第22話 次の標的



 病み付きになりそうな快感を分かち合う行為を終えた二人が肩を寄せ合って余韻よいんに浸っていると、急に入口のふすまが開かれた。武は慌てて襟元えりもとを正す。部屋に入ってきたのは、満足気な顔をした六花と幽鬼を思わせる青い顔をした愛音だった。


 愛音は身を投げ出すように畳の上に倒れ込み、六花は武とクリスの顔を交互に見て怪訝けげんそうな顔をする。


「どうしたクリス? 顔が真っ赤だぞ。……まさか、武とキスでもしたか?」

「ち、違います。これは、その、武さんの血を……」


 六花の言葉にクリスが弁明する。その顔はおろか耳まで真っ赤になっていた。六花にしろクリスにしろ、肌が白いと動揺がすぐに顔に出るので分かり易い。


「ああ、なるほど。武の血を抜いているところにオレ達が来たわけだ。……ところで、血を吸っているのを見られるのとキスしているところを見られるの、どっちが恥ずかしいんだ?」

「そんなの、血を吸っている方に決まってます!」


 即答だった。確かに血を吸ったり吸われたりしている時は完全に無防備だ。それどころか、快楽に酔った顔を見られるというのは想像するだけで恥ずかしい。まあ、人前でキスというのも恥ずかしい事ではあるのだが。


「それはそうとして、リカ姉、愛音に何したの? さっき一度痙攣けいれんしてから動かなくなってるけど」

「オレ特製のジュースを試飲してもらっただけだ。安心しろ、感染はしない」

「た、武さん。愛音さんの生気がどんどん小さくなってます……!」

「大丈夫……だとは思う。今まで死者は出ていないから。それと今リカ姉は何も持って無いから、僕の影に隠れなくてもいいんだよ」


 緑の泡を吹いている愛音に心の中で冥福を祈る。六花特製の地獄料理『無間むげん奈落ならくシリーズ』は、まず見た目からしておかしい。大抵の場合黒か紫の煙を吹いている。その味はというと、思い出すだけで昇天出来るくらいにやばい。


 何より恐ろしい点は、このシリーズに対して六花が耐性を持っていることだ。あじ音痴おんちという訳でもないのに、六花にとってそれらは少々味の悪い料理に過ぎないらしい。それどころか食した者の身をさいなむ頭痛、腹痛、悪心おしん、幻覚などの諸症状が六花には現れない。そのため六花は被害者いけにえの心情をみ取る事が出来ず、むしろ倒れ伏す被害者いけにえの姿に嬉々として新たなシリーズを作り出してくる。


 とりあえずティッシュで愛音の口元の泡をき取り、がちがちに固まったその体を抱き上げる。布団の上に降ろすと、愛音の体が転がった。擬音で表すなら、コロン、と。まるでせみの抜け殻のように。


 一応着物のおびゆるめて首元を開き、息をしやすいようにしてやってから、戻した時に窒息しないよう体を横向きに寝かせなおす。


「あ、あの……もしかして、ここではこういう事が普通なんですか?」


 若干顔を青くしたクリスが震える声で尋ねてくる。


「まあ、騒ぎが起こるのは日常にちじょう茶飯事さはんじ……かも」

「良くある事だな」


 クリスの顔がすっかり青くなる。だが武達も嘘をいている訳ではない。


「大体、よく分からない怪異や事件なんざ、ニュースや新聞でよくやってるだろ」

「まあ、ここまで酷い事は早々無いから安心して」

「安心なんて出来ませんよう……」


 そう。騒ぎが起こるのはこの屋敷に限った話ではない。この町では普通に異変や怪異が闊歩かっぽしている。ましてこの屋敷は町の中心にして最大の異界だ。むしろ何も起きない方がおかしいといえる。


「そういえば、あかねやまはどうなったの?」


 すっかり怯えてしまったクリスを見て話題転換をする。六花も武の意図をんで話に乗ってくれた。


「ああ。桜や梅が満開だった。しずやまのこととあわせてテレビで報道もされていたな。まあ、事件の情報は伏せられてはいるから、いつもの騒ぎの一つとしてしか扱われていないけど……」

「けど?」

「樹が言うには、最悪の場合神木町が滅びる、だそうだ」

「……え?」


 唐突過ぎて唖然あぜんとする。季節を盗む事と神木町の滅亡。その関係がさっぱり分からない。


「六花さん。どういう事ですか?」

「さあな。詳しい事を知っているのは命さんと樹だけだ。まだ確証が無いからってオレ達は何も教えてもらえなかった」


 尋ねるクリスに六花が眉を八の字にして答える。命と樹が口をつぐむとなると、よほど深刻な事態が進行しているようだ。


「リカ姉。コレを渡された時、樹は他に何か言ってなかった?」


 武はひらひらと人型の紙――式神を振って見せる。六花はあごに人差し指を当てて視線を宙にさまよわせ、やがて思い出したのか武の持つ式神に視線を向けた。


「確か、あの鬼の報告をしている最中だったな。――そうだ。あの鬼が風と雷を使った事を樹が何度も確認してきた。それから命さんと樹が二人で何か相談して、樹がソレを武に渡すよう言ってきたんだ。あの伝言もその時に頼まれた」

「風と雷……。四大元素エレメンタルの風をつかさどる能力持ちであることは分かるんだけど、それと季節がどう繋がるんだろう」


 鬼――それも大陸で言う幽霊を指す鬼ではなく、日本古来より存在するあやかしとしての鬼。武の魔法の知識では分からない事も、樹の修める陰陽五行のことわりの中では大きな意味を持つのかもしれない。


「季節とこの屋敷の関係は知らんが、オレと愛音は日曜まで屋敷で待機するよう命さんから言いつけられてる。相手の最終目標はこの屋敷なのかもな」

「となると、僕の役割は――足止め、かな」

「ああ。今命さんは北の要石に戦力を集中させてる。次に相手が襲うのは北の要石、つまり冬の季節だ。樹が言うには、季節を盗むのは次で最後らしい」


 六花の言葉に考え込む。盗まれた季節は秋と春。そして冬を盗むのはおそらく二つの季節を繋ぐ為。だが、何故冬なのかが分からない。繋ぐだけなら南――夏であってもいい筈だ。


「あの、いいですか?」

「ん? クリス、どうしたの?」

「どうして武さんが足止めなんですか? また大怪我をしたら……」


 武の左手がクリスの両手で包まれる。空いた右手でクリスの頭を撫で、目を合わせた。


「僕の異能ちからは足止めに最適だからね。それに時間稼ぎだけなら戦わなくても何とかできるよ」

「でも……!」


 いいつのるクリス。その眼前に手を突きつけさえぎったのは六花だった。


「この屋敷は町の力場りきばの中心、神宿やど神籬ひもろぎの封印だ。もしこの屋敷に害が及んだ場合、その影響は町全体の異変として現れるかもしれない。北だっていつ来るか分からない相手に神経とがらせているんだ。もし北が抜かれた場合を考えて保険をかけとくのは当然だろ」


 そう言う六花も不承不承とした態度を隠せていなかった。クリスは武の方に顔を向け直し、静かに口を開く。


「武さんは不安じゃないんですか?」

「うん。戦うのは全然怖く無いんだ。今僕の中には冥月がいるから、誰にだって簡単には負けないよ」


 心の底から言い切った。負けないように戦う限り、あの鬼とて武と冥月を簡単にはくだせない。深夜に病室を抜け出して行なった実験の結果、武はそう確信していた。


 そこでふと気付く。六花とクリスが呆けたように武を見ている事に。


「二人共、どうしたの?」

「武さん、そんな風にも笑うんですね……」

「ふ、不覚……」

「……?」


 胸に手を当てて頬を淡く染めながら二人が何事かつぶやくが、声が小さすぎて上手く聞き取れない。その二人の様子に疑問に思い首をかしげていると、冥月の忍び笑いが聞こえた気がした。


 二人の頭をぽんぽんと軽くで、話を切り上げてノートの写しに取り掛かる。クリスのノートには、幾つにも色分けをされた文字が並んでいた。


(女の子って、よくこんなカラフルなノートで勉強出来るよね……)


 とりあえずシャーペンで通常の部分を、赤ペンで重要単語を、青ペンで注意する部分を書く。複雑に色分けをする必要は無い。二色か三色でノートという物は事足りる。


「あの、武さんはやっぱり将来は医者になりたいんですか?」


 ノートを写していると、六花と雑談していたクリスから唐突にそんな質問が飛んできた。


「うん。一応魔法医ウィッチドクター志望。だけど、普通の医者でいいから母さんの負担を減らしてあげられるようになりたいんだ」


 武の目指すのは優江と同じ魔法医ウィッチドクター。だが、武はいつからか気付いていた。武では優江の様にはなれない事に。


 一週間から二週間に一度屋敷に帰るだけで完全に体調が回復する優江と、一度魔法を使うだけで低血糖を起こし倒れる武。魔法の代償が違いすぎるのだ。とてもではないが、魔法医ウィッチドクターとしてはやっていけない。まして、魔法の対象を――助ける命を選択するなど、武にはとても出来はしない。


「クリスはどう? 将来の夢とかある?」


 これ以上考えていたら暗い感情が顔に出てしまう。そう思いクリスに話を振った。


「私は……まだ、決めていません。母の様に人を助けられる能力ちからも無いですし、医者になって人の命を預かるのは荷が重過ぎますから」

「そっか……」


 医者は万能ではない。元より医者に出来ることなどごくわずかだ。まして病院という場では死に直面した、または手遅れになってからやって来る患者と対面する事も珍しくはない。そうでなくとも、小さな子供は自分から症状を訴えられないため病気が重症化しやすく、出産というのは母子共に命懸けだ。故に、医者になるというのは相応の覚悟が求められる。


「六花さんはどうですか?」

「オレは――」


 言いかけて六花は言葉を切る。ノートから顔を上げると、ちょうど六花と目が合った。六花は頬を僅かに染め、頬をかきながら小さな笑みを浮かべる。


「――今は内緒だ。オレの夢はオレ一人じゃ叶えられないからな」


 にっと笑ってみせる六花。その含みのある言葉と視線に、以前六花が言っていた『絶対の願い』を思い出した。武との子供が欲しいと言った六花。彼女の夢はきっとその願いの先にある。


「……叶うといいね」

「バーカ。叶えるんだよ。自分の手でな」


 六花は自信に満ちた顔で胸を張って言い切った。六花は強い。その事を改めて思い知らされる。


「む。二人だけの秘密ですか?」

「ま、そんなとこだ。うらやましいか?」


 ジト目を六花に向けるクリスと余裕を見せつけるように笑う六花。挑発的な笑みを浮かべ始めた二人の向こうに、武は虎と竜の姿を幻視した。

そして場の緊張が張り詰めたまさにその時――


 ボォォーーーーォォーーン…………


 古い壁時計の鐘の音が場の沈黙を破った。三時を告げる鐘にクリスが小さく息をく。同時に張り詰めた空気が弛緩しかんした。


「武さん。六花さん。私は厨房に行って来ますね」

「美月さんとの約束?」

「はい。そろそろ夕餉ゆうげ支度したくですから」


 クリスはこの屋敷にやってきた日から料理を美月に習っている。最初は味付けが少々濃いように思っていたクリスの料理も今では随分薄味になった。やや甘めの味付けではあるが、それも仕方のないことだろう。長年親しんできた味を舌は求めてしまうものだ。


 それでもこの短期間で屋敷の味にここまで近づけたクリスの努力は相当なものだ。どうしてそこまで頑張る事が出来るのか――それは聞くだけ野暮やぼというものだろう。


 クリスが席を立ち、襖を開けて出て行く。それを見送った六花もまた立ち上がった。


「じゃあオレも部屋に戻るわ。材料の後始末をしないとな」


 材料。何の、とは聞かない。君子危うきに近寄らず。愛音の二の舞になることは絶対に避けなければならない。


「リカ姉、また後で」

「おう」


 振り返ることなく手をひらひらと振りながら、ふすまの向こうに六花の姿が消える。武はそれを見送って、ノートの写しを再開した。

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