第21話 翌日
再び検査のオンパレードを受けた武が退院したのは、翌日の昼過ぎだった。屋敷に辿り着いた武はどこよりもまず『春の間』へと急ぐ。
桜の描かれた
その姿かたちに変わりはない。桜が散ることなく咲き誇り、春の草花が緑の
だが、そこにあったはずの『春』は、完全に死んでいた。
陽だまりの温かさ、木々の枝葉一つ一つにまで
「武、そんなに落ち込むな」
武の右手を取って六花が
「……落ち込んでるように見える?」
「思いっきりな。『春』は無くなった訳じゃない。ただ場所を移されただけだ。時間はかかるが必ず取り戻せる。……ここは今のお前には良くない。『表』に戻るぞ」
六花は武の手を引っ張り『春の間』から出ると
「でもさ。どうしてあの鬼は季節を盗むなんて事を始めたんだろうね」
「分からん。そういうのを考えるのは武や樹みたいな魔法使いの仕事だろ」
愛音のぼやきに六花が答える。そして三人の視線が武に集まった。
「僕も考えてみたけれど、さっぱり分からなかった。そもそも魔法使いって
「そうか。……そういえば、樹から受け取っていた
六花に言われて思い出す。樹から渡されていた式神の事を。
「あれ、上手い事あの鬼が泊まっていたホテルまで尾行出来たらしいんだが、どうやら『外』から来た人間の仲間が一緒にいたらしい」
「あの、それって……」
六花の言葉にクリスが反応する。
「あの鬼がわざわざ季節を盗むのも、もしかしたら『外』の人間が指示しているのかもな」
「それは
「いや、あれだけ強い鬼を力づくで従えられる人間なんていないだろ。あいつ、多分命さんより強いぞ」
「長よりもですか!?」
クリスが目を丸くする。命は
「考えられるのは三つ。一つは鬼にとって季節を盗む事が大きな意味を持つ場合。一つは人間に勝負事で負けた鬼が言いなりになっている場合。そして最後に、弱みを握られて脅迫をされている場合」
六花の解説に不思議そうに愛音が首を
「勝負って、あの鬼に敵う人間なんていないって言ったじゃない」
「違う。勝負じゃなくて勝負事。古い魔であればあるほど、約束事が持つ意味は重くなる。賭け事なんかに負けて従っている可能性も有るんだ」
六花が愛音の問いに答える。それは武も優江から聞かされたことがあった。約束、契約、誓約。これらの
そして、そういったモノ達との戦いは必ずしも暴力を意味しない。知恵比べ、言葉遊び、賭け事、飲み比べ。様々な勝負方法を用い、その
「じゃあ、人間の方を先に捕まえれば――」
「大人しく言う事を聞いてくれるかもな。問題はどうやってその居所を突き止めるかだが……まあ、その辺は他が動いてくれてる。今オレ達に出来ることなんて無い。大人しく朗報を待てばいいさ」
螺旋塊段を上り、
もう事件は武達の手を離れてしまっている。今回の負傷、そしてまだ実戦に出るには未熟という理由から、武達は今回の事件の担当から外された。
確かに武達は戦闘能力だけを見るなら神木町随一ではある。だが異族の中には直接的な戦闘を
「でも、やっぱり負けっぱなしは悔しいな」
愛音がぼやく。武も同感だった。我を失い暴走した事、自らを
出来るならばもう一度戦いたい。そして、今度こそ勝ちたい。刃を通じさせる手段は理解した。霊力の効率的な運用についても
そんな事を考える武の手を引いていた六花が大きくため息を
「いつまでもそんな
六花の
武の目指す道は、
――それでもやはり、悔しいものがあった。殺し合いなど願い下げだが、もう一度勝負してみたいと思うのは、
息を小さく
とりあえずは――
「クリス。休んでた間のノートを見せてもらっていい?」
「あ、はい。ちょっと待っていてくださいね」
ぱたぱたぱた、と小走りで部屋に向かうクリス。角の向こうにクリスの姿が消えた時、六花がおもむろに口を開いた。
「武。樹からの伝言がある」
「……何て言ってた?」
「『来週までは屋敷から出るな』とさ。それと、預かり物だ」
そう言って六花が取り出したのは、人型をした手の平ほどの白い紙だった。
武は樹からそれについて教わった憶えがあった。対となる黒の式神の所まで低速で飛んでいく、案内役の式神だ。術式は既に組み込まれている。作り手である樹の念に応じて、この式神は対の式神を持つ者の
「樹は他に何か言ってた?」
「『念のための保険』とか言っていたと思う。……一応言っておくが、くれぐれも無茶だけはするなよ」
「そうだよ武。もう少し怪我が重かったら、病院に着く前に死んでたかもしれなかったんだから」
「……うん。約束する。絶対に無茶はしないよ」
六花と愛音の真剣な目に、武も二人を真っ直ぐに見て答える。
「ならいいけど。途中で武が
「ちょ、バラすな愛音!」
逃げ出す愛音と追いかける六花。二人の姿が角の向こうに消える。武もその後を追い角を曲がると、武の部屋の前にノートとプリントを持ったクリスが立っていた。
「あの、六花さんと愛音さん、どうかしたんですか?」
「あー……いつものじゃれ合いだから気にしなくていいよ。それじゃ、借りるね」
「はい。……あの、しばらくお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「うん、分かった。部屋に入る?」
「はい」
ノート類を受け取り、そのままクリスと自室に入った。明かりをつけて部屋の中央にあるちゃぶ台に向かい合って座る。
そして武が自分のノートをちゃぶ台の上に開いたところで愛音の悲鳴が聞こえてきた。おそらく愛音が捕まってお仕置きを受けているのだろう。
「……あの、武さん」
声をかけられてクリスと視線を合わせる。クリスはどことなく落ち着かない様子で武の方を見ていた。
「吸血衝動の方は大丈夫ですか?
「あ、そっちは大丈夫。冥月が抑えてくれているから」
「そう、ですか……」
シュンとしてしまうクリス。その様子を見て武は自らの失言に気付く。
「え、えっと、やっぱりお願いしていいかな。冥月に負担をかけ続けるのもよくないし」
「は、はい!」
クリスの顔が一転して喜色に染まる。吸血行為は食事ではなく愛情表現だという事をすっかり失念していた。
食事のように生理的な欲求ではないが、吸血行為はクセになる。その欲求を抑えてもらっている武はともかく、明確に好意を示しているクリスが武の血に
傍に寄って来たクリスに、武は覚悟を決めて服の肩口をはだけた。クリスがその肩に
しばしの間、艶めかしい舌が立てる音が部屋に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます