第25話 決戦

 坂をくだろうと足を踏み出すと危うく山の斜面を転がり落ちそうになり、竹林に一歩踏み込めば何も無い空間に放り出され、アスファルトの地面に叩きつけられる。


 何も無いように見える空間を目には見えない大きな岩らしき物体が道を塞ぎ、別のルートに入ろうと向かう方向を変えた途端、山の中を流れる小川へ足を突っ込んだ。


 坂の上、山裾やますそにある屋敷を文字通り中心にえたしゅは、九割九分の確立でとんでもないところに空間を繋げ合っていた。


 土の中に繋がってしまって進めないのが大半。辛うじて行き来できる場所も宙空に繋がっていることが多く、五十メートルほど落下する事も珍しくはない。霊力で強化した体が傷を負う事はなかったものの、服は汚れてあちこちがほつれてしまっていた。


 だが、いつまで続くのか分からなかった迷走も遂に終わりを迎える。屋敷へ続く坂道の中腹で、ようやく武は女と相対した。


 青い髪の女は灰色の作業着に身を包んではいたものの、右腕は肩の辺りから肌があらわになって所々青く変色し、左腕の服には血がにじんでいた。そのほか服があちこち裂け、赤いミミズばれがその下からのぞいている。


 彼我ひがの距離は五十メートル程度。このまま一歩でも踏み出せば、また空間を跳んで二人はわかたれてしまう。武は両手を下ろし、そっと目を閉じた。


 直後、重い金属をこすり合わせたような甲高く巨大な音が響く。女はとっさに構えるが、それよりも異変の方が早かった。武を中心に薄くきらめもやのような物が広がっていく。


 もやのような物は武を中心とした巨大な半球状のドームを形成した。武の手から白い式神がひらりと舞い、一直線に女のもとまで飛んでいく。女はとっさにその右手を振るって目の前に飛来した式神を切り裂いた。


 最早疑いの余地もなく、武と女は同一空間内に存在していた。武は刀の先を鬼に向け、思い切り声を張り上げる。


「われは防人さきもり! 神木かみきが防人の一人、坂上武!」

「……わたしは、。四季の一つ、春をつかさどる鬼。名は九音くおん


 呟くように静かに告げられた名乗りは、澄み渡る鈴の音の様に武の耳へと届く。満身まんしん創痍そうい風体ふうていながら、精神にはまだ多少余裕はあるようだ。


「九音、さん……どうしてあなたは町の結界を壊そうとするんですか?」

「…………」


 武の問いに九音は無言で首を横に振った。


「言えない、ですか?」

「……」


 肯定も否定もせず九音はただ目を伏せる。そして再び九音が目を上げた時、武の目には彼女が今にも泣きそうな迷子のように見えた。


「……ごめん、なさい」

「――――!!」


 呟きと共に虚空へ向かって雷撃が飛ぶ。それは半球形のドームに直撃し、その空間を僅かに揺らがせた。


 だが、それだけだ。ドームに波紋が広がるだけしか影響はない。全力で雷を放ったのであろう九音は驚きに目をみはる。


 武は左腕の手首に刀を当て、力を入れて刀を引いた。傷口から血があふれ、それはまるで虫の群れのようにうごめきながら刀の表面を覆っていく。血が刃を多い尽くしたのを確認して、武は魔法を使い傷口を簡易止血した。


 血でむしばんだ物を強化する。これが武の吸血鬼としての能力ちから、『真血ブルーブラッド』だ。


 完成したけんを武は目の前の地面に突き刺す。手を離しても能力ちからとどめられる事を確認して、武は静かに目を閉じた。


「後は、よろしく」

(はい、主様)


 次の瞬間、武の存在が裏返った。


 武は自らの内より噴出ふきだした白い霧に全身を覆われる。そして霧は一瞬の膨張の後収縮し、武がいた場所には黒い着物姿の冥月が浮いていた。


「…………誰?」


 九音にいぶかしげな目を向けられて、冥月は優雅に一礼する。そのさまを、武は何不自由なく認識していた。


 目は見えない。存在の表と裏がめくれ返り、武は実の世界より虚の世界に裏返ったのだ。


 そこには光も、音も、匂いも、何も無い。虚の世界において五感に意味など無く、ただ自身の内側に意識を向けるしかない。にも関わらず、武には実世界そとからの情報が流れ込んできた。


 元より全てが裏側なのだ。当然世界も自らの外ではなく内に在る。


銘刀めいとう、冥月。以後よしなに」


 冥月が刀を抜き、一振りして土を払う。その顔に浮かぶのは涼やかな笑みだ。


 冥月が緋剣を握り締めたのを確認して、武はうちに向かって霊力を放出する。その霊力は冥月の内より溢れ出し、あかい刀身を白のきらめきで覆っていく。


「……ここから、出して」

「お断りします」


 九音と冥月の間に緊張が走る。九音の目つきが鋭くなり、冥月は血刃を構えた。


「……あなたに勝てば、ここから出られる?」

「わたくしには分かりません。それを決めるのは主様です」

あるじ……タケルの事?」


 冥月は答えない。その顔に薄く笑みを浮かべるのみだ。


「……これが最後。ここから出して」

「お断りします」


 九音の右手が空をぎ、その直後轟風ごうふうが吹き荒れた。全てを吹き飛ばそうとする風に、冥月は抗おうとせずに身を任せ、上空へと舞い上がる。


「……しまった」


 九音が小さく呟く。冥月は落ちてこない。ただ宙に浮いて九音を見下ろしている。雷撃が下から数度飛んできたものの、宙を滑るように舞う冥月には当たらない。


 やがて九音は冥月を無視する事にしたのか坂を駆け上がり、空間をへだてる壁に右手を叩き付けた。


 だが、その一撃ももやのような物でできた壁を僅かにたわませて小さな波紋を浮かべるのがやっとだった。


「さて。力づくで時の壁を破壊できるとは思えませんが」

流石さすがに領域の耐久実験なんてやったことが無いからね。とりあえずめさせよう)

うけたまわりました」


 武の言葉に応え、冥月は両手で刀を握り締め、九音に向かって落ちていく。壁を両手で引き裂こうとしていた九音は横に退すさり、上空から降ってくる白い斬撃から身をかわそうとした。


「――『羅刹らせつ』!」


 冥月の発した言霊ことだまに応じ、振り下ろされた刃から白光がほとばしる。地面に二十メートル程の深い亀裂きれつきざんだその一撃は、九音の右腕をかすめ一筋の紅を走らせた。


 ざんせつが一、羅刹。刀に込めた霊力を、刀を振るう瞬間に解放して斬撃を強化するわざ。基礎中の基礎となる業だが、武が流し込んでくる莫大な霊力と刀身を包む血の力によって、それは比類なき凶刃を放つ業へと純化していた。


 九音が左手を後ろに引く。冥月はとっさに刃の先を九音に向けた。九音が左腕を振るったその瞬間、稲光いなびかりが冥月の構える剣先で弾ける。


「――!?」

「そう驚く事では無いでしょう。金は木につ。あなたがもちいた法則です」


 生きてきた年月は二桁に満たない冥月だが、与えられた命の知識によってしゅを扱う事にはけていた。金気によって展開された不可視の壁は、二度三度とほとばしる木気の雷撃を完全に防ぎ切る。


 九音は雷撃を諦め、代わりに突風を叩きつけて来た。しかしそれもまた金気を込めた刃の一振りに両断される。


 冥月は武から流し込まれる霊力を刀に込め、白光の刃を幾筋も放って九音が近寄らないよう牽制けんせいする。様々な軌跡を描いて飛来する剣閃をかいくぐる九音の姿を見ながら、冥月はため息をく。


「まさか、わたくしがわたくしを振るう日が来るとは思っても見ませんでした」

(やっぱり不安?)

「はい。初めての実戦ですから」


 そう。冥月は武器として振るわれた経験はあっても武器を持って戦った事など無い。


 今までの経験から武の送る霊力を制御する事は出来ても、踏み込み、体重移動などの諸動作はまるきり素人しろうとのものだ。当然、剣術としての要素が加わる業は使えない。


 病院で武が冥月との入れ替わりを実験した時も、冥月に武が教えられた技は三つだけだった。


「……?」


 突如攻撃がんだ事に九音は戸惑う様子を見せる。が、直後九音は一歩強く踏み込み、百の距離を僅か一秒で詰める。


 冥月は冷静に刀を突きつけ、雷光を帯びた拳を不可視の壁で防御した。攻撃を止められた九音は冥月の目前で動きが止まる。


しょうの三・裏――――」


 九音は一歩下がり、後ろに跳ぼうとする。だが、冥月が突きを放つ方が早かった。


「――『神墜しんつい』!!」


 僅か一歩、素人の冥月にはその一歩を踏み込む事が出来なかった。僅差きんさで刀の切っ先は作業服のボタンに触れるにとどまる。

 剣先に蓄えられた霊力が全て振動に変換され、次の瞬間にはボタンが砕け散った。もし冥月が後一歩踏み込んで突きを放っていたならば、壊れていたのは九音の体であっただろう。


 二人の動きが止まる。先に硬直こうちょくから抜け出したのは九音の方だった。胸元に突きつけられた血刃に九音は今度こそ後ろに跳んで距離を離す。九音は幾度もステップを踏み、彼我ひがの距離をおよそ二百にまでけた。


 『羅刹らせつ』では届かない。『神墜しんつい』は触れなければ使えない。そしてこれだけの距離、最後の切り札はてられる自信が無い。


 武に教えられた業は全て封じられた。だが、冥月の顔に浮かぶのは――笑み。


「本領発揮、といきましょう」


 剣先に属性を与えられた霊力が集束する。それは刃を覆う青い業火と成り――


「――『まり』」


 空を切る刃の先から巨大な青い炎の球体が放物線を描く。地面にぶつかった炎球は二つに、四つに、バウンドしながら分裂を繰り返す。


「――――!!」


 それらが九音の足元に迫った時には、既に地面を進む炎の絨毯じゅうたんが出来上がっていた。九音はそれを跳び越えようと地を蹴り――次の瞬間、無数の炎があみのように九音を包み込む。


 命から与えられた膨大な知識は冥月の人格形成促進のみならず、高度なしゅを自在に扱うことを可能とした。空中に跳び上がった九音を球形に包み込んだ炎はうずとなって中心に集束し――九音の進行方向にあった炎がごうふうに吹き飛ばされる。


 それを見た冥月は変わらず笑みを浮かべている。真っ直ぐに九音に向けられた剣先には漆黒の霧が渦巻いていた。


「――『黒水くろみず』」


 霧はより濃く、より大きくなりながら九音に迫る。大気中の水分を取り込みながらあらゆる物をてつかせる漆黒の水球となって着地したばかりの九音を襲う。とっさに九音は横へと跳び――


「――『ばく』」


 漆黒の球は自らはじけ飛び、周囲に薄い黒の風として広がる。土を、草を、木々の表面をしもが覆い、九音もこおりついてこそいないものの動きが鈍る。


 急激な気温の低下によって、周囲は濃い霧に包まれた。互いに相手が見えなくなり、冥月は更に刃を一閃する。


「――『風塵ふうじん』」


 言霊と同時に巨大な風が吹き荒れる。木々をなぎ倒すほどの質量を持った風が、冥月の前にある霧を吹き散らし――右手に光を宿した九音が宙に舞う姿をあらわにした。


 九音の右手にある光が雷であることに武が気付いた時には、九音は遥か先に転がっていったところだった。


 半球状の壁を破壊しようとしていたところを見る限り、全力の雷撃には数秒のめが必要とされるようだ。冥月は先にしたように、剣先に金気へと変換した霊力を集中させて防ごうとし――


(危ない! 飛んで!)

「――え?」


 頭に響いた武の声に冥月は反応できなかった。九音が右腕を振るい、冥月の傍の地面に巨大な雷のやりが着弾する。


「あアああアぁぁッ!?」


 冥月の悲鳴が上げる。落ちた雷が地面の表層をつたい、感電したのだ。冥月は刀を杖代わりにして片膝を突いた。


(冥月!)

「だいじょうぶ、です……」


 体のあちこちを痙攣けいれんさせながら、冥月は立ち上がり刀を右手にぶら下げる。よろめいていた冥月の体が突然のごうふうに紙切れのごとく吹き飛ばされ、道の横にある森の中に突っ込んだ。


(交代して冥月! 僕が相手をするから、無理はしないで!)


 木の枝に引っかかった冥月に武は必死になって呼びかける。だが冥月は静かに首を横に振った。


(どうして!?)

「主様は心配のし過ぎです。この程度、少ししびれただけに過ぎません……」


 冥月の体が宙に浮く。確かに痙攣けいれんはもうおさまったようだった。右手は強く日本刀を握り締め、宙に浮いた冥月は地に降り立つ。


「刀に金気を込めていたのが幸いでした。わたくしが受けたのは電撃の極一部だったようです」


 冥月はゆっくりと元の坂道の方に歩き出す。だが、その足取りは重い。まだダメージが抜け切っていないのだ。


(冥月、そっちにいったら九音が……!)

「ええ。ですがあと少しです」


 木々の間から冥月が空を見上げる。いつの間にか空は薄紫色に染まっていた。


「さあ、うたいましょう――」


 冥月がいつになく興奮している。当然といえば当然だ。これから冥月は告げるのだから――


「――わたくし達の、勝利を」

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