第19話 戦闘



「なにが目的だ? ……って聞いても返事してくれそうに無いな、その顔は」

「……」


 六花が話しかける。が、女は無言で要石に向かって歩き始めた。その赤い瞳には静かな強い意志が見て取れる。


 異族との共存をうたう神木町を快く思わない人間が『外』に多数いることは武達も聞いている。人間が原因で起きた事件も山ほどある。だから、今回の事件も人間の仕業だと決めつけていた。だがその予想に反して犯人は異族、その中でも伝説でしか聞いたことのない鬼という最高位のあやかしであった事に武は動揺する。


「ちっ。武は大きいのを一発ぶつけてやれ! オレと愛音はあいつの足止めだ!」


 六花の指示に二人は無言で頷く。愛音は木刀の柄を両手で持ち、女の右手側に走り出した。同時に六花も女の左手側に走り出し、女を挟撃きょうげきする。


ざんの一 ――」


 愛音の握る木刀、その刃の部分に白い光が生まれた。神籬ひもろぎの枝からけずりだされたその木刀は、霊力を込めることによりその真価を発揮する。


「――『羅刹らせつ』!」


 愛音が言霊ことだまつむぐ。それを引き金に神速の斬撃が逆袈裟ぎゃくげさに走った。


 同時に女の左手後方に回り込んだ六花が蹴りを放つ。その打点となる部分に霊力を乗せて。


 鉄塊を両断する愛音の剣と、鉄柱をへし折る六花の蹴り。その二つが同時に女を襲い――そしてあっさりと防がれた。


 愛音の剣は右手掌てのひらで、六花の蹴りは左腕でそれぞれ止められている。だが、そこから異常が始まった。


 六花の動きが加速する。それは単に移動速度や攻撃速度が上がっただけではない。攻撃の硬直から抜け出す速さ、体勢を立て直す速さ、後頭部の一つに纏められた乳白色の髪が揺れ動く速さ。一挙一動その全ての動きが加速されている。それはまるでビデオの早送りのように奇妙な加速だった。


 女も常識離れした六花の動きに惑わされているようで、腹に何発か掌打しょうだ蹴打しゅうだを入れられている。


 対して愛音は常に六花の反対側から女に斬りかかり、少しでも多くのダメージを与えようと連撃を繰り出す。白の輝きを宿した木刀は常に最も効果的なタイミングで防御をくぐるように女の体に吸い込まれていく。


 かつて、赤いたまを食した武達はそれぞれ『時』に干渉できる異能ちからを発現した。それが六花の『停滞する刻アクティブタイム』と愛音の『垣間見た刻ヴィジョン』だ。


 六花の『停滞する刻アクティブタイム』は、傍目はためから見ると三倍速のビデオのような動きを可能とする、時間の流れにズレを起こす異能だ。時間の流れに干渉する能力としてはありきたりだが、解っていても攻略が難しい能力でもある。


 そして愛音の『垣間見た刻ヴィジョン』は短期未来の予知能力。愛音が望む未来への分枝ぶんしる事が出来る異能ちから。愛音は予知した自身の行動をなぞることによって、自分にとっての最良の未来を手繰たぐり寄せることを可能としている。


 そしてこれらの異能の最大の利点は、代償がほぼ無に等しい事だ。正確に言えば、周囲の神気を消費してこれらの異能は機能する。そのため神木町を包む結界の内側でしか使えないという制限が付いてしまうが、使用者は代償といえるほどの代償を受けない。


 しかしこれらの反則的な異能を振るいながら、六花達は劣勢にあった。


 六花達の攻撃は確かに届いている。だが、女に傷一つ負わせることが出来ないのが現状だった。


 六花のインパクトの瞬間に霊力を叩き込む技も、愛音の霊力により強化された斬撃も、女になんらダメージを負わせた様子は無い。ぱっくりと裂けた作業着の下には白い肌があらわになっているのみだ。


「冥月。あの人は特別な防御をしているわけじゃないよね」


 距離にして五十メートル前方で行なわれている戦いを眺めながら武が呟く。その答えが握り締めた日本刀から脳に直接響く声として返ってくる。


(余程頑丈な肉体なのでしょう。斬られても皮膚が赤くなっているだけのようですね)

「じゃあ、最初の一撃で決めようか」


 武は冥月の刀身から白いもやの様な霊気をドライアイスのスモークのように溢れさせながら、体を半身にして刀を大上段に構える。


 その行為にはあまりに無駄が多すぎた。冥月の中に注ぎ込まれる霊力の実に二十倍強がもやの様になって、刀の中に納まる事無く拡散してしまっている。


 だが、それでも冥月が蓄えた霊力は甚大。そのもやの中、刀身がまばゆいばかりの白い輝きを纏う。


「行こう、冥月」

(はい、主様)


 爆発的に冥月の放つ輝きが膨れ上がり、十メートルはあろうかという巨大な光の刃となる。


 女の注意が武に向き、その隙に六花が先程までよりもさらに強い踏み込みで渾身こんしんの蹴りを女の膝に叩き込む。


しょうの三――」


 動きが鈍った女を見て愛音は木刀の先に霊力を集中させた。そしてよこぎの一閃が女の胴を捉える、その刹那――


「――『しんつい』!!」


 言霊がつむがれるのと同時に剣先の霊力が衝撃に変換され、斬撃が打撃となって女を襲った。


 流石にこれはこたえたのか、女は顔を歪めて右腕を振るう。ただ空を切るその腕は、しかし巨大な風を呼び起こし、愛音と六花を吹き飛ばした。


 思わぬ反撃ではあるが、それは同時に最大の好機でもあった。吹き飛ばされた二人を巻き込む心配が無くなり、しかも苦痛と反撃のため女の動きが止まっている。


葬奏そうそう――」


 先程以上の霊力が溢れ、霧のようになって武の周囲を包み込む。しかし白に染まる景色の中、武の目は確かに女の姿を捉えていた。元より自らの内からみ上げられた物、その濃淡は武の思うままになる。


 冥月を縦に振り下ろす刹那せつなおごそかに武は言霊をつむぐ。


「――『神威かむい』!!」


 その瞬間、白い霧の中から空間すらも切り裂く巨大な光刃が放たれた。地を引き裂きながら迫る光刃に女は咄嗟とっさに両手を前に突き出す。


「『ぜつ』!!」


 女の声が響き渡り、光が炸裂する。


 視界が白に染まる。数秒してようやく光が収まり視界が晴れた。その瞬間、武は目の前の光景に息を呑んだ。


 女は、両手を突き出して立っていた。それだけなら予想の範囲内だ。鬼は異族の中でも最高位に属する。身体能力は言わずもがな、霊格やしゅの知識と技においても人間とは大きな開きがあるのだ。何らかの術を使って耐えられる可能性は充分にあった。


 武達は女を捕縛する事を目的にはしているが、決して殺すつもりは無い。『神威かむい』では倒せない、そう思ったからこそ武は全力をって先の一撃を繰り出したのだ。


 しかし女は荒い息をいてはいるものの、ダメージらしいダメージは作業着の破れた袖に僅かながら血がにじんでいる程度であった。


 削られた大地、『神威かむい』の軌跡を目で追うと、女の前で深いみぞが捻じ曲がっている。武の渾身こんしんの一撃は、直撃すらしていなかった。


 視線を女の突き出した手に向けると、その手のあいだに銀のきらめきが武の目に映った。それは――


「……鏡?」


 そう、それはやや小さめの手鏡だった。赤を基調に金で装飾された手鏡が、女の手の中から砕け落ちる。如何いかなるしゅが込められていたのかは分からないが、武の攻撃をらしたのがあの鏡であった事は想像にかたくない。


(今の僕の霊力は半分を割った。まだ鏡を持っていたら、完全に負――――)


 不意に武は強い眩暈めまいに襲われた。ゆがむ視界の中、女の手だけがはっきりと像を結んでいる。


 ポタリ、ポタリと血が地面にしたたり落ちている。先の一撃によって手の平に裂傷が出来たようだ。


 止まらない出血を女は無視して手を握り締める。しかし武の目はどうしてもその血にとらわれたままだ。


(ああ、なんて――――美味おいしそう――――)


 女の血、その中には人間とは比べものにならないほど濃密な生気が宿っていた。目にするだけで吸血衝動が暴走してしまう程上質な生気。武はかすむ意識の中、一歩、また一歩と女のほうに歩いていく。


「武!」


 愛音の声が響く。それは武を止めるための叫びだったのであろうが、逆に武はその声を引き金に女に向かって走り始めた。


せつ――」


 女も武を迎え撃とうと半身になってその腕を構える。女の手に光が生まれ、いかずちほとばしる。


(『へき』!!)


 女が手を振るったのと同時に冥月の防御術式が発動した。光速の雷が武の目前で弾かれて分散し、周囲でスパークを起こす。


 女が術を使った反動で硬直しているうちに、武は霊力で強化された脚力をフルに使い女に突進する。


 ――一歩。


(まだ遠い)


 ――二歩。


(まだ――)


 ――三歩。


(もう少し――)


 ――四歩。


(後、僅か――)


 ――五歩。


(ここだ!)

「――『せん』!」


 霊力を込められ白く輝く刃が、女の交差された腕に一筋ひとすじの軌跡を叩きつける。


 しかしその一閃は腕の皮膚の薄皮一枚を切るにとどまった。女は構えをいて右腕を引く。背筋せすじに走る怖気おぞけに従って後ろに跳んだ武の胸に、その掌底が叩きつけられた。


「かはっ――」


 地面をバウンドし、転がっていく。女から三十メートルほど離れたところで武は上半身を起こす。


「げぼっ、ごほっ……」


 胸の辺りに激痛が走り、口元に当てた手に血が付着する。どうやら肋骨と肺がやられたらしい。


 のどの奥をせり上がってくる熱い物を飲みくだし、武は冥月をつえ代わりに立ち上がる。背筋を走る寒気と波打つようにこみ上げる嘔吐感おうとかんが生命の危機を伝えてくるが、それでもなお血を求める飢餓感がそれらを上回った。


(あ……さま……にげ……ださ……)


 冥月の声が遠すぎて聞こえない。止まらない。止まれない。今はただ、あの血をすすることしか考えられない。


(今使える最大のわざでも防がれた)

(斬れない?)

(斬れる)

(そうだ。手段はある)

(血に従え)

(斬れ)

(使え)

(斬れ!)

あかを!)

(斬れ!!)

(使え!!!)


 危機感も死の恐怖も何もかもが麻痺まひしてしまっている中、ただかわきを癒す、そのために武は立ち上がった。


 誰に教わるでもなく、武は自分が何をすればよいのか理解していた。冥月を右手で持ち、左腕に当てる。そして武が次の行動に移ろうとした時、右手がはたかれ冥月を取り落としてしまった。


「きこえ…………か! ……け……げるぞ!」


 耳から何か大きな音が入ってきた。だがそれを認識するだけの余裕が脳に無い。取り落とした刀を手に取ろうとした体が持ち上げられる。激痛が手足の末端まで走り、再び激しくむ。


 視界から女が消え、代わりにどこまでも続いていそうな木々が視界の端から端へと流れ去っていく。しばらくしてそれが山の頂上からすそまで広がる森の中であることに気が付く。


 そして最後にかすむ視界の中で、自分を抱きかかえて走る愛音の顔を見て安堵あんどの息をき、武は意識を手放した。


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