第21話 翌日

 再び検査のオンパレードを受けた武が退院したのは、翌日の昼過ぎだった。屋敷に辿り着いた武はどこよりもまず『春の間』へと急ぐ。


 桜の描かれたふすまを開いたとき、武のみならず付いて来ていた六花、愛音、クリスまでもが息を呑んだ。


 その姿かたちに変わりはない。桜が散ることなく咲き誇り、春の草花が緑の絨毯じゅうたんを成している。


 だが、そこにあったはずの『春』は、完全に死んでいた。


 陽だまりの温かさ、木々の枝葉一つ一つにまでみなぎっていた生気、草花と土の匂い、川の。外観こそ変わらぬものの、そういった中身が全て抜け落ちたその空間は最早残骸ざんがいとでも呼ぶ方が相応ふさわしい、そんな有様だった。


「武、そんなに落ち込むな」


 武の右手を取って六花がなぐさめてきた。武は小さく息をいて六花の方に顔を向ける。


「……落ち込んでるように見える?」

「思いっきりな。『春』は無くなった訳じゃない。ただ場所を移されただけだ。時間はかかるが必ず取り戻せる。……ここは今のお前には良くない。『表』に戻るぞ」


 六花は武の手を引っ張り『春の間』から出るとふすまを閉じた。六花に促されるまま螺旋らせんの階段を上って行く。


「でもさ。どうしてあの鬼は季節を盗むなんて事を始めたんだろうね」

「分からん。そういうのを考えるのは武や樹みたいな魔法使いの仕事だろ」


 愛音のぼやきに六花が答える。そして三人の視線が武に集まった。


「僕も考えてみたけれど、さっぱり分からなかった。そもそも魔法使いってひとくくりにしてるけど、母さんから教えてもらった僕の魔法と樹の使う日本に根付いた陰陽術でもかなり違うんだ。心当たりを聞くなら樹の方が適役だよ」

「そうか。……そういえば、樹から受け取っていたづるがあったな」


 六花に言われて思い出す。樹から渡されていた式神の事を。


「あれ、上手い事あの鬼が泊まっていたホテルまで尾行出来たらしいんだが、どうやら『外』から来た人間の仲間が一緒にいたらしい」

「あの、それって……」


 六花の言葉にクリスが反応する。


「あの鬼がわざわざ季節を盗むのも、もしかしたら『外』の人間が指示しているのかもな」

「それはしゅで縛られているって事ですか?」

「いや、あれだけ強い鬼を力づくで従えられる人間なんていないだろ。あいつ、多分命さんより強いぞ」

「長よりもですか!?」


 クリスが目を丸くする。命は神籬ひもろぎに宿る神の巫女としてその加護を受けている。それ故に命はこの地の街や野に生きる異族の頂点に立つほどの力を手に入れているのだ。その上をいく存在など、同じ異族である分クリスには余計に想像がつかないらしい。


「考えられるのは三つ。一つは鬼にとって季節を盗む事が大きな意味を持つ場合。一つは人間に勝負事で負けた鬼が言いなりになっている場合。そして最後に、弱みを握られて脅迫をされている場合」


 六花の解説に不思議そうに愛音が首をかしげる。


「勝負って、あの鬼に敵う人間なんていないって言ったじゃない」

「違う。勝負じゃなくて勝負事。古い魔であればあるほど、約束事が持つ意味は重くなる。賭け事なんかに負けて従っている可能性も有るんだ」


 六花が愛音の問いに答える。それは武も優江から聞かされたことがあった。約束、契約、誓約。これらの約定やくじょうは古いモノ、神の座に近いモノ程重い意味を持つという。


 そして、そういったモノ達との戦いは必ずしも暴力を意味しない。知恵比べ、言葉遊び、賭け事、飲み比べ。様々な勝負方法を用い、その約定やくじょうの中で、人間は古くから魔と対抗してきた。


「じゃあ、人間の方を先に捕まえれば――」

「大人しく言う事を聞いてくれるかもな。問題はどうやってその居所を突き止めるかだが……まあ、その辺は他が動いてくれてる。今オレ達に出来ることなんて無い。大人しく朗報を待てばいいさ」


 螺旋塊段を上り、ふすまを開いて『表』に出る。どうにも煮え切らない気持ちを抱えながら、武は深く長い息をいた。


 もう事件は武達の手を離れてしまっている。今回の負傷、そしてまだ実戦に出るには未熟という理由から、武達は今回の事件の担当から外された。


 確かに武達は戦闘能力だけを見るなら神木町随一ではある。だが異族の中には直接的な戦闘を不得手ふえてとしながらも、幻術などを初めとする間接的な攻撃や支援を得意とするモノ達が多数いる。わざわざ相手の土俵で力比べをする必要は無い。


「でも、やっぱり負けっぱなしは悔しいな」


 愛音がぼやく。武も同感だった。我を失い暴走した事、自らをかえりみぬまま重傷を負った事、春を奪われた事、そしてなにより研鑽けんさんを積み絶対の自信を持っていた技がことごとく破られた事――。


 出来るならばもう一度戦いたい。そして、今度こそ勝ちたい。刃を通じさせる手段は理解した。霊力の効率的な運用についても目処めどが立っている。ここまで準備が整っていて、何も出来ないというのは余りにもがゆかった。


 そんな事を考える武の手を引いていた六花が大きくため息をいて立ち止まる。そして武の鼻先に人差し指を突きつけた。


「いつまでもそんな女々めめしい顔をすんな! 愛音もだ! 元々敵わないようだったらすぐに引き上げるはずだっただろ!」


 六花の叱咤しったに不承不承頷く武と愛音。学校という日常に帰る事に対して胸の奥にわだかまるものがあったが、そちらは――あの女の事は頭の中から除外することにした。武の生きる道に、貫くべき意地に、彼女は決してその障害足りえない。


 武の目指す道は、いのちを救い、優江と神木の町を支える道だ。今は力を持つ者として町の防衛の一角に名を連ねてはいるが、の道を歩み続けるつもりなど武には無い。例えどんな力、才能を持っていようと、それに縛られて望まぬ道を歩む必要は無い。それが優江の教えだ。


 ――それでもやはり、悔しいものがあった。殺し合いなど願い下げだが、もう一度勝負してみたいと思うのは、一度武に身を置いた者としてのさがだろう。


 息を小さくいて、今度こそ未練を振り切る。任を解かれた今、優先されるのは学生としての本分だ。

 とりあえずは――


「クリス。休んでた間のノートを見せてもらっていい?」

「あ、はい。ちょっと待っていてくださいね」


 ぱたぱたぱた、と小走りで部屋に向かうクリス。角の向こうにクリスの姿が消えた時、六花がおもむろに口を開いた。


「武。樹からの伝言がある」

「……何て言ってた?」

「『来週までは屋敷から出るな』とさ。それと、預かり物だ」


 そう言って六花が取り出したのは、人型をした手の平ほどの白い紙だった。


 武は樹からそれについて教わった憶えがあった。対となる黒の式神の所まで低速で飛んでいく、案内役の式神だ。術式は既に組み込まれている。作り手である樹の念に応じて、この式神は対の式神を持つ者のもとまで案内してくれる事だろう。


「樹は他に何か言ってた?」

「『念のための保険』とか言っていたと思う。……一応言っておくが、くれぐれも無茶だけはするなよ」

「そうだよ武。もう少し怪我が重かったら、病院に着く前に死んでたかもしれなかったんだから」

「……うん。約束する。絶対に無茶はしないよ」


 六花と愛音の真剣な目に、武も二人を真っ直ぐに見て答える。


「ならいいけど。途中で武が沢山たくさん血をいたときなんて、リカ姉今にも泣きそうな顔してたんだから」

「ちょ、バラすな愛音!」


 逃げ出す愛音と追いかける六花。二人の姿が角の向こうに消える。武もその後を追い角を曲がると、武の部屋の前にノートとプリントを持ったクリスが立っていた。


「あの、六花さんと愛音さん、どうかしたんですか?」

「あー……いつものじゃれ合いだから気にしなくていいよ。それじゃ、借りるね」

「はい。……あの、しばらくお話を聞かせてもらってもいいですか?」

「うん、分かった。部屋に入る?」

「はい」


 ノート類を受け取り、そのままクリスと自室に入った。明かりをつけて部屋の中央にあるちゃぶ台に向かい合って座る。


 そして武が自分のノートをちゃぶ台の上に開いたところで愛音の悲鳴が聞こえてきた。おそらく愛音が捕まってお仕置きを受けているのだろう。


「……あの、武さん」


声をかけられてクリスと視線を合わせる。クリスはどことなく落ち着かない様子で武の方を見ていた。


「吸血衝動の方は大丈夫ですか? かわきを感じているようなら、私が血を吸い出しますけど」

「あ、そっちは大丈夫。冥月が抑えてくれているから」

「そう、ですか……」


 シュンとしてしまうクリス。その様子を見て武は自らの失言に気付く。


「え、えっと、やっぱりお願いしていいかな。冥月に負担をかけ続けるのもよくないし」

「は、はい!」


 クリスの顔が一転して喜色に染まる。吸血行為は食事ではなく愛情表現だという事をすっかり失念していた。


 食事のように生理的な欲求ではないが、吸血行為はクセになる。その欲求を抑えてもらっている武はともかく、明確に好意を示しているクリスが武の血にかれないはずが無かった。


 傍に寄って来たクリスに、武は覚悟を決めて服の肩口をはだけた。クリスがその肩にみ付き、流れ出る血をめる。熱い舌が傷口を行き来するたびに傷口から混じり合った二人の生気が流れ込む。


 しばしの間、艶めかしい舌が立てる音が部屋に響いた。

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