクリスと六花から武を引き離し、無理矢理武の唇を奪う。


 そして、武の奪い合いが始まった。

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